プロダクトイノベーション

カイコ冬虫夏草の製造販売のための学術的基盤と養蚕イノベーション新規環状ペプチドの発見とその活用

Koichi Suzuki

鈴木 幸一

株式会社バイオコクーン研究所

Shinichi Ishiguro

石黒 慎一

株式会社バイオコクーン研究所

Published: 2021-06-01

はじめに

岩手大学発ベンチャーの(株)バイオコクーン研究所は,なぜ大学ベンチャーとしてスタートできたかには3つの要因がある.1)岩手大学産学官連携のネットワークの中で,弊所の前身である東白農産企業組合(福島県棚倉町)から「カイコハナサナギタケ冬虫夏草(以下カイコ冬虫夏草)」について付加価値を見いだすような要望があり,2007(H19)年7月共同研究契約を結んだ.2)カイコ冬虫夏草からの抽出物を老化促進マウスに経口投与した結果,記憶の回復が確認され,しかも海馬のCA3領域で発生していた神経膠症(グリオーシス反応と呼び,細胞に繊維状の病変が発生し記憶力が低下する)がほぼ完全に消失することができた(1)1) M. Tsushima, K. Yamamoto, M. Goryo, F. Suzuki & K. Suzuki: J. Insect Biotechnol. Sericology, 79, 45 (2010)..その後科学研究費補助金「基盤研究(S)」が採択され,2011年6月~2016年3月まで研究期間を継続できた(定年後は,4年間の特任教授).3)2011年3月の東北大震災の影響もありそれまで共同研究先の東白農産企業組合から工場売却の申し出があり(2014年1月),名称を(株)バイオコクーン研究所としたのが2016年4月で,第一工業製薬(株)のグループ会社になったのは2018年7月になる(図1図1■(株)バイオコクーン研究所の概要).

図1■(株)バイオコクーン研究所の概要

写真の左図,盛岡本社研究は岩手大学構内の盛岡市産学官推進研究センター(コラボMIU)内に入居;写真の中央図,棚倉工場は福島県東白川郡棚倉町での事業部・工場;写真の右図,更木ファームは弊所の岩手県北上市更木に設置の養蚕モデル施設.

わが国における多くの大学発ベンチャーの宿命として経営的な資金繰りで目的を達成することができず,補助金頼みから脱却することなく企業としての土台を失う.それを回避でき研究開発を継続できる弊所の理由は,以下の2点にある:第一に研究開発のシーズには製品開発に通じるオリジナルな研究基盤があること,第二に親会社の創業(1909年)が「カイコの繭を洗う解舒(かいじょ)剤の製造」で誕生した化学工業分野の企業であり,2018年のライフサイエンス事業参入への一環とし大学発ベンチャーの弊所がグループ会社に加わったことになる.したがって,化学工業分野のライフサイエンス事業として「ケミカルライフサイエンス」の研究開発を目指すことができると考えている.

養蚕イノベーションは重要な柱

農学の蚕糸科学分野で半世紀研究生活を送るなか,常にわが国における養蚕農家戸数の減少が鬼門であった.100年前の養蚕農家が220万戸から現在では300戸以下まで減少しておりすでに産業の形態を成していない.しかし現代の農学分野が多様な役割を発揮しており,地球規模での気候変動・疾病・紛争に応えるために,わが国の農家・養蚕戸数だけでは推し量れない広範で多様な科学技術と産業の在り方が展開されている時代になっている.

そこで,2016年に「国民医療費削減と地方創生を目指した非繊維型養蚕イノベーション」を提案した(2)2) 鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 59 (2016)..これは5千年以上続いている養蚕の最終出口が繊維という枠組みから脱却し,「食べる桑/食べるシルク/食べるカイコの活用による薬理昆虫分野の創出」を目指したものである.その内容は学術面から,「食べる桑の機能解析と応用解析」(3)3) シラパコング=ピヤマース,鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 69 (2016).,「食べるシルクの機能解析と応用解析」(4)4) 苅間澤真弓,鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 75 (2016).,そして「カイコ冬虫夏草の機能解析と応用開発」(5)5) 石黒慎一,対馬正秋,シラパコング=ピヤマース,鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 63 (2016).としてまとめている.

図2図2■非繊維型養蚕イノベーションのためのChain Reactionに示したように,非繊維型養蚕イノベーションのchain reactionとして岩手大学時代あるいは現(株)バイオコクーン研究所との共同研究契約または訪問し講演などの形で協力したケースの企業先では,それぞれ養蚕と関連した営みを起こし成功したタイプと,まだ立ち上げ中のタイプがある.これらの中に,桑葉のお茶の製造と販売を手掛けて12年となる岩手県北上市の(株)更木ふるさと興社がある.ここでは総務省の「地域おこし協力隊2名」を受け入れている.しかし,われわれが関与した非繊維型養蚕イノベーションの生業の経営形態は,雇用を含めて盤石な企業としての確立までに時間を要する.特に,カイコ飼育に興味を示し地域おこし協力隊として採用された2名は,まだ20, 30代で定住化企業化の支援が不可欠であり,彼らにこそ「生き甲斐をもてて生活が成り立つスマート養蚕」の道標となるような新技術革新の提供が必要になる.ちなみにわが国における技術輸出第一号と評されているのは,『養蚕秘録』(上垣守国,1803,兵庫県養父市出身)であり養蚕技術史上の金字塔になっている(6)6) 竹田 敏:“幕末に海を渡った養蚕書”,東海大学出版部,2016, p. 138.

図2■非繊維型養蚕イノベーションのためのChain Reaction

岩手大学構内の盛岡市産学官連携研究センター(コラボMIU)に入居の(株)バイオコクーン研究所と非繊維型養蚕イノベーション関連のネットワーク.写真の左図,わが国の技術輸出第一号と評される『養蚕秘録』6)6) 竹田 敏:“幕末に海を渡った養蚕書”,東海大学出版部,2016, p. 138.

そこで21世紀の新技術革新のためにも,「食べる桑/食べるシルク/食べるカイコの活用による薬理昆虫分野の創出」が産業の一つの目的になる.2018年度の国民医療費は43兆3949億円で,65歳未満は18万8300円,65歳以上は73万8700円と報告されていることから,養蚕イノベーションによる医療費の削減について単純に試算してみると,65歳上の人口の3557万人が20万円/年削減した場合,年7兆円となる.この7兆円を次世代教育・国土保全・科学技術に充てることが養蚕イノベーションの目指すところである.

食べる桑では血糖上昇抑制,抗酸化ストレス,抗炎症,抗侵害知覚作用,寿命延伸が期待されている(3)3) シラパコング=ピヤマース,鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 69 (2016)..食べるシルクでは結腸がん抑制,高脂血症の代謝改善,アルツハイマー病の改善,血圧降下機能,スタミナ増強,毛髪アインチエイジングが報告されている(4)4) 苅間澤真弓,鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 75 (2016)..また,弊所のカイコ冬虫夏草に関する研究開発については以下のとおりとなる.

カイコ冬虫夏草のマウス試験からヒト試験までの研究開発

世界の冬虫夏草は約500種同定されており,わが国では400種ほど確認されていることから冬虫夏草の宝庫でもある(7)7) 日本冬虫夏草の会:“冬虫夏草生態図鑑”,誠文堂新光社,2014, p. 303..天然の冬虫夏草菌(ハナサナギタケ)も採取しカイコの乾燥蛹で培養育成したものから乾燥粉末を得た(図3A図3■カイコ冬虫夏草の培養と老化促進マウスへの抽出物経口投与による海馬の観察).2010年の論文では(1)1) M. Tsushima, K. Yamamoto, M. Goryo, F. Suzuki & K. Suzuki: J. Insect Biotechnol. Sericology, 79, 45 (2010).,このカイコ冬虫夏草粉末の抽出物をアルツハイマー病モデルの老化促進マウスに,25 mg/kg/dayの濃度で経口投与した.その結果,海馬のCA3領域に発生したグリオーシス(神経膠症とも呼び,記憶障害の原因)がほぼ完全に消失し,空間記憶も回復した(図3B図3■カイコ冬虫夏草の培養と老化促進マウスへの抽出物経口投与による海馬の観察).

図3■カイコ冬虫夏草の培養と老化促進マウスへの抽出物経口投与による海馬の観察

A, 天然の冬虫夏草(ハナサナギタケ)を採取し,カイコ乾燥蛹で育成した冬虫夏草;B, 老化促進マウスにカイコ冬虫夏草抽出物を経口投与して得た海馬の組織切片,上図は老化促進マススの海馬で神経膠症が観察され,下図は抽出物の経口投与で神経膠症が消失,Tsushima et al.(2010)を改変.

このマウス実験のエビデンスを基盤として,岩手医科大学医学部の神経内科・老年科分野の寺山靖夫教授(当時)の指導で,アルツハイマー病型認知症(AD)患者でパイロット試験を行った.髄液中のアセチルコリン濃度が脳内のアセチルコリンを反映することから,AD患者10例(平均年齢76歳)に対して,プラセボまたはカイコ冬虫夏草入り粉末カプセル1.6 g/dayを8週間服用した.その結果,髄液中のアセチルコリン濃度が投与群で有意に増加したことから,カイコ冬虫夏草がADの脳機能改善に対して機能性食品または医薬品候補物質につながる可能性が指摘された(8)8) 寺山靖夫,大塚千久寿,鈴木幸一:岩手医雑,68, 223 (2016).

カイコ冬虫夏草からのナトリードの発見と機能解析

新たに製造したカイコ冬虫夏草の抽出物からグリア細胞のアストロサイト(星状膠細胞,新生児の大脳からの初代培養)の増殖を指標として,8段階の精製工程を経て最終的に単離したところ,アミノ酸4個からなる環状ペプチドであることを決定した.これは新規の環状ペプチドでありエスペラント語でナトリード(Naturido)と命名し,‘Naturo’は「自然」の意味で,‘id’は「子供たち・子孫」の接尾辞による合成語に由来する.

このナトリードは濃度依存的にアストロサイトを増殖した.また,もう一つのミクログリア(成体マウスの大脳からの初代培養)にナトリードを添加すると,インターロイキン-1β(サイトカインの1種)のmRNAに変化はないが,炎症物質のクロモグラニン(CGA)の添加でインターロイキン-1βのmRNAは急増する.しかし,CGAと同時にナトリードを添加するとこのmRNAは完全に抑制された.すなわち,ミクログリアではナトリードによる抗炎症効果が明らかになった.

さらに,胎児海馬からの初代神経細胞を用いてナトリードによる効果を検証した.その結果,神経細胞の樹状突起数の増加と軸索の伸長を促進した.これらの効果は,神経栄養因子(NGF)と神経分泌ペプチド(VGF)と同等かそれ以上の効果を発揮した.NGFとVGFは脳疾患のペプチド創薬として研究開発されているものであり,ナトリードもまたぺプチド創薬の可能性が期待できる.

一方in vivo実験としては,京都大学が開発した老化促進マウスSAMP8系統を選び,コントロールには正常老化マウスのSAMR1系統を使用した.世界中でアルツハイマー病のモデルマウスとして使用されているSAMP8系統では,記憶力が低下し脳を含めた各臓器から毛髪までの老化が確認されている.2つの系統のマウスに2.5 µg/kg/dayまたは25 µg/kg/day濃度のナトリードを7週間経口投与した.モリス水迷路実験の結果,SAMP8の老化促進マウスの低下している空間認識がナトリードの経口投与でSAMR1レベルまで改善が確認された.さらに,毛髪の評価に走査型プローブ顕微鏡を用いて表面構造を観察した結果,SAMP8で確認されていたダメージ傷はナトリードの経口投与で消失しコントロールのSAMR1レベルまで回復した.これらの結果から,老化促進マウスへのナトリードの経口投与では空間記憶の改善と毛髪のアンチエイジング効果が明らかになった.

ナトリードによる培養細胞実験と経口投与実験から,図4図4■新規物質ナトリードによる「グリア細胞-神経細胞の相互作用(コミュニケーション)」の調整(Ishiguro et al., 2021の提案概要)のようにまとめられる.アルツハイマー病認知症の医薬品は基本的には,アセチルコリンエステラーゼ阻害剤である.しかも,2019年には132の化合物候補が合成されているが成功例は少ない.われわれの論文ではアルツハイマー病を含んだ脳疾患薬の開発の場合,神経細胞だけ,グリア細胞の中のアストロサイトだけまたはミクログリアだけを標的とした研究戦略では限界があり,「グリア細胞-神経細胞の相互作用(コミュニケーション)」という包括的な視点からのアプローチが重要であると提案している(9)9) S. Ishiguro, T. Shinada, Z. Wu, M. Karimazawa, M. Uchidate, E. Nishimura, Y. Yasuno, M. Ebata, P. Sillapakong, H. Ishiguro et al.: PLOS ONE, 16, 1 (2021).

図4■新規物質ナトリードによる「グリア細胞-神経細胞の相互作用(コミュニケーション)」の調整(Ishiguro et al., 2021の提案概要)

おわりに—養蚕イノベーションの専門的見解とナトリードの神経科学的特性

養蚕イノベーションについては,農学分野以外の専門家の青山学院大学経営学部の薄上二郎教授によって調査分析され,『地域ブランドのグローバル・デザイン』が上梓された(10)10) 薄上二郎:“地域ブランドのグローバル・デザイン”,白桃書房,2020, p. 213..この著書のなかで,従来の領域で進む「繊維型イノベーション」と,繊維型の領域を離れて行われる「非繊維型イノベーション」の2つがあり,後者はデザイン・ドリブン・イノベーション(design driven innovation)と説明されている.デザイン・ドリブン・イノベーションとはプロダクトデザインという意味に限定されず,製品開発全体やビジネスモデルに至る広い概念を含み,製品に新しい意味を見いだすことによって,既成の概念にとらわれないイノベーションが生まれると,解説されている.

この既成の概念にとらわれない本説での骨子となる養蚕イノベーションとカイコ冬虫夏草からの新規物質のナトリードをまとめてみる.前者では,これまでの繭価格で支配されることなく,若い世代が生き甲斐をもち技術的な革新の伴う「スマート養蚕」が基盤になる.そして,生産物によって食べる桑・食べるシルク・食べるカイコ冬虫夏草からの特異的な生物活性物質を含んでいる商品が,医薬品を超えるような健康食品や健康補助食品として市場に出回ることが期待できる.

一方で,2018年2月7日に東宝(株)から『モスラ復活大作戦』と題したニュースリリースが配信された.養蚕イノベーションの趣旨に賛同した東宝(株)が,幼虫から繭を経て成虫へと進化する東宝怪獣「モスラ」をわれわれのプロジェクトのメインキャラクターとして使用することを許可したのだ.これはやはり従来の概念にとらわれない広報役として,オリジナル性の高い啓発ポスター,チラシ,リーフレットなどに「モスラ」を使用できることが大きな特徴である.

もう一つの「ナトリード」は大学発ベンチャーから発見されたもので,神経科学分野での重要な意義がある.「20世紀は神経細胞のDoctrine(主義)に縛られ,その先にはグリア細胞がある」という提案から(11)11) R. D. Fields: Sci. Am. Mind, 17, 20 (2006).,次から次とグリア細胞(アストロサイト,ミクログリアなど)の新しい機能が明らかにされ,1,000億個の神経細胞の10倍もあるグリア細胞に焦点が当たっている.アルツハイマー病を含む認知症のみならず脳疾患の医薬品開発では,盛んに「グリア-神経細胞の相互作用(コミュニケーション)」の重要性が指摘されている.しかし,この相互作用を同時に調節,または促進する生物活性物質はこれまで発見されていない.われわれの研究論文(バイオコクーン研究所,岩手大学,大阪市立大学,九州大学,岩手医科大学)では,ナトリードが複雑な脳の仕組みの「グリア-神経細胞の相互作用(コミュニケーション)」を統括的に捉えるための試金石になると考えている(9)9) S. Ishiguro, T. Shinada, Z. Wu, M. Karimazawa, M. Uchidate, E. Nishimura, Y. Yasuno, M. Ebata, P. Sillapakong, H. Ishiguro et al.: PLOS ONE, 16, 1 (2021).

農学の蚕糸学分野から生まれた岩手大学発ベンチャーの柱となる「養蚕イノベーション」と「ナトリード」を基軸としながら,地方創生と神経科学を通じて社会貢献に務めたい.

Reference

1) M. Tsushima, K. Yamamoto, M. Goryo, F. Suzuki & K. Suzuki: J. Insect Biotechnol. Sericology, 79, 45 (2010).

2) 鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 59 (2016).

3) シラパコング=ピヤマース,鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 69 (2016).

4) 苅間澤真弓,鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 75 (2016).

5) 石黒慎一,対馬正秋,シラパコング=ピヤマース,鈴木幸一:蚕糸・昆虫バイオテック,85, 63 (2016).

6) 竹田 敏:“幕末に海を渡った養蚕書”,東海大学出版部,2016, p. 138.

7) 日本冬虫夏草の会:“冬虫夏草生態図鑑”,誠文堂新光社,2014, p. 303.

8) 寺山靖夫,大塚千久寿,鈴木幸一:岩手医雑,68, 223 (2016).

9) S. Ishiguro, T. Shinada, Z. Wu, M. Karimazawa, M. Uchidate, E. Nishimura, Y. Yasuno, M. Ebata, P. Sillapakong, H. Ishiguro et al.: PLOS ONE, 16, 1 (2021).

10) 薄上二郎:“地域ブランドのグローバル・デザイン”,白桃書房,2020, p. 213.

11) R. D. Fields: Sci. Am. Mind, 17, 20 (2006).