海外だより

コロナ禍でも,行って良かった在外研究次回は予定どおりに

Koji Yamaguchi

山口 公志

近畿大学農学部生物機能科学科

Published: 2021-04-01

海外留学未経験者の筆者は,留学の経験談や海外PI便りのようなエッセイをいつも好んで読んでいました.この度,在外研究を目的として渡独するも,まさか3カ月で日本に舞い戻ってきた自分が書く側になるとは夢にも思っていませんでした.コロナウィルスと時を同じくヨーロッパに渡ったという特殊な体験をお伝えする目的と旅の忘備録を兼ねて,私の在外研究の実態をお伝えします.

2019年12月に中国でコロナウィルス感染の拡大が報じられていた頃,私はコロナウィルスの脅威よりも,初めての在外研究への不安と期待で緊張していました.さらに,旅支度もほどほどに,12月,1月は修士論文や卒業論文の対応に追われ,例年と変わらない日常を過ごしていました.そのため,1月半ばに国内のコロナウィルス感染者が報告されたことを気にすることもなく,まさか初の海外研究生活がコロナウィルスに翻弄されることになるとは考えもしていませんでした.

2020年2月1日~8月31日までの期間,私はドイツのケルンにあるマックスプランク研究所(MPIPZ)PLANT BREEDING RESERCHのディレクターであるPaul Schulze-Lefert教授のグループに参加する予定でした.これまで筆者は国内の大学を渡り歩いていたので,初の研究所生活を体験できることを非常に楽しみにしていました.当初の予定では単身で渡独し,生活基盤を築きながら4カ月間,研究生活にどっぷり浸かり,6月以降は家族と海外での楽しい週末を過ごす計画でした.しかし,現実は2020年2月1日~4月25日の期間,単身での在外研究となってしまいました.この文章を書いている今も,名残り惜しい気持ちでいっぱいではありますが,気持ちを切り替えて,私が実際に経験したコロナ禍での短期在外研究の内容をお伝えします.短期間かつ,人との出会いを極端に制限された環境ではありましたが,個人的には充実した経験ができたとポジティブにとらえています.

2020年1月31日,コロナウィルスへの初の感染者の報告がヨーロッパ各地で続々と報告されるなか,日本を出国しました.デュッセルドルフ空港とボン空港が研究所の最寄りの空港でしたが,日中に現地に到着したかったため,関西空港発–イスタンブール経由–ボン空港着のルートを選びました.日本を出国する飛行機では,コロナウィルスへの特別な配慮をする人はいないように感じました.しかし,イスタンブールのトランジットで,ボン行きの飛行機の出発ロビーで待つ人々は全員がマスクを着用し,対コロナウィルスの意識が浸透していました.ボン空港では,Paul教授の元でPIとしてご活躍されているRyohei Thomas Nakano博士(写真1写真1■ドイツ到着時にThomas博士と 左側の人物)にピックアップしていただき,研究所内の宿舎へと向かいました.空港内から一歩足を踏み出したとき,冬のドイツのイメージにぴったりなどんよりとした曇り空が出迎えてくれたのをよく覚えています.途中に立ち寄ったスーパーでは空港内のコロナウィルス対策で感じた緊張感とは異なり,マスク姿の人は見当たらず,土曜日の買い物を楽しむ人たちであふれていました.出国前の地元のスーパーと変わらぬ光景を見た僕は,「あー来てよかった.これから始まる研究生活に集中しよう.」とパンと野菜と水とビールを購入し,研究所のゲートを通り抜けました.

写真1■ドイツ到着時にThomas博士と

在外研究先のMPIPZのPLANT BREEDING RESERCHはドイツのケルンの郊外にあります.コロナウィルスのパンデミックの影響で,研究所半径5 km圏内が私の行動範囲でした.そのため,研究所周辺の環境を紹介します.研究所の周りは畑に囲われ,森が点在しており,非舗装の道も多く,サイクリング,ウォーキング,簡単なトレイルランをする人が数多く見受けられました.多くの学生は,自転車で数十分かけて研究所に通学しているようでした.構内では,人の数よりもウサギとリスの数のほうが圧倒的に多く,非常に静かな研究環境でした.PLANT BREEDING RESERCHは,Plant Developmental Biology, Chromosome Biology, Plant-Microbe Interactions, Comparative Development and Geneticsの4つの部門から構成されています.Paul教授は植物病理学研究の第一人者であり,世界的な研究成果をあげている研究者で,Plant-Microbe Interactions部門のグループリーダーでもあります.近年の彼の研究室では,野外の土壌中の微生物群で構成されるマイクロバイオータと植物の相互作用の研究を実施しています.研究室では,野外に生息する植物マイクロバイオータの研究に加えて,植物とマイクロバイオータの相互作用を研究室内で再現して解析できるような実験系を駆使し,非常に魅力的な研究を展開しています.研究所内には,バイオインフォマティクス,タンパク質の質量解析,タンパク質の構造解析,電子顕微鏡の解析に精通するサポート部門が存在していました.同僚曰く,気軽に実験の相談に乗ってくれ,親身に実験のサポートしてくれるそうで,研究所ビギナーの私にとって羨ましい研究環境だなと思いました.研究所の廊下のポスターには,絵画のような電子顕微鏡の写真が飾られ,サポート部門の高い技術力の一端を感じることができました.さらに,ITチームにより研究所のシステムが構築され,ほとんどの業務がオンライン化されていました.たとえば,サーバー上に農場管理のチームへの仕事の依頼ができるWebページが整備され,ポットの種類や土の種類などの詳細な条件を選択し,植物育成用のポットをオーダーするなどできるようになっていました.また,実験ノートもデジタル化がすすめられ,研究所のサーバー上に実験のノートを作成し,実験ノートの情報をチームで共有できるようになっていました.研究所のサーバーはさまざまなビックデータを保存可能で,各自が自由に利用できるだけでなく,各端末からサーバーを利用してプログラムを実行できるような仕様になっていました.インフォマティクスを利用した解析は学生にも広く浸透しており,居室を共にした学生の全員がプログラムを自分で書き,グラフの作成からビッグデータ分析まで幅広い解析を実施していました.日常の会話の中でも,プログラムの内容について討論しているのをよく耳にしました.R初心者の私にとってその光景は印象的で,よい刺激になりました.ロックダウンが開始した際に,筆者の後ろに座っていた学生が居室のPCサブモニターをもち出し,「これがあれば家で研究ができる,じゃあ,また1カ月後に」と帰路についていきました.学生にとって,バイオインフォマティクスが自身の研究の一部になっているのだなと実感した瞬間でした.

さて,研究所の生活に話を戻します.2月にドイツに到着してから,3月のロックダウンまで通常の研究所生活を体験できました.到着後,Thomasさん,ラボの秘書さん,MPIPZの事務の方のサポートのおかげで,2~3週間程度でVISAの取得や市役所での市民登録など諸手続きが順調に終わりました.「出国前にいろいろ心配して損した!」と言いたいぐらい,手厚いサポートで本当に感謝しかありません.生活拠点を所内の宿泊施設にしていたので,まずは研究所内の生活に慣れ,研究に打ち込むことに集中しました.研究所ビギナーの私が感じたことを2点,お話しします.1点目は,年齢,性別の点で日本よりも多様性に富んだコミュニティーが形成されていると感じたことです.短い時間でしたので,真偽のほどはわかりませんが,先に挙げた多様性が確保されているため,マジョリティー,マイノリティーにかかわらず,お互いを認めつつ,足りない部分をおぎなうことで,研究の推進力が増しているように感じました.日本では,ダイバーシティに関して議題に上がることはありますが,日常で実感することが少なく,改めて自分の環境を見直すきっかけになったように思います.もう一つ印象に残ったのは,学生が研究室の垣根に関係なく,自由に往来している姿でした.研究所の学生を見ていて,自身の研究の進め方や手法の相談など疑問に感じたことは,指導教官だけでなく他の研究者にも相談し,積極的に議論する意識が学生に芽生えている姿が目に留まりました.加えて,指導教官や研究者が学生に対して指導している姿を見ることができたことも自分にとって大きく,学生の積極性を育む教員の姿勢もたいへん勉強になりました.そのようなことを感じつつ,次々と自分の実験の予定が埋まっていく,そんな充実した生活を過ごしました.1カ月が過ぎ,そろそろケルンの市内のケルン大聖堂に繰り出そうと,グーグルマップで地図情報を集めだしたときでした.見ないふりをしていた,コロナウィルスの足音が近づいてきました.時は3月18日,メルケル首相のロックダウンの演説を受けて,研究所の日常が一変しました.SNSを利用して,メルケル首相の演説やドイツよりも被害が大きかったイタリアやスペインの情報に触れることで,浮世離れしていた自分が現実に引き戻されるのを感じました.MPIPZの研究所では1部屋に滞在が許されるのは一人という厳しい入室制限がなされ,アクティビティを最低限に抑えるようにとの指示がでました.進行形の実験は認められるものの,新たな実験の計画はすべて停止の指示がでました.首相の演説を境目に,研究所の食堂は閉店し,所内での人の往来は無くなりました.さらに,ゲストハウスでは共同キッチンの利用を一人に限定され,単身で渡独していた私が人と直接話す機会は完全に無くなりました.病院に行くことは容易にできない状況でしたので,この環境はある意味安全なのではと自分を励ましながらロックダウン中の新生活をスタートしました.公園には立ち入り禁止のテープが張られ,スーパーと薬局以外のお店はすべて休業になりました.そんな中,季節は春へと移り変わり,2月の曇り空から晴天の日々が多くなり,研究所の周りの畑ではアブラナ科の黄色の花が一面に咲き,ヨーロッパの観光のハイシーズンってこんな感じなんだと思いながら観光気分で,毎日散歩していました.幸いだったのは,ロックダウンと言っても近隣諸国のイタリアやスペインほどの厳しい制限は課されなかったことです.スーパーやドラッグストアへ買い物に行くことはもちろん,自由に散歩をしたりすることもできました.最寄りのスーパーの物品が少なくなっていたときもありましたが,生活に困窮することはなく,差別的な行動をとられることもありませんでした.また,ロックダウン中に進行中だった実験に従事できたので,単調な生活にならなかったのが幸いでした.ロックダウンから1カ月が過ぎた,4月15日,ドイツ政府は新型コロナウイルスの感染拡大防止のために導入した行動制限を一部緩和させる方針を発表しました.その頃,所内で出会ったPaul教授が,少しずつ所内のアクティビティを元に戻していくんだと笑顔で話をしてくれたのをよく覚えています.久しぶりに交わした日常会話に少し安心した一方で,私は日本での渡航制限レベルが引き上げられたことで家族の渡独はあきらめざるを得ない現実を知り,自分の帰国が困難になる可能性を心配していました.そのため,ドイツの状況が好転したタイミングで,単身で在外研究を続けるのか,日本で自分の研究室と家族のサポートを優先するかを決断することを決めていました.Paul教授からドイツ国内の情報を教えてもらった後に,在外研究にあたってお世話になった方々に相談し,日本に帰国を希望する決断を決めました.当時,ほとんどの航空便が欠航しており,4月25日にオランダ経由で日本に到着する便を何とか予約することができました.デュッセルドルフ空港では職員の数が利用者よりも圧倒的に多く,自分が利用する便のみがフライトスケジュールの掲示版に記載されていました.写真の人形の隣に座る旅行者の影は全くなく,普段の空港の賑わいはありませんでした(写真2写真2■帰国便の空港ベンチ(コロナ禍で人の気配はなく)).人生で一番早く保安検査場を通過し,人がほとんどいない空港内で在外研究が終わってしまう寂しさを感じました.オランダから日本へ向かう機内では,2 m以上席の間を空けて座り,機内食はビニール袋にサンドイッチやお菓子が入った簡易的なものへと差し替えられ,機内サービスはありませんでした.日本に到着すると,映画で見るような白い防護服を身にまとった職員がサーモグラフィーで乗客の体温を測定した後,機外に出ることができました.空港内でPCR検査を受け,空港を後にし,私の在外研究が終わりました.「行ってよかったか?,また行きたいか?」と質問されたら,間違いなくYESと答えます.日本と異なる文化に触れる経験はとても貴重で,どんな経験でも自分の糧になると思うからです.次回は,自分よりもドイツ語を勉強して,ドイツの生活に思いを募らせていた子どもたちを連れて,この経験を共有したいと思います.

写真2■帰国便の空港ベンチ(コロナ禍で人の気配はなく)

在外研究の実現にあたり,近畿大学の関係者各位,受け入れ先のPaul教授,Paul教授との間を取りもっていただいた華中農業大学の津田賢一教授,滞在中に研究のみならずプライベートまでお世話になったThomas博士に,感謝申し上げます.