Kagaku to Seibutsu 59(4): 182-190 (2021)
特別寄稿
幼虫の頭部をもつ国蝶オオムラサキその驚愕の形態の謎を追う
Published: 2021-04-01
© 2021 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2021 公益社団法人日本農芸化学会
2013年8月半ばの猛暑のある日,私は従姉のつれ合いで同好の士でもある松野重治氏(東京都調布市在住)から,アカボシゴマダラの異常型を採集したとの手紙を受け取った.同封されていた標本の写真は,一見してすぐにわかる幼虫の頭を付けた奇妙なアカボシゴマダラであった.松野氏の手紙には「7月12日の早朝,自宅付近をウォーキングしていたところ,翅をバタつかせながら路上を歩き回る本種を発見し回収すると,頭部のみ終齢幼虫の形態を残した異常型であった.当地は広大な雑木林をもつ国立天文台に近い農地・植木畑が残る住宅地で,アカボシゴマダラは数年前より見られるようになった」と記されていた.
松野氏と私は親族関係にあり都内の比較的近距離のところに居住していたものの,お互いに顔を合わせるのはもっぱら冠婚葬祭の場であって,それまでに一度も趣味の話をしたことがなかった.そこで,アカボシゴマダラのことで思いがけず手紙を頂いたことを受け,一度私のコレクションを見ながら蝶談義でもしませんか? と松野氏に提案したところ,11月になってそれが実現する運びとなった.そして当日,全く予期せぬことに,松野氏は例の“幼虫の頭部をもつアカボシゴマダラ”の標本を持参され,その管理を私に委託したいとの意向を示され,結局,その珍奇なアカボシゴマダラは私が預かることになった.
松野氏の標本を改めて眺めると,管理の不手際から翅や胴体の一部にかじられた痕跡があったものの,それは紛れもなく“幼虫の頭部をもつアカボシゴマダラ”であり,頭部以外は全く正常な雄成虫であった(図1図1■松野重治氏が採集した“幼虫の頭部をもつアカボシゴマダラ”).
松野氏から手紙を頂いたとき,私はかつて「細胞工学」(秀潤社)のコラムで似たようなゴマダラチョウの描画を見たことを思い出した.「細胞工学」とは分子生物学関連の学術誌で,2012年まで私が勤めていた理化学研究所(理研,和光市)の研究室で定期購読していたものであるが,2005年に鈴木 理氏(産業技術総合研究所)が「分子医学の光と影:昆虫の変態と第三帝国」と題したコラム(1)1) 鈴木 理:細胞工学,24, 994 (2005).に生きた姿の“幼虫の頭部をもつゴマダラチョウ”を描画として載せていたため,強く印象に残っていたのである(図2図2■A: 細胞工学のコラム(1)に掲載された“幼虫の頭部をもつゴマダラチョウ”(細胞工学より転載)コマダラチョウとあるのはゴマダラチョウの誤り.B: 正常な近縁種アカボシゴマダラ).しかし松野氏の“幼虫の頭部をもつアカボシゴマダラ”について,当時は何らかの形で報文として発表すべきだろうと思いつつも,この件は次第に私の意識の下から薄れていった.