書評

新スタンダード栄養・食物シリーズ17「有機化学の基礎」森光康次郎・新藤一敏著 B5判,176頁,本体価格2,600円 東京化学同人,2021年4月

松島 芳隆

東京農業大学・農芸化学科

Published: 2021-10-01

農学系・生命科学系の学科に所属する学生ならずとも,普段から食品として口にしているものが炭水化物やタンパク質,脂質などの「有機化合物」でできていることは知っているだろう.「有機化学」を学習すると,そのような身近な化合物の性質を知ることができる.さらに生化学や食品化学,栄養学などの専門科目を深く学ぶためには,基本となる「有機化学」の学習は避けて通れない.

しかしながら,有機化学は高校化学で学ぶ時期が遅いこともあり,受験勉強のときに丸暗記で対処した学生も多いだろう.さらに,入試で化学を選択しないで入学する学生も増えている.有機化合物の構成元素は一般に少ないが,特に炭素の結合の組み合わせによって多種多様な化合物が存在するため,大学の有機化学を丸暗記で済ませることは困難である.あるいは,丸暗記を試みることで有機化学が嫌いになってしまうこともあるだろう.そんなとき,有機化合物の「基本のキ!」を押さえるために本書のような「有機化学の基礎」の学習を手助けする教科書が役に立つ.

本書はまえがきにも書かれている通り,物理化学(理論)的な内容は最小限に抑え,基礎的な内容が非常に丁寧にわかりやすく記述されている.大学で「有機化学」を学び始めた学生は有機化合物の命名法でつまずくことが多い.命名は有機化学の本質ではないとは言え,基本的な化合物については,その名前から構造がわからないと困るのも事実である.本書は命名法について特に明解であり,初学者も困ることはないだろう.また,食物栄養系で学ぶ有機化合物(糖,脂質,アミノ酸等)は立体異性体を有するものが多いため,特に立体化学の理解は重要である.本書はこの点でもたいへんわかりやすく記述されており,食物栄養系で利用されている他の教科書と差別化できる内容となっている.さまざまな有機化合物の合成反応でよく利用されるGrignard試薬やFriedel-Crafts反応など,生体分子とは関連の低いものは省略されている.一方,エステルの加水分解,アルドール反応,クライゼン縮合などの生体内で起こる反応については反応機構が詳細に解説してあり,糖質や脂質,タンパク質の加水分解反応,解糖系やTCA回路,脂肪酸の生合成など,生体における重要な有機化合物の反応が理解できるように工夫されている.そのほか,トランス脂肪酸や飲料に入っている糖類の違い,プリンのカラメルが茶色となる理由,シッフ塩基(イミン)の形成で始まるメイラード反応によってフライドポテトの香り成分が生じる理由,ビタミンCやEのはたらきなど,食品化学にまつわる興味深いトピックが取り上げられているのも本書の特徴である.

高校化学で学習する有機化学の内容は非常に少ない.それに食物・栄養系の有機化学では幸い難解な理論はほとんど必要ない.高校化学の勉強が不十分な場合でも,大学入学後に勉強すれば十分に他の学生に追いつき追い越せるので安心してコツコツ勉強してもらいたい.本書は,食物栄養学系の科目を学ぶ学生にとっての入門的な有機化学の教科書として最適な書籍の一つと言えるだろう.