セミナー室

脂質の多様な構造特性と機能性化学的視座を縦糸に,生理機能を横糸として見る脂質の個性

Masato Abe

安部 真人

愛媛大学大学院農学研究科生命機能学専攻

Takayuki Iwata

岩田 隆幸

九州大学先導物質化学研究所

Published: 2021-11-01

はじめに

「脂質」とは生物試料の成分の中で脂溶性画分に分離される多様な化学物質の総称である.しかし,分子種としての定義は曖昧であり,一般的には「長鎖脂肪酸あるいは炭化水素鎖を持つ生物由来の分子」とされる.脂質は,糖質,タンパク質にならぶ三大栄養素のひとつであり,β酸化によるATP産生は生命のエネルギー獲得の主たる手段と言える.さらに近年,脂質の生体内における役割としてより重要視されているのは,細胞膜をはじめとする生体膜の主要な構成成分としての機能である.生体膜の脂質分子はそれぞれに関連をもつ膜タンパク質などへの相互作用を通じて膜を介した諸現象を支えている(1)1) 梅田眞郷:“生体膜の分子機構”,化学同人,2014..一方で,脂質の役割を知るための生化学的研究には,他の生理活性物質とは一線を画す三つの課題がある.一つ目は,脂質が能動的なシグナル伝達(2)2) D. W. Hilgemann, G. Dai, A. Collins, V. Lariccia, S. Magi, C. Deisl & M. Fine: J. Gen. Physiol., 150, 211 (2018).や酵素阻害といったメディエーターとして作用するだけでなく,受動的なストレス応答(3)3) M. Nakatogawa & H. Nakatogawa: Plant Morph., 30, 25 (2018).や温度感受性(4)4) H. Von Bank, M. Hurtado-Thiele, N. Oshimura & J. Simcox: Metabolites, 11, 124 (2021).といった機能をもつ点である.二つ目は,タンパク質がアミノ酸を,炭水化物が単糖を構成単位としてそれらの組み合わせによって成り立つのとは異なり,脂質分子は非常に多様な低分子から構成されることで化学構造の多様性に富む点である.特に,二次代謝産物や食物連鎖などの環境によって獲得した低分子を巧みに活用するものも多く,一義的に遺伝子やタンパク質の発現のみで制御することが困難である.つまり,脂質組成は生育環境などによって大きく変化する.三つ目は,脂質の研究には化学と生物の双方に跨って深く根を下ろした課題が含まれる点である.このことは,まさに脂質がもつ両親媒性に由来するところであり,本企画における話題の中心となる.脂質の特徴的な機能として,脂質二重層を形成して膜全体あるいは膜表面で働きを示す活性や,脂質分子の構造修飾によって大きく脂溶性を変化させる点などがあげられる.こうした現象は脂質の化学的特性と生理活性の双方から追究することで初めて理解することが可能になる.従来,脂質は生理機能を軸として語られることが多かった.そのため,化学構造に共通点のある脂質分子を研究対象とする研究者間であっても,交流の機会に恵まれないことも少なくない.一方で,既知の機能性脂質が,用途や対象を変えることで全く新しい働きが見いだされる事例も珍しくない.こうした事情から,全6回からなる本企画では敢えて化学的視座を縦糸,生理機能を横糸として脂質を見渡すことを狙いとした.その上で,脂質研究に携わる「化学」と「生物」の両分野から執筆陣を構成し,脂質分子でつながる新たな関連性を見いだしていけるよう取り組んだ.第1回となる本稿では,化学構造を軸に脂質の機能について整理したい.

脂質の化学構造と分類

脂質を化学構造で分類する際は一般に,単純脂質,複合脂質,および誘導脂質という3種に分ける.単純脂質では広義の脂肪酸モノエステル類が総称される.代表的なものは,アルコールと脂肪酸からなるエステルである中性脂肪であり,特に高級アルコールをもつものは蝋と呼ぶ.これら単純脂質は,アルコールと脂肪酸の組み合わせが多様であり,炭素数や不飽和度に応じた多彩な物理特性を示す.脂肪酸と一般化される一連のカルボン酸は,その多くが直鎖状であるが,炭素数は4~30個程度,不飽和結合は主としてシス型で0~6個がよく見られる.この不飽和結合は,飽和の単結合を間に挟んだスキップドジエンを部分構造とすることが多く,活性酸素種等による過酸化を受けるのもこの部位である.また,真核生物において脂肪酸はβ酸化による2炭素切断と,アセチルCoAとの縮合による2炭素伸長による調節を受け,主として偶数炭素長の脂肪酸が生合成される.近年はこれらに微生物の代謝が関連することで奇数炭素長の脂肪酸も微量成分として共存することが報告されている(5)5) 彼谷邦光:オレオサイエンス,20, 337 (2020).

一方で,不飽和結合の形成については動物では4種類のデサチュラーゼ(不飽和化酵素)が見つかっており,不飽和化する部位にちなんでΔ9, Δ6, Δ5, Δ4-デサチュラーゼとなっている(6)6) 秋 庸裕,小埜和久,鈴木 修:化学と生物,38,520 (2000).(Δnは脂肪酸の末端メチルを1とした序数).しかし,Δ9-デサチュラーゼがステアリン酸(C18:0)からオレイン酸(C18:1Δ9)を生成しても残る3つのデサチュラーゼの基質にはなり得ない.このため,ω-6系としてリノール酸(C18:2Δ9,12),ω-3系としてα-リノレン酸(C18:3Δ9,12,15)を必須脂肪酸として摂取する必要がある.不飽和化酵素により,α-リノレン酸から2度の不飽和化と2炭素伸長を受けることでエイコサペンタエン酸(EPA)が得られ,一部がさらに2炭素伸長とΔ4-デサチュラーゼの働きによってドコサヘキサエン酸(DHA)となる.同様に,ω-6脂肪酸はリノール酸を初発としてアラキドン酸が得られる.特に,エイコサペンタエン酸とアラキドン酸からは炎症応答にかかわる一連の誘導脂質(後述)が産生し,エイコサノイドと総称される(図2図2■アラキドン酸カスケードと関連脂質の生合成).

不飽和脂肪酸の摂取には海産魚油が好適であることも知られているが,エイコサペンタエン酸やドコサヘキサエン酸などの高度不飽和脂肪酸は海洋性細菌や植物プランクトンおよびラビリンチュラ類の生合成に由来する(7, 8)7) G. Lenihan-Geels, K. S. Bishop & L. R. Ferguson: Nutrients, 5, 1301 (2013).8) 伊東 信,渡辺 昴,崎山 亮,飯見勇哉,関根聡美,安部英理子:化学と生物,56, 338 (2018)..この事実が知られていない養殖漁業の初期においては,人工ふ化した稚魚の成育不良が頻発した.その後,試行錯誤を経て人工飼料への不飽和脂肪酸添加の有用性が発見されて解決し,今日に至っている(9)9) 竹内俊郎:化学と生物,29, 571 (1991).

複合脂質は,グリセロールまたはスフィンゴイド等を連結部として極性頭部と疎水性尾部をもつ(図1図1■複合脂質の分類).疎水性尾部には種々の脂肪酸が導入され,鎖長や不飽和結合の数を考えるとその種類は豊富である.さらに極性頭部の多様性を考えると,これらの組み合わせは膨大なものになる.実際,連結部にグリセロールを,極性頭部にリン酸基をもつリン脂質だけでも,数万種を超える分子が報告されている(10)10) R. Taguchi, T. Houjou, H. Nakanishi, T. Yamazaki, M. Ishida, M. Imagawa & T. Shimizu: J. Chromatogr. B Analyt. Technol. Biomed. Life Sci., 823, 26 (2005)..これら複合脂質の生理学的特性を大きく決定づけるのは極性頭部の構造である.そのため,極性頭部の化学構造に応じて分類されている.極性頭部がリン酸基またはリン酸エステルである一群はリン脂質に分類される.一方,グルコシル基やガラクトシル基,あるいは硫化糖であるスルホキノボシル基や3-スルホガラクトシル基などの広義の糖を極性頭部にもつ一群を糖脂質と呼ぶ.これと同時に,極性頭部と疎水性尾部の連結部によっても分類される.たとえば,グリセロールが連結部であればグリセロ脂質,スフィンゴイドならスフィンゴ脂質となる.極性頭部と連結部を併記して呼称する場合も多く,グリセロリン脂質やスフィンゴリン脂質というように,名前からその化学的・生理学的特性を想起しやすい(図1図1■複合脂質の分類).グリセロ脂質の脂肪酸部はエステル結合をもつものが多いが,プラズマローゲン類のようにグリセロール部のsn-1位がビニルエーテル結合またはエーテル結合であるものも見られる.スフィンゴ脂質では,スフィンゴイドがもつアルキル鎖に加えて,専らアミド結合を介して脂肪酸が導入される.こうした脂肪酸部の結合様式は直接的に脂肪酸の着脱性に影響するため,代謝やシグナリングといった動的な機能と密接に関係している.筆者(安部)が化学合成と機能解析に携わってきたカルジオリピンはグリセロールを極性頭部にもち,sn-1位と3位の両方にホスファチジルジアシルグリセロールを配した特異な化学構造を有している.

図1■複合脂質の分類

誘導脂質は,単純脂質および複合脂質から加水分解や酸化あるいは過酸化反応を経て生成した脂質である.広くイソプレノイドやテルペノイド(ステロイド類を含む),カロテノイド等もここに分類される.炎症系や血栓系作用する強力な生理活性物質であるエイコサノイドは,複合脂質から遊離した高度不飽和脂肪酸からプロスタノイドやロイコトリエン類などに誘導される.プロスタノイドはω-6系のアラキドン酸に由来し,シクロオキシゲナーゼ(COX)によってプロスタグランジンH2(PGH2)に酸化されてからそれぞれの合成酵素に分岐する.また,アラキドン酸がリポキシゲナーゼによって過酸化されるとロイコトリエン類に誘導される.これらをまとめてアラキドン酸カスケード(図2図2■アラキドン酸カスケードと関連脂質の生合成)と呼び,連続した酵素反応による制御と炎症誘導時の爆発的なメディエーター産生を担っている.興味深いことに,出発物質をω-3系であるEPAとした場合に産生するエイコサノイドは対応するプロスタノイドに拮抗して炎症抑制すると考えられている(11)11) 矢富 裕:血栓止血誌,22, 33 (2011)..加えてレゾルビン類,プロテクチン類,17S-HDHAなどは非拮抗的な炎症抑制効果が報告された(12, 13)12) J. Miyata & M. Arita: Allergol. Int., 64, 27 (2014).13) C. D. Buckley, D. W. Gilroy & C. N. Serhan: Immunity, 40, 315 (2014).

図2■アラキドン酸カスケードと関連脂質の生合成

一方,アラキドン酸を遊離させた1本鎖の複合脂質をリゾ脂質と呼び,その多様な生理的機能が近年大きな注目を集めている(14)14) 濱弘太郎,中永景太,青木淳賢:化学と生物,47, 703 (2009)..リゾ脂質の多くはリゾリン脂質であり,スフィンゴシン-1-リン酸やリゾホスファチジン酸などが知られている.リゾ脂質は,他の脂質に比べて水溶性が高く,「生体試料から得られる脂溶性成分」ではないことから,従来の脂質の定義に収まらない.また,この水溶性の高さは,リゾ脂質のメディエーターとしての機能に直結しており,血液や細胞質などの水溶液中へ素早く拡散できる.各リゾ脂質分子は,対応するホスホリパーゼ類の発現または調節によって膜脂質を基質とした産生を選択的かつ効率的に制御される.

脂質の生理機能解析のためには,対象とする脂質成分を精製して用いる必要がある.しかし,脂質成分の精製には両親媒性分子に特有の困難がつきまとう.すなわち,非水溶性である脂質は逆相HPLCに不適であることや,質量分析での検出に相性が悪い.こうしたことは,網羅的な探索研究をはじめとする種々の検討で克服すべき課題となる.筆者の経験から例を挙げると,抽出などで有機相に分配しなかったり,逆に極性溶媒への溶解度が低すぎたり,あるいはろ過しただけのつもりがほとんどろ材に吸着されて回収できなかったりといったことがしばしば生じる.これは解析や精製,あるいは有機合成に経験があればあるほど盲点を突かれるところがあり,研究者泣かせな側面と言えるだろう.

天然脂質の化学合成

天然脂質の多くは,細胞をはじめとする生体試料に豊富に含まれているため,これらから単離,精製して用いることができる.しかし,主に脂肪酸の多様性の豊かさゆえに,その化学的な組成は均一ではないことが多い.たとえば,不飽和度が異なる脂肪酸を完全に分離することは必ずしも容易ではない.このような不均一性のため,各脂質の化学構造とその機能との関係を明らかにする際には,似た構造の脂質を一括りにして議論せざるを得ないことも多い.また,生体試料から微量にしか得られないシグナル伝達分子などの脂質もある.これらの課題を解決するには,有機化学を駆使して高純度な脂質を標品として得る精密有機合成が大きく貢献してきた.脂質の詳細な合成法については,第6章にて詳述するが,ここでは特に天然脂質の合成において鍵となるリン酸化およびグリコシル化に絞って紹介したい.

アルコールのリン酸化反応は19世紀半ばから報告されているが,1940年代以降に核酸合成とともに発展してきた.そのため,リン脂質は主に核酸合成法を応用することで合成されてきたと言える.その合成法は(A)5価のリン酸化試薬を用いる方法と,(B)3価のリン酸化試薬を用いる方法に大別できる(図3図3■化学合成におけるリン酸化反応).手法(A)では主に5価P=O化合物を用い,代表的な試薬は塩化ホスホリル(1)やクロロリン酸ジフェニル(2)などである.塩化ホスホリルを用いた反応では,モノエステルだけでなくジエステルが生成する.このため,試薬のモル比や反応温度を適切に制御する必要があるものの,続く加水分解により容易にリン酸エステルが得られる(15)15) H. Eibl & A. Blume: Biochim. Biophys. Acta Biomembr., 553, 476 (1979)..一方,クロロリン酸ジフェニルを用いると,リン酸トリエスエルを中間体として,続く水素添加反応などの脱保護工程から対応するリン酸モノエステルが得られる(16)16) D. A. Brown, T. Malkin & G. K. Maliphant: J. Chem. Soc., 1584 (1955)..これらに加えて,さまざまな5価P=O化合物がリン脂質の合成に利用されてきた.しかし,5価P=O化合物は一般に反応性が低いという課題があった.そのため,より反応性が高い3価リン化合物を用いる手法(B)が1980年代から徐々に利用されるようになった.この手法では,アルコール化合物を3価リン化合物へと変換した後,これを過酸化試薬などで酸化してリン酸エステルを得る.ジアルキルホスホロクロリダイト3を用いると,対応する亜リン酸トリエステル中間体からリン酸トリエステルが得られる(17)17) H.-S. Byun, R. K. Erukulla & R. Bittman: J. Org. Chem., 59, 6495 (1994)..さらに,アルコール化合物とクロロアルコキシアミノホスフィン4から調製できるホスホロアミダイト5を用いる手法はアミダイト法として知られている.この方法は全工程をワンポットで行うことができるため,リン脂質の合成で広く利用されている(18)18) K. S. Bruzik, G. Salamonczyk & W. J. Stec: J. Org. Chem., 51, 2368 (1986)..さらに,H-ホスホナート法では,アルコール化合物と三塩化リン(6)からH-ホスホナート7を調製し,続く2つ目のアルコール化合物との縮合,酸化によりリン酸ジエステルを得ることができる(19)19) I. Lindh & J. Stawinski: J. Org. Chem., 54, 1338 (1989)..これらの3価リン酸化試薬はいずれも高い反応性をもつゆえに,湿気による加水分解や空気酸化を受けやすい.そのため,反応フラスコ内を不活性ガス雰囲気下,禁水状態に保つ技術や,試薬を用事調製および保管する技術などにある程度習熟する必要がある.また,手法(A)および(B)はどちらも,(亜)リン酸化に続いて酸化や脱保護などの変換工程を経る多段階合成であり,一部の基質では後半の変換工程に不適合となる場合がある.そのため,アルコール化合物を直接的にリン酸化する手法として,近年ではリン酸およびその誘導体を用いた縮合反応が注目されつつある.たとえば,金井らは,リン酸エステルであるPEP-Kと硫酸アンモニウム塩から混合酸無水物を系中で形成させ,アルコール化合物を効率的にリン酸化する手法を最近報告している(20)20) K. Domon, M. Puripat, K. Fujiyoshi, M. Hatanaka, S. A. Kawashima, K. Yamatsugu & M. Kanai: ACS Cent. Sci., 6, 283 (2020)..これはリン脂質の生合成に非常に近い手法でもあり,今後ますます5価リン酸化試薬の再評価が進むと期待される.