Kagaku to Seibutsu 59(9): 435-440 (2021)
解説
ネコがマタタビに反応する生物学的意義の解明マタタビへの顔の擦り付けは蚊への化学防除を可能にする
The Biological Significance of the Silver Vine Response in the Domestic Cat: Face and Head Rubbing against Silver Vine Allows Cats to Gain Chemical Defense against Mosquitoes
Published: 2021-09-01
蚊は,人類の大敵である.蚊に吸血されると,かゆみが生じるだけでなく,生命を脅かすさまざまな伝染病,たとえば熱帯地域では,マラリアなどに感染する恐れもある.そこで人類は古くから植物からの抽出物を使って蚊を化学防御してきた.このような生存戦略をとった動物は,人類だけではない.たとえばオマキザルやハナジロハナグマなどの動物は柑橘類の果実の皮を身体に擦り付け,その忌避効果を利用していることが知られている(1)1) P. J. Weldon, J. F. Carroll, M. Kramer, R. H. Bedoukian, R. E. Coleman & U. R. Bernier: J. Chem. Ecol., 37, 348 (2011)..つまりヒト以外の動物も進化の過程で病原体を媒介する蚊から身を守る化学防御術を身に着けてきたようである.本稿では,ネコでよく知られたマタタビ反応も実は蚊の攻撃から身を守る重要な行動であるという予想外の知見が得られたので(2)2) R. Uenoyama, T. Miyazaki, J. L. Hurst, R. J. Beynon, M. Adachi, T. Murooka, I. Onoda, Y. Miyazawa, R. Katayama, T. Yamashita et al.: Sci. Adv., 7, eabd9135 (2021).,この発見に至った経緯を紹介する.
Key words: ネコ; マタタビ; イリドイド; 嗅覚; 忌避
© 2021 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2021 公益社団法人日本農芸化学会
ネコがマタタビやキャットニップなどの植物を大好物とすることは世界中で知られている.ネコにマタタビやキャットニップを与えると,舐める,噛む,顔を擦り付ける,そして地面にごろごろ転がる,といった特徴的な一連の反応が観察できる(図1図1■ネコのマタタビ反応の様子).日本ではこのネコのマタタビ反応は古くから知られていたようで,300年以上前の農業指南書「菜譜」に「またたび,猫このんで食す」と記されている.また江戸時代に月岡芳年が描いた浮世絵「猫鼠合戦」にはマタタビでネコを酔わせ腰砕けにしているネズミの様子が描かれている.ネコのキャットニップに対する反応も250年前にイギリスの植物学者により報告されている.これらの植物からネコに特異な反応を引き起こす活性物質を探索する試みは,国内外で1950年代から60年代にかけて盛んに行われていた.日本では天然物化学の第一人者,目武雄(さかんたけお)博士らによってマタタビから,アクチニジンとイリドミルメシン,イソイリドミルメシン,ジヒドロネペタラクトン,イソジヒドロネペタラクトンなど「マタタビラクトン」と称された複数のイリドイド化合物(図2図2■マタタビやキャットニップに含まれるネコに特異な反応を誘起する活性物質の化学構造)が同定された(3~5)3) 村井不二男:日本化學雜誌,81, 1324 (1960).4) 目 武雄:化学教育,24 (1964).5) 目 武雄,藤野 明,村井不二男,鈴井明男,仏願保男:天然有機化合物討論会講演要旨集,3, 219 (1959)..同時期に海外ではキャットニップからやはりイリドイド化合物の一つであるネペタラクトンが活性物質として同定された(6)6) J. Meinwald: J. Am. Chem. Soc., 76, 4571 (1954)..マタタビやキャットニップに対する特異な反応は,ヒョウやライオンなどネコ以外のネコ科動物にも見られる(7, 8)7) J. O. Hill, E. J. Pavlik, G. L. Smith III, G. M. Burghardt & P. B. Coulson: J. Chem. Ecol., 2, 239 (1976).8) S. Bol, J. Caspers, L. Buckingham, G. D. Anderson-Shelton, C. Ridgway, C. A. Buffington, S. Schulz & E. M. Bunnik: BMC Vet. Res., 13, 70 (2017)..一方,マタタビ反応は顕性遺伝して,約3割のネコはマタタビやキャットニップに反応しないことも知られている(8, 9)8) S. Bol, J. Caspers, L. Buckingham, G. D. Anderson-Shelton, C. Ridgway, C. A. Buffington, S. Schulz & E. M. Bunnik: BMC Vet. Res., 13, 70 (2017).9) N. B. Todd: J. Hered., 53, 54 (1962)..しかしなぜネコ科動物だけがイリドイド化合物を含む植物に特異な反応を示すのか,マタタビ反応の生物学的な意義や発動の仕組みについては全くわかっていなかった.そこで筆者らは,ネコのマタタビ反応に関するこれらの謎を解明したいと考え以下の研究を行った.
目博士らの報告には,複数のイリドイド化合物のうち,どの物質が最も強力な活性を示すか明確に記されていなかったため,私達は,まずネコにマタタビ反応を誘起する活性物質の再検証から研究をスタートさせた.マタタビ葉からクロロホルムとメタノールを使って全脂質を抽出し,それをまず順相系の液体クロマトグラフィーで分画して,各画分をネコに嗅がせてマタタビ反応を誘起させる成分を含む画分を探索した.その結果,2つの画分にマタタビ反応を誘起する活性を認めたが,興味深いことにマタタビラクトン類が含まれていた画分よりもそれらを含んでいない画分のほうが,マタタビ反応を誘起する時間が長いことがわかった.そこでこのマタタビラクトンを含まない画分には過去に報告のない強力な活性物質が含まれていると考え,逆相系のカラムを用いた液体クロマトグラフィーで未知のマタタビ活性物質の精製を進めた.その結果,最終的に過去の研究で報告のなかった「ネペタラクトール」というやはりイリドイド化合物が,マタタビラクトンを含まない活性画分に含まれていたことを見いだした.化学合成したネペタラクトールを染み込ませたろ紙をネコに提示すると,ネコはろ紙に対してしきりに顔や頭を擦り付け,床にごろごろ転がる典型的なマタタビ反応を示した(図3図3■ネペタラクトールに対するネコの反応と葉に含まれる含量).そこで次にネペタラクトールのネコに対する反応を誘起する時間をほかのイリドイド化合物と比較してみた.その結果,ネペタラクトールとキャットニップに含まれるネペタラクトンは,ほかのイリドイド化合物よりも長く顔の擦り付けや地面に転がる反応を引き起こすことが明らかになった.さらにマタタビ葉に含まれるネペタラクトールの含量(20.7 µg/g湿重量)は,ほかのイリドイド化合物の含量の10倍以上であることもわかった.大阪の天王寺動物園と神戸市立王子動物園の協力のもと,ジャガー,アムールヒョウ,シベリアオオヤマネコなどのネコ科動物にもネペタラクトールを提示してみたところ,これらのネコ科動物もネペタラクトールを嗅いだ後に顔を擦り付け地面に転がるマタタビ反応を示した.以上の結果,本研究の一つ目の大きな成果として,ネコ科動物に作用してマタタビ反応を誘発する重要な活性物質は,ネペタラクトールという過去の研究で報告のなかったイリドイド化合物であることが明らかになった.