巻頭言

農と工と“わかりやすさ”の行き過ぎを思う

Shin-ichiro Shoda

正田 晋一郎

東北大学名誉教授,東京農業大学

Published: 2021-04-01

ずいぶん昔のことだが,中学の技術の授業で,定規を使っても線をうまく引けなかった少年は,将来の進路として農学系を目指していた.大学に入学してまもなくすると,地図に載っていない道なき道を行く仲の良い冒険グループが結成された.一人は後に林学の教授になり,もう一人は農林水産省に務めた.私はなぜか理学部の化学科へ進学した.そして,そこで“糖”とめぐり合い,それ以来グリコシル化の研究がライフワークになった.

農芸化学との出会いは,森 謙治先生の有機化学の講義であった.

「理学部の学生はグリニャール反応をアルコールの中で行うのであ~る」

一瞬,恥ずかしさで頭が真っ白になった.他学部の学生であったにもかかわらず,その後幾度となくシンポジウムなどでお目にかかると,いつも声をかけてくださった.本当に温かい心と真の優しさをおもちの先生であった.

その後,技術開発とは縁遠かったはずなのに,工学部で33年間という長きにわたり教育と研究に携わることになる.工業化学という響きから,作業着とプラントのイメージを抱いていた私は,幸運にも酵素重合の開拓者である小林四郎先生と出会った.基質の設計・合成に,それまで培ってきた有機合成が大変役に立った.もう一つの幸運は,糖や酵素との関連で,多くの農芸化学の人々と巡り合えたことである.これまで出会った先生方は寛容でハートのあるすばらしい方ばかりであった.私はそこで,心地よい感動をもって,生体反応の“わかりにくさ”を学んだのである.

最近とみに思うことがある.誰にでも簡単に理解できる“わかりやすい”説明が多過ぎるということだ.今日,どの教科書を開いても,保持型グリコシダーゼによる加水分解は,2回の立体配置の反転を伴うたいへんわかりやすい機構で進むと書いてある.しかしどうも怪しい.手前味噌で恐縮だが,水溶液中,保護基を用いない糖の活性化は正田法と呼ばれ,糖タンパク質合成などに広く使われている.この新しい手法を駆使して徐々に明らかになってきたことは,自然はもっと複雑な仕掛けを酵素に与えたのではないか,ということだ.

35年前,若い化学者の悩みは,広大な青葉山キャンパスに点在する建物間を往来する不便さであった.年月が経ち年を取った化学者にとって,日頃の運動不足の解消に,建物間の移動が心地よいものとなった.土木建築,宇宙工学,機械ロボット等々,私にとって未知の領域は決してわかりやすいものではなかった.しかし,異分野研究者との交わりが,小さな種から実がなる良質な土壌となったのである.

農学分野においても同じことが言えるのではないだろうか.森林科学,畜産学,水産科学等々の周辺分野と,農芸化学がどのように連携するのか,部外者の私にはわからない.医学や薬学領域においても同様の構図を描くことができよう.“化学”という横糸で結ばれた医・理・農・工・薬の人々が,学問の未来を夢見て,農を中心にシンポジウムなどを企画してみると面白いかもしれない.その先に何が見えてくるであろうか.もしかすると,より哲学的,芸術的な何かが共通認識として現れるかもしれない.そもそもシンポジウムの語源は,古代ギリシャにおいて一緒に酒を飲む饗宴にある.

ここ数年来,ウェブ上でのコミュニケーションもどきが盛んで,短く“わかりやすい”言葉で賛同を求めたがる人が多いと聞く.そんな時間があるくらいなら,“わかりにくい”美しい自然を相手にして,もっともっと観察をしてくれたらいいのに,と思う今日この頃である.