Kagaku to Seibutsu 59(11): 534-542 (2021)
解説
ビールづくりの鍵:ホップと酵母の相互作用ホップと酵母の相互作用のメカニズム解明
Key of Beer Brewing: Interaction Between Hops and Yeasts: Elucidation of the Mechanism of Interaction Between Hops and Yeasts
Published: 2021-11-01
ホップはビールに特有の苦味と香りを付与する原料であるが,香味以外にも抗菌性の付与,清澄性や泡もちといった外観安定性にも関与しており,ビールにとってなくてはならない原材料の一つである.近年,クラフトビールの世界的な流行に伴い,ホップの香りを強調したビールの需要が増えてきている.キリングループでは,発酵中にホップを添加することにより,ビールに豊かなホップ香を付与する技術(ディップホップ製法)を開発した.ディップホップ製法を深耕するにあたり,この技術はホップ香を付与するだけでなく,発酵中にホップと酵母との相互作用による新たな効果があることが示唆された.そこで,発酵中でこれらの相互作用がビールの品質へ及ぼす影響を明らかにすることを試みた.発酵経過や各成分への影響を詳細に検証したところ,これらの相互作用の効用とその機構の一端を明らかにすることができた.本稿では,これらの最新の研究成果と応用について解説する.
Key words: ビール; ホップ; 酵母; 発酵; プリン体
© 2021 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2021 公益社団法人日本農芸化学会
ビールは,人類の記録に残された最も古い飲み物の一つであり,その歴史はおよそ5000年も昔に遡ることができる(1)1) W. Kunze: “Technology Brewing and Malting (4th revised English Edition)”, VLB Berlin, 2010, p. 21..ビールをつくる様子が最初に描かれたのは紀元前3000年頃であり,粘土板遺跡「モニュマン・ブルー」にビールをつくる様子が楔形文字で描かれている(2)2) キリンホールディングス:キリンビール大学 ビールの歴史,https://www.kirin.co.jp/entertainment/daigaku/HST/hst/no1/.当時のビールの製法は,まず麦を乾燥して粉にしたものをパンに焼き上げ,このパンを砕いて水を加え,自然に発酵させるという方法だったと推測されている(3)3) ビール酒造組合:ビールの歴史,https://www.brewers.or.jp/tips/histry.html.また,紀元前1500年頃には,ピラミッド内部の壁画にもビールづくりの様子が描かれている.古代エジプトでは,ピラミッドの建設で働いた人々にはビールが配給されていた(4)4) キリンホールディングス:世界のビールの歴史,https://www.kirin.co.jp/customer/bi-ru3/tisiki_03.html.当時ビールは大事な栄養源であるとともに労働の対価でもあった.そして,西アジア原産といわれるホップがヨーロッパに伝来したのは8世紀半ばとされる.ドイツ南部バイエルン州のハラタウで,スラヴ系ヴェント人の戦争捕虜がホップの栽培をおこなったのが最初といわれている(5)5) 大草 昭:ビール・地ビール・発泡酒,文芸社,2000, p. 185..しかし,この時点でホップがビールに添加されたという記録はない.822年にドイツ北部ヴェーヴェルンのコルヴァイ修道院で,ホップ入りビールが醸造された最古の記録が残っている.しかし,その後北部でホップの添加が定着した形跡はなく,ビールといえば種々のハーブを複雑に配合して造るグルート・ビールの時代が長く続いた(6)6) 山本幸雄:ビール礼賛,東京書房社,1973, p.60..
12世紀初頭になり,ドイツ南部ビンゲンの女子修道院長でありドイツ薬草学の祖と称されるヒルデガルトがビールにおけるホップの特性について初めて詳細な記述をおこない,ホップが注目されるようになった(7)7) 村上 満:ビール世界史紀行,東洋経済新報社,2000, p. 35..ホップは,抗菌性においても香味においても優れていた.以降ホップの名は徐々に浸透し,北部ではアインベックが14世紀半ばにいち早くホップ入りビールを販売し名声を確立した.一方,ホップ発祥の地である南部では15世紀からホップ入りビールが主流となり,やがて北部にかわって醸造業を牽引していくことになる.1516年にドイツで制定された「ビール純粋令」では,「ビールは大麦,ホップ,水のみを原料とすべし」と定められている.これは,ホップがビール造りの主役の1つであることが公式に認められたことを意味している.現在,日本でも酒税法におけるビールの定義の1つは「麦芽,ホップおよび水を原料として発酵させたもので,アルコール分が20度未満のもの」となっており,ホップがビールにとって欠かせないものになっている.最近の日本人の飲酒動向調査によると(8)8) 日本酒造組合中央会:「日本人の飲酒動向調査」,https://www.sakagura-press.com/wp-content/uploads/2017/05/【日本酒造組合中央会】調査リリース.pdf (2017).,飲んだお酒の種類で一番多いのはビール,次いで日本酒,ワインという結果になっており,ビールは多くの人々に楽しまれるお酒の1つとなっている.ビールは,麦芽,ホップ,水を主な原料とし,酵母による発酵を経て造られる.そのため原料に直接由来する香り以外に,たとえばアミノ酸や脂肪酸,糖などから発酵を経て作られる香りなどが含まれ,ビールの香りやおいしさの設計には多数の香気成分がかかわっていることが知られている(9)9) T. Kishimoto, S. Noba, N. Yako, M. Kobayashi & T. Watanabe: J. Biosci. Bioeng., 126, 330 (2018)..
労働の対価としての歴史があるビールであるが,近年の健康志向の高まりにより,おいしいビールを飲むことを心の底から楽しめない人が増えているのではないかという推測がある.さまざまな健康に関する商品が市場を賑わせている中,アルコール飲料も例外ではなく,ビール系飲料においても糖質以外にプリン体ゼロやオフを謳った商品が多数販売されている.プリン体は核酸を構成する成分の1つで魚卵などに多く含まれているが,ビールをはじめさまざまな食品に含まれている.プリン体は肝臓で分解されて尿酸が生成するが,尿酸は一定の濃度以上になると血中で結晶化し,痛風等体に悪影響を及ぼすことがあるため,さまざまなプリン体を低減した商品の開発がなされてきた.しかし,ビールにおいては従来のプリン体を低減する製法では香味の幅が限定されてしまうため,ビールのおいしさの維持とプリン体の除去の両立が難しかった.お酒を飲む効用として「リラックスした気分になれる」,「ストレス解消」を挙げられるお客様も一定数存在するため,プリン体が気になって飲酒を制限される方々からおいしくてプリン体が少ないビールが求められてきた.このような背景もあり,われわれはおいしいビールを健康を維持して楽しんでいただくための研究開発を行ってきた.ホップや酵母は,ビールに香りとともに「個性」を与える重要な役目を担うことから,今回特にホップと酵母の相互作用が生み出す香味への影響だけでなく,プリン体を中心とした健康に関係する成分への影響についても着目することとした.以下,ビールの造り方,ホップと酵母のそれぞれの特徴,酵母とホップの香りに関する知見について概説した後,今回新たに見いだしたホップと酵母の相互作用が発酵に与える影響について紹介する.
一般的なビールの造り方を以下に記す.まず大麦に水を含ませ発芽・乾燥させることで,ビールの原料となる麦芽を作ること(製麦)からビール造りは始まる.その麦芽を砕いて,温水の醸造用水に混ぜて緩やかに温度を上げると,「もろみ」という麦のお粥ができる.もろみ中では麦芽に含まれる酵素の働きにより,デンプンが酵母に食べられる糖の大きさへと分解され,さらにタンパク質は酵母の栄養源となるアミノ酸やペプチドへ分解される(糖化).糖化は40~80°Cの温度で1~2時間かけて行われる.その後,もろみの中の麦芽の穀皮などの固形物を取り除くために濾過を行い(麦汁濾過),麦汁が作られる.ここにホップを加えて煮込む(煮沸)ことで麦汁は殺菌されると共に麦汁中の酵素の活動も止められるが,この工程でホップ由来の香りと苦味が付与される.煮沸した麦汁の中から,ホップに由来する固形物や不溶なタンパク質などを濾過により取り除き,酵母が働きやすい温度まで冷却する.冷却した麦汁を発酵タンクに移して酵母を加えて一週間ほど低温発酵させると,酵母が麦汁中の糖分をアルコールと炭酸ガスに分解し,若ビールが造られる(主発酵).麦汁に含まれる糖の濃度により,ビールのアルコール度数が決定する.その後,1~2カ月ほどタンク内で低温貯蔵し,熟成(後発酵),濾過され,容器に詰められてビールとして出荷される(図1図1■ビールのつくり方).
ホップはアサ科の多年生植物で,紀元前から西アジアやヨーロッパの産地に野生のホップが自生していたとされている.ホップは,時計回りに蔓を巻きつけながら7~12 mの高さまで成長する雌雄異株の植物であり,ビール用としては雌株だけが使用される(11)11) ギレック・オベール:ビールは楽しい! LA BIERE C‘EST PAS SORCIER,パイインターナショナル,2019, p. 18..雌株の花序は40個ほどの小花の集合体で,緑色の苞の外側に長い白い柱頭が伸び出ていて全体がブラシのように見えるため,毛花とも呼ばれている.花粉に巡り逢えない毛花の柱頭は,やがて外苞や内苞が肥大・発育して,緑色の松かさのような形状になる.これがいわゆる毬花で,成熟すると苞の茎部などに黄金色の粘り気のある顆粒(ルプリン)が作られ,これがホップ特有の苦みと香りをビールに与える.また,このルプリンに由来する成分は雑菌の繁殖を抑えて腐敗を防ぐほか,過剰なタンパク質を沈殿させて濁りを少なくし泡立ちをよくする効果がある.
一方,ホップには睡眠改善作用(12)12) L. Franco, C. Sánchez, R. Bravo, A. Rodriguez, C. Barriga & J. C. Juánez: Acta Physiol. Hung., 99, 133 (2012).,更年期障害改善作用(13)13) A. M. Keiler, O. Zierau & G. Kretzschmar: Planta Med., 79, 576 (2013).,胃液の分泌増加作用(14)14) T. Kurasawa, Y. Chikaraishi, A. Naito, Y. Toyoda & Y. Notsu: Biol. Pharm. Bull., 28, 353 (2005).,骨密度低下抑制作用(15)15) 田隝 修,形山幹生,折原友美,永野伸郎,園部広美:日本栄養・食糧学会総会講演要旨集,57, 203 (2003).,花粉症緩和作用(16)16) S. Segawa, Y. Takata, Y. Wakita, T. Kaneko, H. Kaneda, J. Watari, T. Enomoto & T. Enomoto: Biosci. Biotechnol. Biochem., 71, 1955 (2007).など多くの健康機能があることが知られており,ヨーロッパでは薬用ハーブの一つとして古くから利用されてきている.キリングループではホップの健康効果に着目した研究開発を2000年初頭から続けており,ホップには「認知機能改善効果」(17)17) T. Fukuda, T. Ohnuma, K. Obara, S. Kondo, H. Arai & Y. Ano: J. Alzheimers Dis., 76, 387 (2020).と「体脂肪低減効果」(18)18) K. Obara, M. Mizutani, Y. Hitomi, H. Yajima & K. Kondo: Clin. Nutr., 28, 278 (2009).があることを見いだした.健康分野で幅広く活用できる可能性があり,たいへん興味深い素材である.
ビール醸造工程におけるホップの主な役割として,苦味づけと香りづけの2つが挙げられる.まず初めにホップによる苦味づけについて,麦汁煮沸中にホップに含まれるα酸は異性化されビールの苦味の素であるイソα酸に変化する.α酸は3種の同族体の混合物で,アシル側鎖が異なるフムロン,コフムロン,アドフムロンからなる.異性化はそれぞれに起こり,イソフムロン,イソコフムロン,イソアドフムロンができるが,これらの化合物について官能上の苦味の質的違い,強度の差異が論じられている(19)19) V. E. Peacock: European Brewing Convention monograph XXII, Symposium on hops Zoeterwoude, 247–250, (1994)..
次にホップによる香りづけについて,3つの製法を紹介する.香気成分は高温では揮発するため,香りづけのためのホップは麦汁煮沸の後半や煮沸後の静置中に添加することが一般的とされており,この製法をレイトホップ製法(図2図2■ビール醸造におけるホップの使用方法①)と呼ぶ.一方,香気成分を揮発させずにホップ香気を最大化するために,発酵後の貯蔵のタイミングでホップを添加することがあり,この製法をドライホップ製法(図2図2■ビール醸造におけるホップの使用方法②)と呼び,インディアペールエール(IPA)で使用されている方法である.さらに後述するが,キリングループでは,煮沸が終わり冷ました後,発酵を始める時点(発酵初期)でホップを添加するディップホップ製法(図2図2■ビール醸造におけるホップの使用方法 ③)を開発し,実用化している(20)20) 村上敦司:醸協,115, 195 (2020)..
酵母は,みそ・しょうゆ・酒など日本人が昔から親しんできた伝統的な発酵食品を造る微生物として身近な存在である.では,酵母とは一体どのような微生物なのか.酵母は,5~10 µmの肉眼では見えない単細胞性の微生物で,細胞の形は球形,卵形など酵母の種類によって異なる(21)21) 高見伸治,西瀬 弘,大塚暢幸,長沢治子,土居幸雄:食品微生物学,建帛社,1999, p. 20..酵母は,植物や樹液,野菜や果物の表面,空気中など自然界のあらゆる場所に生息しており(22)22) アサヒ飲料:みんなの発酵BLEND,https://www.hakko-blend.com/study/b_02.html.糖類から炭酸ガスとアルコールを生成する(発酵)(23)23) 齋藤勝裕:「発酵」のことが一冊でまるごとわかる,ベレ出版,2019, p. 40..このアルコール発酵を利用して,古くからお酒の醸造が行われてきた.また,酵母の働きにより発酵の際にさまざまなお酒の特徴的な香り成分を生み出す.それらの中でも発酵により生成する酢酸エチルや酢酸イソアミル,カプロン酸エチルなどのエステル類はビールにとって重要な香気成分であり(24)24) C. White & J. Zainasheff: Yeast The Practical Guide to Beer Fermentation, Brewing Elements Series, 2010, p. 35.,たとえば酢酸エチルは,エタノールとアセチルCoAを前駆体として酵母によって作られる.一般に多くのエステル類は,適度な濃度であれば好ましい香りとして評価されるが(23)23) 齋藤勝裕:「発酵」のことが一冊でまるごとわかる,ベレ出版,2019, p. 40.,濃度が高いと不快臭となることもあり,ビール醸造においては発酵工程でのエステル類の濃度の制御がとても重要である.このように発酵中にはさまざまな代謝が同時に進行し,元の原料由来成分とは全く異なる成分が作られていく.その結果が,醸造物特有の香り,味,色として現れるのである.酵母は,ビール酵母,ワイン酵母,ウイスキー酵母,清酒酵母,焼酎酵母など,用途によって分類されている.酵母は種類が多く,どのような酵母を使うかによって,最終的なアルコール度数や香味成分が異なるため,それぞれの酒類の製造で適性の高い酵母を選抜して,使用されている.さらに酵母の種類と原料との組み合わせだけでなく,酵母添加量や発酵温度などによっても生成物や外観は大きく異なる.そのため,発酵をどのように制御し,どのように利用するかで食品の香味や品質が大きく影響される.発酵の制御は研究開発者にとっては奥深い世界を与えてくれるテーマである.
ここからは,ホップと酵母の相互作用に関する知見について紹介する.まず,既知のホップの香りに関する知見を紹介したのち,今回新たに解明したホップが酵母発酵に及ぼす影響について解説する.
まず初めに酵母の代謝による生物的作用がホップ由来成分に及ぼす影響について紹介する.ビールでは,ホップ由来の水溶性の高いテルペンアルコール類は微量でありながらもビールの香気に多大に寄与する.これらテルペンアルコール類はホップに含まれる前駆体(糖とテルペンアルコールが結合した配糖体)から糖が切られて生成する.そのため,ビール系飲料中のテルペンアルコールの組成は使用するホップの品種によって左右される.一方,酵母によるテルペンアルコールの代謝変換により良好なホップ香気を与えているという事も報告されている(25)25) 蛸井 潔,鯉江弘一朗,糸賀 裕,片山雄大,島瀬雅行,小杉隆之,中山康行,渡 淳二:日本味と匂い学会誌,16, 641 (2009)..キリングループはビール酵母,清酒酵母,ワイン酵母,ウイスキー酵母など合計約1, 100株からなる醸造用酵母バンクを保有,管理している.それぞれの酵母について発酵試験を行い,香味や醸造特性を評価してデータベース化しており,商品コンセプトに応じて酵母株を使い分けている.たとえば,このデータベースを活用し,ホップ由来のバラ様香気成分であるゲラニオールから柑橘様香気成分であるβ-シトロネロールへの高変換能を持つ酵母を選抜した.そして,本酵母を用いて仕込みと発酵の条件を制御することで,柑橘香と甘みが付与されたビールを造る技術を開発した(26)26) D. Wei, M. Tanaka, S. Takahashi, K. Iwasaki, H. Inadome, S. Yoshida & H. Oshimoto, World Brewing Congress (2016)..
一方,ビール以外の酒類においてもテルペンアルコール類の含量により酒類の香味も大きく変化することが知られている.たとえば,ワインのマスカット系の香気や,芋焼酎の蒸し焼きにした芋の芳香などの独特の風味にテルペンアルコール類が寄与し,これらは原料の収穫時期によって含量が変化することが知られている(27)27) 清水健一:醸協,89, 594 (1994)..これらのお酒においても酵母による前駆体の糖鎖の切断や代謝変換によって香気成分が造られている.このように酵母の代謝機能は,さまざまな酒類の香気制御に大きく影響していることが明らかとなってきた.
ディップホップ製法(図2図2■ビール醸造におけるホップの使用方法③)は概念的には,レイトホップ製法(図2図2■ビール醸造におけるホップの使用方法①)とドライホップ製法(図2図2■ビール醸造におけるホップの使用方法②)の間をとった製法と言える.レイトホップ製法では麦汁煮沸が終わったとはいえ,時間があまり経っていないのでタンク内の麦汁の温度は高く,ホップの香気成分が揮発しやすい.そのため,この製法ではホップ香気を強めるには添加するホップ量を増やさなければならないが,ホップの添加量を増やすと香気成分と共にα酸も多く添加することになり,結果として苦味が増大してしまう.これは,麦汁煮沸中,または煮沸後の静置中に熱によるホップ由来のα酸の異性化が起こり,イソα酸が増加するためである.一方で,ドライホップ製法の場合,添加したホップ由来の一部の刺激の強い香りが残ってしまうことがあるが,一般的に低温の貯蔵中にホップを添加するため,異性化によるイソα酸の生成は抑えられ苦味は強くならず,香気成分も揮発しない.しかし,香りの質が変わり,ホップ由来の樹脂様,松脂様等の強烈な刺激が付与されてしまい,好き嫌いが大きく分かれてしまう.この松脂様の香りの主成分は,ミルセンである.ミルセンを持たないホップ品種はなく,普遍的にホップに存在する成分と考えられる.過去の報告から(20)20) 村上敦司:醸協,115, 195 (2020).,ミルセンは酵母と共存することで酵母細胞表面に吸着されて減少することが示されている.つまり,加熱により死滅した酵母と共存させる試験を行ってもミルセンは減少し,一方で生きた酵母の細胞壁を酵素処理により分解するとミルセンの減少は起こらなくなる.このことから,ミルセンの減少は酵母の代謝による生物的作用ではなく,酵母の細胞壁への吸着による物理的作用によるものと考えられる(20, 28)20) 村上敦司:醸協,115, 195 (2020).28) Y. Noro, A. Murakami, J. Furukawa, Y. Kawasaki & R. Ota: ASBC Meeting (2015)..ディップホップ製法では,レイトホップ製法と異なり冷えた麦汁にホップを添加するため,香気成分の揮発が少なく,過度な苦味成分の生成も抑えられ,ホップ由来の香りを効率よく付与することができる.また,ドライホップ製法の場合はミルセンが残ってしまうことがあるが,ディップホップ製法では発酵時にホップを添加しているのでミルセンが酵母に付着するため,酵母を除くときに同時にミルセンも除去することができる.このように,ディップホップ製法により既存のホップ添加方法では実現できなかった,温和かつ印象的な香りをビールに付与することが可能となり,個性豊かな多様なビールづくりに活用されている.
発酵時にホップを添加したときの発酵経過や,発酵液に含まれる各成分への影響を検証した結果,以下のとおりホップが酵母や発酵へ与える3つの影響(発酵促進効果,硫黄系オフフレーバーの低減,プリン体量の低減)とその機構の一端を明らかにすることができた.それらの研究と応用について,紹介する.
発酵中でのホップ添加の有無による発酵への影響を詳細に比較したところ,ホップ添加により糖消費速度の上昇と浮遊酵母細胞数の増加が見られ(図3図3■ビール発酵液中の糖度と酵母細胞数の変化),酵母の増殖,発酵が促進されることを見いだした.貯蔵中にホップを添加するドライホップ製法では,ホップに内在する酵素によって非資化性糖の残糖が資化性糖に分解されるという報告があった(29)29) K. R. Kirkpatrick & T. H. Shellhammer: J. Am. Soc. Brew. Chem., 76, 247 (2018)..そこで,この発酵促進効果はホップに内在する糖代謝に関与する酵素の活性の影響によるとの仮説を立て,検証を行った.その結果,熱処理して内在酵素を失活させた状態のホップを添加しても発酵促進効果が認められたことから,ホップに由来する酵素の寄与は小さいと考えられた.一方で,発酵中にホップを添加することで,発酵液中の溶存炭酸ガス濃度が低下することを見いだした.過飽和状態の溶存炭酸ガスは,酵母の増殖を阻害することが知られている(30)30) R. P. Johnes & P. F. Greenfield: Enzyme Microb. Technol., 4, 210 (1982)..また,発酵中に固形剤を添加することによって,過飽和状態の溶存炭酸ガスが固形剤の疎水性基を核として炭酸ガスの気泡となり,親水性基と反発して発泡することにより炭酸ガスが飽和量レベルまで下がり,結果として溶存炭酸ガスが減少して酵母増殖が促進されることが報告されている(31)31) 竹崎道代,松浦一雄,広常正人,浜地正昭:醸協,88, 319 (1993).ディップホップ製法においても同様に,発酵液に存在するホップ固形分由来の疎水性基が溶存炭酸ガスの気泡形成と放出を促進し,発酵液中の溶存炭酸ガス濃度が減少すると考えられた.そこで,ホップ以外の固形分として過去の研究で報告がある活性炭(32)32) 福田典雄,平松幹雄,産本弘之,福崎智司:醸協,91, 279 (1996).やオレンジピール等を添加したところ,糖消費が促進されることが確認された.これらのことから,発酵中にホップを添加することによる酵母の増殖,発酵促進効果は,ホップ固体粒子に起因することが示唆された(図4図4■ディップホップ製法による発酵促進).
酵母の発酵によってビールに望ましくない香りも生成され,代表的なものとして硫黄系オフフレーバーが知られており,ビール業界ではその生成メカニズムの解明に向けて古くから研究されてきている(33)33) D. Thomas & Y. Surdin-Kerjan: Microbiol. Mol. Biol. Rev., 61, 503 (1997)..今回のわれわれの研究において,発酵中にホップを添加することによって硫黄系のオフフレーバーの1つである2-mercapto-3-methyl-1-butanol(以下,MMB)の生成量が低減することが観察された.MMBはネギ臭や汗様の香気であり(34)34) A. Olsen, B. W. Christensen & J. Ø. Madsen: Carlsberg Res. Commun., 53, 1 (1988).,苦味成分であるイソα酸に由来し,前駆体である2, 3-epoxy-3-methyl-1-butanalが硫化水素と反応して生成されることが報告されており(35)35) S. Noba, K. Kikuchi, N. Yako, T. Irie, M. Kobayashi & K. Uemura: J. Am. Soc. Brew. Chem., 79, 75 (2021)..硫化水素がビール中のMMBの生成における重要な因子となっている.ディップホップ製法では硫化水素が低減することが確認されているが,これは溶存炭酸ガスが液中から抜ける際に一緒に硫化水素が放出されたことが原因と考えられる.つまり,硫黄系化合物は一般的に揮発性が高いため,ディップホップ製法で発酵がより活発になると炭酸ガス生成量が増え,それに伴って硫化水素やMMBも発酵液から追い出される量が増えると考えられる(36)36) C. White & J. Zainasheff: Yeast the Practical Guide to Beer Fermentation, Brewing Elements Series, 2010, p.38.(図5(a)図5■ディップホップ製法による硫黄系オフフレーバの低減).これらのことからディップホップ製法では発酵由来の硫黄系オフフレーバーが低減し,良好なホップ香気を引き出すことができると考えられた.
また,キャピラリー電気泳動・飛行時間型質量分析装置(CE-TOFMS)を用いた酵母のメタボローム解析により,硫黄系オフフレーバーの低減は,酵母細胞内の硫黄代謝経路の活性化に起因する可能性が推察されている.具体的には,酵母の細胞内代謝物の変動をとらえるために,発酵開始から7日目まで経時的にサンプリングを行い,ディップホップの有無による酵母細胞内の硫黄系代謝物の経時変化を観察した.その結果,ディップホップ製法では硫化水素生成の律速となるO-アセチルホモセリン(OAH)(37)37) S. Yoshida, J. Imoto, T. Minato, R. Oouchi, M. Sugihara, T. Imai, T. Ishiguro, S. Mizutani, M. Tomita, T. Soga et al.: Appl. Environ. Microbiol., 74, 2787 (2008).の細胞内量が増え,硫化水素からホモシステインへの代謝(図5(b)図5■ディップホップ製法による硫黄系オフフレーバの低減)が活性化され,硫化水素の生成が抑えられる可能性が示唆された.このように硫化水素が速やかに代謝されたために,ビール中の硫黄系オフフレーバーが減少したと考えられる.ただし,本内容についてはまだ未解明な部分が多く,今後更なる研究が必要である.
ディップホップ製法の更なる効果として,ホップのアデノシン分解活性を活かしたプリン体の低減作用を見いだした.市販の各種ビール類におけるプリン体量を測定した結果,ドライホッピング製法で製造される商品のプリン体組成が通常とは異なり,プリン体の一種であるアデノシンがほとんど含まれておらず,アデニンが多く含まれることを確認した.そこで,ホップにはアデノシンをアデニンに分解する酵素活性があると考え,ビール発酵液にホップを添加し,プリン体成分を分析したところ,アデノシンが分解され,アデニンが生成されることが確認できた.一方,先行文献でドライホップ製法でのアデノシンの減少とアデニンの増加に関する報告があり,この現象は酵母代謝による影響と考察されていた(38)38) A. R. Spevacek, K. H. Benson, C. W. Bamforth & C. M. Slupsky: J. Inst. Brew., 122, 21 (2016)..そこで,発酵液中の酵母有無による影響も確認したところ,酵母有無にかかわらずアデノシンがアデニンに分解されることが明らかとなった.この分解はホップを熱処理すると観察されなくなったことから,ホップに含まれる酵素の作用によるものと考えられた.通常の麦汁煮沸工程でホップを添加する製法ではホップ由来の酵素は失活するが,ドライホップ製法のように低温の貯蔵工程でホップを添加する製法では酵素は失活せず,アデノシンの分解が観察されたと考えられる.
以上より,ホップはアデノシンをアデニンに分解する酵素活性があることを初めて明らかとした.ビール酵母はアデノシンを資化できないが,アデニンは資化できることが知られている(39)39) 柴野裕次,四方秀子,松本雄大,好田裕史,諏訪芳秀,天知輝夫,畠中治代,清水 昌:特許3824326号.そこで,この知見を活用してビール類のプリン体を低減する技術の開発を試みた.ドライホップ製法では,アデノシンはアデニンに分解されるものの,アデニンは酵母が一緒に存在していないために資化されず商品中に残存する.そこで,発酵時にホップを添加するディップホップ製法により,ホップ内在酵素により分解されたアデニンを酵母に資化させることができないか検討した結果,ホップにより分解されて生成したアデニンを酵母が資化し,発酵液中のプリン体量が低減することが明らかとなった(図6図6■ディップホップ製法によるプリン体低減).
以上のように,われわれの検討からホップを発酵時に添加するディップホップ製法は,苦味を抑えて華やかなホップ香気を付与することができることに加え,酵母の発酵を促進し,オフフレーバーを抑えることができることが明らかになった.また,非資化性のアデノシンを資化性のアデニンに分解することで,発酵液中のプリン体量を低減できることも明らかとなった.これらの知見を基に,工場で大規模に製造するための最適な工程条件の検討などの課題解決を行い,本製法をホップ由来の香味の優れたプリン体オフ商品の製造に応用することができた.これらのホップと酵母の協働(コラボレーション)によって生まれるさまざまな効果を活用することにより,ビールをおいしくするだけでなく,健康面に配慮した付加価値を持った商品の開発にも貢献することができた.
今回得られた研究成果を活用して,新商品の開発に貢献することができた.本技術をキリングループ商品の「おいしさ」や「健康への配慮(プリン体低減)」に関する科学的エビデンスとして活用し,新商品と連動した訴求を行うことができた.今後も,ホップと酵母の相互作用の原理原則の解明に向けた研究を進め,基礎研究から新たな市場創出への貢献を目指していきたい.
Reference
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