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龍涎香の人工合成系の確立に向けて新規アンブレイン合成酵素の創出

Tsutomu Sato

佐藤

新潟大学大学院自然科学研究科・農学部

Published: 2021-05-01

マッコウクジラの腸管結石であると考えられている龍涎香(りゅうぜんこう)は,紀元前より,高級な香水等の香料として世界中で利用されていた(1)1) B. Schaefer: “Natural Products in the Chemical Industry,” Springer, 2014..しかし,商業捕鯨が禁止されてからは(最近の日本での商業捕鯨再開でも対象外),ほとんど入手不可能な「幻の香り」とも言われており,まれに,海岸等で打ち上げられたときには,高値で取引されることが世界中でニュースになる.また,龍涎香はリウマチや神経痛などさまざまな病気に対して薬理効果のある漢方薬・伝承医薬や,媚薬としても用いられていたが,その薬理活性に関する研究はあまり行われてない.龍涎香の主成分は両端に単環と2環骨格をもつトリテルペンのアンブレインである(図1図1■紹介する研究の背景と成果概要).アンブレインに香りはないが,龍涎香が海上を浮遊している間にアンブレインが光酸化分解され,単環と2環部分構造由来のさまざまな香気成分へ変換される(1)1) B. Schaefer: “Natural Products in the Chemical Industry,” Springer, 2014.図1図1■紹介する研究の背景と成果概要).また,龍涎香の薬理活性は,主成分であるアンブレインによるものと考えられる.したがって,龍涎香を香料や医薬として利用するには,アンブレインを安定的に供給する必要があるが,収率の良い化学合成法は報告されていない.

図1■紹介する研究の背景と成果概要

(左)マッコウクジラの代謝物である龍涎香は香料や漢方薬等として使われていたが,その生成機構は不明である.(真ん中・右)龍涎香主成分アンブレインの合成酵素が創出され,アンブレインの香気成分への変換とアンブレインの新しい薬理活性が報告された6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020).

現在,マッコウクジラにおける龍涎香・アンブレインの生成機構は不明であることから,アンブレイン生合成酵素・遺伝子をアンブレイン生産に利用することもできない(図1図1■紹介する研究の背景と成果概要).一方,2013年に細菌由来の2つの酵素(スクアレン-ホペン環化酵素SHCとテトラプレニルβクルクメン環化酵素BmeTC)を用いて安価なスクアレンからアンブレインをin vitroで合成できることが報告された(2)2) D. Ueda, T. Hoshino & T. Sato: J. Am. Chem. Soc., 135, 18335 (2013)..対称構造のスクアレンを基質にして,1段階目に片方の末端から環化させ単環を形成した後,2段階目にもう片方の末端から2環骨格へ変換する2酵素合成法である(2)2) D. Ueda, T. Hoshino & T. Sato: J. Am. Chem. Soc., 135, 18335 (2013).図2A図2■酵素反応経路と生成物の収率).天然の酵素機能(野生型SHC:スクアレンから5環性骨格を構築する;野生型BmeTCWT図2B図2■酵素反応経路と生成物の収率のようにスクアレンまたは2環性化合物を基質とする)と異なる人工生合成経路である点は注目に値する(2)2) D. Ueda, T. Hoshino & T. Sato: J. Am. Chem. Soc., 135, 18335 (2013).図2A図2■酵素反応経路と生成物の収率).しかし,収率は化学合成と大差なく(図2A図2■酵素反応経路と生成物の収率),産業化にはほど遠い結果であった(2)2) D. Ueda, T. Hoshino & T. Sato: J. Am. Chem. Soc., 135, 18335 (2013)..その後,2段階目に用いている酵素(BmeTCWT;触媒反応は図2B図2■酵素反応経路と生成物の収率)を改変することによって,一つの酵素(BmeTCD373C)でアンブレインをin vitro反応と酵母における異種発現の両方で生産できることも報告された(3~5)3) T. Sato, K. Okuno, T. Takehana & S. Koike: WO2017150695A1 (2017).4) S. Moser, G. A. Strohmeier, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhesschem & H. Pichler: Metab. Eng. Commun., 7, e00077 (2018).5) S. Moser, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhessche & H. Pichler: Yeast, 37, 163 (2020).図2C図2■酵素反応経路と生成物の収率).BmeTCWTは2環性化合物を生成した後,さらに残った末端から環化して3環または2環骨格を形成する酵素である(2)2) D. Ueda, T. Hoshino & T. Sato: J. Am. Chem. Soc., 135, 18335 (2013).図2B図2■酵素反応経路と生成物の収率).それに対して,BmeTCD373Cは1段階目で2環性化合物に加えて単環性化合物も生産し,次に2環性と単環性化合物を基質に各々単環と2環骨格を形成してアンブレインを合成した(3~5)3) T. Sato, K. Okuno, T. Takehana & S. Koike: WO2017150695A1 (2017).4) S. Moser, G. A. Strohmeier, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhesschem & H. Pichler: Metab. Eng. Commun., 7, e00077 (2018).5) S. Moser, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhessche & H. Pichler: Yeast, 37, 163 (2020).図2C図2■酵素反応経路と生成物の収率).酵母でのアンブレイン生産量は,2酵素系(図2A図2■酵素反応経路と生成物の収率)より1酵素系(図2C図2■酵素反応経路と生成物の収率)のほうが高く,最大で約0.1 g/L培養液(バイオリアクター)であった(4, 5)4) S. Moser, G. A. Strohmeier, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhesschem & H. Pichler: Metab. Eng. Commun., 7, e00077 (2018).5) S. Moser, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhessche & H. Pichler: Yeast, 37, 163 (2020)..しかし,産業化にはさらなる収率の改善が必要であると考えられる.

図2■酵素反応経路と生成物の収率

(A) 2013年に報告されたアンブレインの2酵素合成経路2)2) D. Ueda, T. Hoshino & T. Sato: J. Am. Chem. Soc., 135, 18335 (2013)..(B)野生型酵素BmeTCWTの酵素反応経路2)2) D. Ueda, T. Hoshino & T. Sato: J. Am. Chem. Soc., 135, 18335 (2013)..(C)変異型酵素BmeTCX(X: D373CまたはY167A/D373C)による1酵素反応経路3~6)3) T. Sato, K. Okuno, T. Takehana & S. Koike: WO2017150695A1 (2017).4) S. Moser, G. A. Strohmeier, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhesschem & H. Pichler: Metab. Eng. Commun., 7, e00077 (2018).5) S. Moser, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhessche & H. Pichler: Yeast, 37, 163 (2020).6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020)..スクアレン→2環性/単環性化合物→アンブレインのほかに,野生型酵素の最終生成物と両端が単環性の化合物も生成する.(D)野生型酵素BmeTCWTと変異型酵素BmeTCX(X: Y167A/D373C)による2酵素反応経路6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020).

このような背景から,最近,新しい酵素である「アンブレイン合成酵素」を人工的に創出し,生合成による供給経路の確立を目指す研究が報告された(図1図1■紹介する研究の背景と成果概要).さらにそれを突破口として,酵素合成したアンブレインを用いて香気成分への化学変換,ならびに薬理活性評価も進められたので紹介したい(図1図1■紹介する研究の背景と成果概要).

まず,1酵素系に用いられている変異型酵素(BmeTCD373C)の改変が行われた.2段階目の反応時に基質の環状構造と立体的に障害となりそうなアミノ酸残基を活性部位のモデリング構造から推測し,小さなアラニンへ置換して解析した.その結果,変異型酵素BmeTCY167A/D373Cが最もアンブレインを収率良く生産し,BmeTCD373Cの約10倍のアンブレインを生産した(6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020).図2C図2■酵素反応経路と生成物の収率).それは,野生型酵素(BmeTCWT)の最終生成物の収率を超えていた(6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020). (図2BC).加えて,最終段階の生成物(アンブレイン,野生型酵素の生成物,両端に単環をもつ化合物;図2C図2■酵素反応経路と生成物の収率)中でアンブレインの占める割合は88%であった.したがって,BmeTCY167A/D373Cは「アンブレイン合成酵素」と命名するに値するものと考えられ,新しい酵素を創出できたと言える(6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020).図2C図2■酵素反応経路と生成物の収率).一方,アンブレイン合成酵素(BmeTCY167A/D373C)はスクアレンよりも2環性化合物との反応性が高いことから,1段階目を野生型に担わせることを想定した,野生型とアンブレイン合成酵素を用いる新しい2酵素系が考えられた(6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020).図2D図2■酵素反応経路と生成物の収率).その結果,2酵素系(合計の酵素量は1酵素系と同じ)は,BmeTCD373Cの約20倍のアンブレインの収率を与えた(6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020).図2D図2■酵素反応経路と生成物の収率).これは,酵母内で2 g/L培養液の生産が期待できる酵素活性に相当し,発酵生産による産業化が現実味を帯びてきたと考えられる.

次に,合成したアンブレインから龍涎香の香気成分への効率的な化学変換が検討された(図1図1■紹介する研究の背景と成果概要).紫外線や光増感剤存在下での可視光処理によって一重項酸素を生成させ,アンブレインの光酸化分解を行ったところ,龍涎香と同じ主要香気成分が検出された(6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020)..また,香気成分の収率は,既知の方法や天然の龍涎香の約8~15倍であった(6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020)..光増感剤の種類によって,香り成分の比率が異なっており,反応条件によって「人工龍涎香」の香りを変えることができることが示唆された(6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020).

最後に,酵素合成したアンブレインを用いて,破骨細胞の分化促進とアミロイドβ誘導性神経細胞死の抑制という2つの新しい薬理活性が見いだされた(6)6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020).図1図1■紹介する研究の背景と成果概要).今後,骨代謝改善とアルツハイマー病予防に働く薬剤の開発につながる可能性がある.

アンブレイン合成酵素を自力で手に入れた(創り上げた)ことを契機に,今後,一般的な酵素で進められているようなタンパク質工学や進化工学等の手法によってアンブレインの生産量がさらに増加していくものと期待される.香気成分への変換と薬理活性解析についても,龍涎香を香料や薬剤等として利用するための新たな道を拓く基盤的成果と言える.天然をしのぐ香りや薬理活性をもつ「人工龍涎香」の創出にもつながるものであり,社会実装に向けてさらなる異分野融合・産学連携研究が進められている.一方,応用面だけでなく,基礎研究としても大きな意義があると考えられる.つまり,生合成経路が不明な希少天然物(アンブレイン)を研究室内で創出した酵素を使った人工生合成経路で合成し,その合成効率を飛躍的に高めることができた.将来,さまざまな新規・希少天然物において自在な生合成が可能になることを期待したい.

Reference

1) B. Schaefer: “Natural Products in the Chemical Industry,” Springer, 2014.

2) D. Ueda, T. Hoshino & T. Sato: J. Am. Chem. Soc., 135, 18335 (2013).

3) T. Sato, K. Okuno, T. Takehana & S. Koike: WO2017150695A1 (2017).

4) S. Moser, G. A. Strohmeier, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhesschem & H. Pichler: Metab. Eng. Commun., 7, e00077 (2018).

5) S. Moser, E. Leitner, T. J. Plocek, K. Vanhessche & H. Pichler: Yeast, 37, 163 (2020).

6) Y. Yamabe, Y. Kawagoe, K. Okuno, M. Inoue, K. Chikaoka, D. Ueda, Y. Tajima, T. D. Yamada, Y. Kakihara, T. Hara et al.: Sci. Rep., 10, 19643 (2020).