Kagaku to Seibutsu 59(11): 556-566 (2021)
セミナー室
脂質の多様な構造特性と機能性化学的視座を縦糸に,生理機能を横糸として見る脂質の個性
Published: 2021-11-01
© 2021 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2021 公益社団法人日本農芸化学会
「脂質」とは生物試料の成分の中で脂溶性画分に分離される多様な化学物質の総称である.しかし,分子種としての定義は曖昧であり,一般的には「長鎖脂肪酸あるいは炭化水素鎖を持つ生物由来の分子」とされる.脂質は,糖質,タンパク質にならぶ三大栄養素のひとつであり,β酸化によるATP産生は生命のエネルギー獲得の主たる手段と言える.さらに近年,脂質の生体内における役割としてより重要視されているのは,細胞膜をはじめとする生体膜の主要な構成成分としての機能である.生体膜の脂質分子はそれぞれに関連をもつ膜タンパク質などへの相互作用を通じて膜を介した諸現象を支えている(1)1) 梅田眞郷:“生体膜の分子機構”,化学同人,2014..一方で,脂質の役割を知るための生化学的研究には,他の生理活性物質とは一線を画す三つの課題がある.一つ目は,脂質が能動的なシグナル伝達(2)2) D. W. Hilgemann, G. Dai, A. Collins, V. Lariccia, S. Magi, C. Deisl & M. Fine: J. Gen. Physiol., 150, 211 (2018).や酵素阻害といったメディエーターとして作用するだけでなく,受動的なストレス応答(3)3) M. Nakatogawa & H. Nakatogawa: Plant Morph., 30, 25 (2018).や温度感受性(4)4) H. Von Bank, M. Hurtado-Thiele, N. Oshimura & J. Simcox: Metabolites, 11, 124 (2021).といった機能をもつ点である.二つ目は,タンパク質がアミノ酸を,炭水化物が単糖を構成単位としてそれらの組み合わせによって成り立つのとは異なり,脂質分子は非常に多様な低分子から構成されることで化学構造の多様性に富む点である.特に,二次代謝産物や食物連鎖などの環境によって獲得した低分子を巧みに活用するものも多く,一義的に遺伝子やタンパク質の発現のみで制御することが困難である.つまり,脂質組成は生育環境などによって大きく変化する.三つ目は,脂質の研究には化学と生物の双方に跨って深く根を下ろした課題が含まれる点である.このことは,まさに脂質がもつ両親媒性に由来するところであり,本企画における話題の中心となる.脂質の特徴的な機能として,脂質二重層を形成して膜全体あるいは膜表面で働きを示す活性や,脂質分子の構造修飾によって大きく脂溶性を変化させる点などがあげられる.こうした現象は脂質の化学的特性と生理活性の双方から追究することで初めて理解することが可能になる.従来,脂質は生理機能を軸として語られることが多かった.そのため,化学構造に共通点のある脂質分子を研究対象とする研究者間であっても,交流の機会に恵まれないことも少なくない.一方で,既知の機能性脂質が,用途や対象を変えることで全く新しい働きが見いだされる事例も珍しくない.こうした事情から,全6回からなる本企画では敢えて化学的視座を縦糸,生理機能を横糸として脂質を見渡すことを狙いとした.その上で,脂質研究に携わる「化学」と「生物」の両分野から執筆陣を構成し,脂質分子でつながる新たな関連性を見いだしていけるよう取り組んだ.第1回となる本稿では,化学構造を軸に脂質の機能について整理したい.
脂質を化学構造で分類する際は一般に,単純脂質,複合脂質,および誘導脂質という3種に分ける.単純脂質では広義の脂肪酸モノエステル類が総称される.代表的なものは,アルコールと脂肪酸からなるエステルである中性脂肪であり,特に高級アルコールをもつものは蝋と呼ぶ.これら単純脂質は,アルコールと脂肪酸の組み合わせが多様であり,炭素数や不飽和度に応じた多彩な物理特性を示す.脂肪酸と一般化される一連のカルボン酸は,その多くが直鎖状であるが,炭素数は4~30個程度,不飽和結合は主としてシス型で0~6個がよく見られる.この不飽和結合は,飽和の単結合を間に挟んだスキップドジエンを部分構造とすることが多く,活性酸素種等による過酸化を受けるのもこの部位である.また,真核生物において脂肪酸はβ酸化による2炭素切断と,アセチルCoAとの縮合による2炭素伸長による調節を受け,主として偶数炭素長の脂肪酸が生合成される.近年はこれらに微生物の代謝が関連することで奇数炭素長の脂肪酸も微量成分として共存することが報告されている(5)5) 彼谷邦光:オレオサイエンス,20, 337 (2020)..
一方で,不飽和結合の形成については動物では4種類のデサチュラーゼ(不飽和化酵素)が見つかっており,不飽和化する部位にちなんでΔ9, Δ6, Δ5, Δ4-デサチュラーゼとなっている(6)6) 秋 庸裕,小埜和久,鈴木 修:化学と生物,38,520 (2000).(Δnは脂肪酸の末端メチルを1とした序数).しかし,Δ9-デサチュラーゼがステアリン酸(C18:0)からオレイン酸(C18:1Δ9)を生成しても残る3つのデサチュラーゼの基質にはなり得ない.このため,ω-6系としてリノール酸(C18:2Δ9,12),ω-3系としてα-リノレン酸(C18:3Δ9,12,15)を必須脂肪酸として摂取する必要がある.不飽和化酵素により,α-リノレン酸から2度の不飽和化と2炭素伸長を受けることでエイコサペンタエン酸(EPA)が得られ,一部がさらに2炭素伸長とΔ4-デサチュラーゼの働きによってドコサヘキサエン酸(DHA)となる.同様に,ω-6脂肪酸はリノール酸を初発としてアラキドン酸が得られる.特に,エイコサペンタエン酸とアラキドン酸からは炎症応答にかかわる一連の誘導脂質(後述)が産生し,エイコサノイドと総称される(図2図2■アラキドン酸カスケードと関連脂質の生合成).
不飽和脂肪酸の摂取には海産魚油が好適であることも知られているが,エイコサペンタエン酸やドコサヘキサエン酸などの高度不飽和脂肪酸は海洋性細菌や植物プランクトンおよびラビリンチュラ類の生合成に由来する(7, 8)7) G. Lenihan-Geels, K. S. Bishop & L. R. Ferguson: Nutrients, 5, 1301 (2013).8) 伊東 信,渡辺 昴,崎山 亮,飯見勇哉,関根聡美,安部英理子:化学と生物,56, 338 (2018)..この事実が知られていない養殖漁業の初期においては,人工ふ化した稚魚の成育不良が頻発した.その後,試行錯誤を経て人工飼料への不飽和脂肪酸添加の有用性が発見されて解決し,今日に至っている(9)9) 竹内俊郎:化学と生物,29, 571 (1991)..
複合脂質は,グリセロールまたはスフィンゴイド等を連結部として極性頭部と疎水性尾部をもつ(図1図1■複合脂質の分類).疎水性尾部には種々の脂肪酸が導入され,鎖長や不飽和結合の数を考えるとその種類は豊富である.さらに極性頭部の多様性を考えると,これらの組み合わせは膨大なものになる.実際,連結部にグリセロールを,極性頭部にリン酸基をもつリン脂質だけでも,数万種を超える分子が報告されている(10)10) R. Taguchi, T. Houjou, H. Nakanishi, T. Yamazaki, M. Ishida, M. Imagawa & T. Shimizu: J. Chromatogr. B Analyt. Technol. Biomed. Life Sci., 823, 26 (2005)..これら複合脂質の生理学的特性を大きく決定づけるのは極性頭部の構造である.そのため,極性頭部の化学構造に応じて分類されている.極性頭部がリン酸基またはリン酸エステルである一群はリン脂質に分類される.一方,グルコシル基やガラクトシル基,あるいは硫化糖であるスルホキノボシル基や3-スルホガラクトシル基などの広義の糖を極性頭部にもつ一群を糖脂質と呼ぶ.これと同時に,極性頭部と疎水性尾部の連結部によっても分類される.たとえば,グリセロールが連結部であればグリセロ脂質,スフィンゴイドならスフィンゴ脂質となる.極性頭部と連結部を併記して呼称する場合も多く,グリセロリン脂質やスフィンゴリン脂質というように,名前からその化学的・生理学的特性を想起しやすい(図1図1■複合脂質の分類).グリセロ脂質の脂肪酸部はエステル結合をもつものが多いが,プラズマローゲン類のようにグリセロール部のsn-1位がビニルエーテル結合またはエーテル結合であるものも見られる.スフィンゴ脂質では,スフィンゴイドがもつアルキル鎖に加えて,専らアミド結合を介して脂肪酸が導入される.こうした脂肪酸部の結合様式は直接的に脂肪酸の着脱性に影響するため,代謝やシグナリングといった動的な機能と密接に関係している.筆者(安部)が化学合成と機能解析に携わってきたカルジオリピンはグリセロールを極性頭部にもち,sn-1位と3位の両方にホスファチジルジアシルグリセロールを配した特異な化学構造を有している.
誘導脂質は,単純脂質および複合脂質から加水分解や酸化あるいは過酸化反応を経て生成した脂質である.広くイソプレノイドやテルペノイド(ステロイド類を含む),カロテノイド等もここに分類される.炎症系や血栓系作用する強力な生理活性物質であるエイコサノイドは,複合脂質から遊離した高度不飽和脂肪酸からプロスタノイドやロイコトリエン類などに誘導される.プロスタノイドはω-6系のアラキドン酸に由来し,シクロオキシゲナーゼ(COX)によってプロスタグランジンH2(PGH2)に酸化されてからそれぞれの合成酵素に分岐する.また,アラキドン酸がリポキシゲナーゼによって過酸化されるとロイコトリエン類に誘導される.これらをまとめてアラキドン酸カスケード(図2図2■アラキドン酸カスケードと関連脂質の生合成)と呼び,連続した酵素反応による制御と炎症誘導時の爆発的なメディエーター産生を担っている.興味深いことに,出発物質をω-3系であるEPAとした場合に産生するエイコサノイドは対応するプロスタノイドに拮抗して炎症抑制すると考えられている(11)11) 矢富 裕:血栓止血誌,22, 33 (2011)..加えてレゾルビン類,プロテクチン類,17S-HDHAなどは非拮抗的な炎症抑制効果が報告された(12, 13)12) J. Miyata & M. Arita: Allergol. Int., 64, 27 (2014).13) C. D. Buckley, D. W. Gilroy & C. N. Serhan: Immunity, 40, 315 (2014)..
一方,アラキドン酸を遊離させた1本鎖の複合脂質をリゾ脂質と呼び,その多様な生理的機能が近年大きな注目を集めている(14)14) 濱弘太郎,中永景太,青木淳賢:化学と生物,47, 703 (2009)..リゾ脂質の多くはリゾリン脂質であり,スフィンゴシン-1-リン酸やリゾホスファチジン酸などが知られている.リゾ脂質は,他の脂質に比べて水溶性が高く,「生体試料から得られる脂溶性成分」ではないことから,従来の脂質の定義に収まらない.また,この水溶性の高さは,リゾ脂質のメディエーターとしての機能に直結しており,血液や細胞質などの水溶液中へ素早く拡散できる.各リゾ脂質分子は,対応するホスホリパーゼ類の発現または調節によって膜脂質を基質とした産生を選択的かつ効率的に制御される.
脂質の生理機能解析のためには,対象とする脂質成分を精製して用いる必要がある.しかし,脂質成分の精製には両親媒性分子に特有の困難がつきまとう.すなわち,非水溶性である脂質は逆相HPLCに不適であることや,質量分析での検出に相性が悪い.こうしたことは,網羅的な探索研究をはじめとする種々の検討で克服すべき課題となる.筆者の経験から例を挙げると,抽出などで有機相に分配しなかったり,逆に極性溶媒への溶解度が低すぎたり,あるいはろ過しただけのつもりがほとんどろ材に吸着されて回収できなかったりといったことがしばしば生じる.これは解析や精製,あるいは有機合成に経験があればあるほど盲点を突かれるところがあり,研究者泣かせな側面と言えるだろう.
天然脂質の多くは,細胞をはじめとする生体試料に豊富に含まれているため,これらから単離,精製して用いることができる.しかし,主に脂肪酸の多様性の豊かさゆえに,その化学的な組成は均一ではないことが多い.たとえば,不飽和度が異なる脂肪酸を完全に分離することは必ずしも容易ではない.このような不均一性のため,各脂質の化学構造とその機能との関係を明らかにする際には,似た構造の脂質を一括りにして議論せざるを得ないことも多い.また,生体試料から微量にしか得られないシグナル伝達分子などの脂質もある.これらの課題を解決するには,有機化学を駆使して高純度な脂質を標品として得る精密有機合成が大きく貢献してきた.脂質の詳細な合成法については,第6章にて詳述するが,ここでは特に天然脂質の合成において鍵となるリン酸化およびグリコシル化に絞って紹介したい.
アルコールのリン酸化反応は19世紀半ばから報告されているが,1940年代以降に核酸合成とともに発展してきた.そのため,リン脂質は主に核酸合成法を応用することで合成されてきたと言える.その合成法は(A)5価のリン酸化試薬を用いる方法と,(B)3価のリン酸化試薬を用いる方法に大別できる(図3図3■化学合成におけるリン酸化反応).手法(A)では主に5価P=O化合物を用い,代表的な試薬は塩化ホスホリル(1)やクロロリン酸ジフェニル(2)などである.塩化ホスホリルを用いた反応では,モノエステルだけでなくジエステルが生成する.このため,試薬のモル比や反応温度を適切に制御する必要があるものの,続く加水分解により容易にリン酸エステルが得られる(15)15) H. Eibl & A. Blume: Biochim. Biophys. Acta Biomembr., 553, 476 (1979)..一方,クロロリン酸ジフェニルを用いると,リン酸トリエスエルを中間体として,続く水素添加反応などの脱保護工程から対応するリン酸モノエステルが得られる(16)16) D. A. Brown, T. Malkin & G. K. Maliphant: J. Chem. Soc., 1584 (1955)..これらに加えて,さまざまな5価P=O化合物がリン脂質の合成に利用されてきた.しかし,5価P=O化合物は一般に反応性が低いという課題があった.そのため,より反応性が高い3価リン化合物を用いる手法(B)が1980年代から徐々に利用されるようになった.この手法では,アルコール化合物を3価リン化合物へと変換した後,これを過酸化試薬などで酸化してリン酸エステルを得る.ジアルキルホスホロクロリダイト3を用いると,対応する亜リン酸トリエステル中間体からリン酸トリエステルが得られる(17)17) H.-S. Byun, R. K. Erukulla & R. Bittman: J. Org. Chem., 59, 6495 (1994)..さらに,アルコール化合物とクロロアルコキシアミノホスフィン4から調製できるホスホロアミダイト5を用いる手法はアミダイト法として知られている.この方法は全工程をワンポットで行うことができるため,リン脂質の合成で広く利用されている(18)18) K. S. Bruzik, G. Salamonczyk & W. J. Stec: J. Org. Chem., 51, 2368 (1986)..さらに,H-ホスホナート法では,アルコール化合物と三塩化リン(6)からH-ホスホナート7を調製し,続く2つ目のアルコール化合物との縮合,酸化によりリン酸ジエステルを得ることができる(19)19) I. Lindh & J. Stawinski: J. Org. Chem., 54, 1338 (1989)..これらの3価リン酸化試薬はいずれも高い反応性をもつゆえに,湿気による加水分解や空気酸化を受けやすい.そのため,反応フラスコ内を不活性ガス雰囲気下,禁水状態に保つ技術や,試薬を用事調製および保管する技術などにある程度習熟する必要がある.また,手法(A)および(B)はどちらも,(亜)リン酸化に続いて酸化や脱保護などの変換工程を経る多段階合成であり,一部の基質では後半の変換工程に不適合となる場合がある.そのため,アルコール化合物を直接的にリン酸化する手法として,近年ではリン酸およびその誘導体を用いた縮合反応が注目されつつある.たとえば,金井らは,リン酸エステルであるPEP-Kと硫酸アンモニウム塩から混合酸無水物を系中で形成させ,アルコール化合物を効率的にリン酸化する手法を最近報告している(20)20) K. Domon, M. Puripat, K. Fujiyoshi, M. Hatanaka, S. A. Kawashima, K. Yamatsugu & M. Kanai: ACS Cent. Sci., 6, 283 (2020)..これはリン脂質の生合成に非常に近い手法でもあり,今後ますます5価リン酸化試薬の再評価が進むと期待される.
一方のグリコシル化反応は,糖同士を連結させ,糖鎖を得ることを主な目的として,これまで開発されてきており,これが糖脂質の合成にも利用されている.一般的なグリコシル化反応では,アノマー位に脱離基をもたせた糖供与体を適切な反応剤で活性化させることで,オキソオニウムカチオンを経るSN1型,もしくはアノマー位の立体反転を伴うSN2型で,アルコール化合物(糖受容体)と反応させる(図4図4■化学合成における糖化反応).古典的には,ハロゲン化糖8を銀試薬などのルイス酸で活性化するKoenings-Knorr法がよく用いられた(21)21) K. Igarashi: Adv. Carbohydr. Chem. Biochem., 34, 243 (1977)..その後,向山らが,基質安定性に優れるフッ化糖9を塩化スズ・過塩素酸銀の組み合わせにより活性化する手法を報告し,糖脂質の合成にもよく利用された(22)22) K. Koike, M. Sugimoto, S. Sato, Y. Ito, Y. Nakahara & T. Ogawa: Carbohydr. Res., 163, 189 (1987)..また,糖の合成においては,一般的にヒドロキシ基の保護,脱保護,ルイス酸を用いたグリコシル化を繰り返す.チオ糖10はこれらいずれの過程においても反応性を示さず,合成過程での取り扱いやすいに優れると同時に,NIS等の反応剤で化学選択的に活性化させることで,グリコシル化反応に用いることができる(23)23) T. Tomoo, T. Kondo, H. Abe, S. Tsukamoto, M. Isobe & T. Goto: Carbohydr. Res., 284, 207 (1996)..さらに,イミデート基を脱離基に用いるSchmidt法(11)では,温和な酸性条件下,低温で活性化させることができる(24)24) R. R. Schmidt & R. Klager: Angew. Chem. Int. Ed. Engl., 24, 65 (1985)..中性のアセトアミドが脱離することから,反応系中の酸性度を変化させず,その温和な反応性は不安定な基質の利用にも適している.さらに,これらに加えて,ここ10年で金触媒を用いたグリコシル化反応(25)25) B. Yu: Acc. Chem. Res., 51, 507 (2018).が急速に発展しており,糖脂質の合成にも利用されはじめている(26)26) Q. Wang, Y. Kuramoto, Y. Okazaki, E. Ota, M. Morita, G. Hirai, K. Saito & M. Sodeoka: Tetrahedron Lett., 58, 2915 (2017)..この反応では,アルキン12の金触媒による活性化を引き金に,分子内環化に続くラクトンの脱離によってオキソニウムカチオンが生じ,グリコシル結合が形成される.ハードなルイス酸を用いる従来のグリコシル化に比べて,ソフトなルイス酸である金触媒を用いる本法は,官能基許容性に優れた温和な反応であり,今後ますますの利用が期待される.また,α-およびβ-グリコシド結合の違いは,生理活性に大きな影響を与えることが知られており,その立体制御はグリコシル化の重要課題である.その制御法として最も一般的なものは,アシル系保護基からの隣接基関与によって,1,2-trans-グリコシド(グルコースの場合はβ-グリコシド)を得る方法である.これに対して,隣接基関与が適応できない1,2-cis-グリコシドの合成は一般により難しいが,近年優れた手法が開発されているので,これらは第6章で述べたい.
ところで,脂質はその分子骨格に応じて,いくつかの系統に分類されるが,同系統の脂質は専門外の目には一見すると同じ構造をもつように映る.そのため,自動合成まで確立された核酸やペプチド合成と同様に,脂質は決まった手順で簡便に合成できる分子であるとみなされる場合がある.さらには,合成既知の脂質と似た分子を合成する場合,既存の合成経路の踏襲にすぎず,いわゆる“穴埋め研究”としばしば受け取られる.しかし,これらは誤った考え方である.脂質は,極性部位と疎水性部位のわずかな違いによって,その両親媒性に由来する物理的性質が大きく異なる.たとえば,脂肪酸の炭素数が違うだけで,溶解性をはじめとする諸性質が全く違う分子であり,その合成には都度の最適化を求められる.さらに,この物理的性質の違いは直接的・間接的に生理活性などの生体内での役割の違いにつながると考えられる.つまり,脂質の生物学的役割は化学構造のわずかな違いに大きく左右されるものであり,この違いを明らかにすることは大きな意味をもつ.この点こそまさに,本企画で狙いとする「化学の目で,脂質を見る」ことであり,有機合成学者が脂質研究に参画する最大の意義であると考える.
脂質の重要な役割のひとつは,誘導脂質としてそれぞれの特異的な受容体との相互作用を介して強力な生理活性を示すことにある.一方で,このような能動的な作用とは別に,脂質の受動的な機能として,主に細胞膜に代表される生体膜の構成成分としての役割がある.膜の性質は構成する各脂質分子の局在や比率などに大きく左右されることから,生体はこの脂質のバランスを常に保つことで酸化ストレスなどへの,環境応答性を維持している(27)27) K. R. Levental, E. Malmberg, J. L. Symons, Y.-Y. Fan, R. S. Chapkin, R. Ernst & I. Leventa: Nat. Commun., 11, 1339 (2020)..この脂質の恒常性は,一見して組成が全く変化しない状態であっても,実際はそれぞれの脂質分子が常に代謝と輸送を受け続ける結果である.さらに,脂質の恒常性は生物種や器官に特異的に保たれており,各生体膜はその機能に応じた独自の脂質組成をもつ(28)28) D. Casares, P. V. Escribá & C. A. Rosselló: Int. J. Mol. Sci., 20, 2167 (2019)..たとえば,細胞膜はホスファチジルコリンとホスファチジルエタノールアミン,ミトコンドリア膜はホスファチジルコリンとカルジオリピン,チラコイド膜はガラクト脂質とホスファチジルグリセロールから主に構成される(図5図5■脂質分子の集合体の模式図).なかでも,細胞膜脂質はホスファチジルコリンとホスファチジルエタノールアミンをそれぞれ脂質二重膜の外層と内層の主成分とした異方性をもっており,さらに微量成分として内層のみにホスファチジルセリンを局在させている.これらの脂質は常に内層と外層間の特異的な脂質輸送によって高度に局在が保たれている.細胞膜における脂質輸送については第二回で詳しく紹介するので参照されたい.また,複合脂質の脂肪酸部の種類についても高度に制御されることが多く,哺乳類のミトコンドリア膜に特異的な陰性リン脂質カルジオリピンは,専らリノール酸によって構成されている(29)29) E. R. Pennington, K. Funai, D. A. Brown & S. R. Shaikh: Biochim. Biophys. Acta Mol. Cell Biol. Lipids, 1864, 1039 (2019)..この調節は一連の脂肪酸組み換え機構(リモデリング)(30)30) M. Schlame & M. L. Greenberg: Biochim. Biophys. Acta Mol. Cell Biol. Lipids, 1862, 3 (2017).によって達成されており,常に呼吸鎖から活性酸素が副生するミトコンドリアにおける酸化ストレスからの防御機構とも考えられている.
こうした,脂質二重層としての脂質膜の研究には人工膜を形成するアプローチが有効である.脂質分子は水溶液中ではミセルに,有機溶媒中で逆ミセルに集合するが,これらを用いて膜としての機能を再現することは困難である.そこで,リポソームやバイセル,あるいは単相膜といった分子集合体に調製する手法が採られる(図5図5■脂質分子の集合体の模式図).とりわけ,リポソームは中空の構造であり所望の内容物を封入できることから遺伝子導入(トランスフェクション)剤や薬物送達(ドラッグデリバリー)システムとしても研究開発が進められている.
一方,バランスよく両親媒性を有している脂質が分子集合体を作ることと表裏一体にあるのが,界面活性である.たとえば,リゾリン脂質やコール酸などは良く知られた界面活性剤であるが,これらは膜脂質であるリン脂質またはコレステロールから誘導される.タンパク質の研究で用いられる界面活性剤も,n-オクチル-β-グルコシドやドデシルマルトシドは一種の糖脂質,CHAPSなどはコレステロール誘導型の脂質と見做すことができる(図6図6■多様な脂質分子の化学構造).一方,膜タンパク質の研究では,いかに膜中のコンフォメーションを損なわずに解析可能なサンプルを調製できるかが重要となる.そのため,可溶化剤の検討は不可避であり,現在もなお新しいニーズに応える人工脂質分子の開発が進んでいる.その一例としては,ドデシルマルトシドよりも一炭素増炭したトリデシルマルトシドの開発が挙げられ,これがミトコンドリア呼吸鎖複合体IのX線結晶構造解析のブレイクスルーとなった(31)31) R. Baradaran, J. M. Berrisford, G. S. Minhas & L. A. Sazanov: Nature, 494, 443 (2013)..また,近年急速に発展したクライオ電子顕微鏡などのタンパク質調製には,高純度なジギトニンの精製手法の確立や代替化合物のデザイン合成が大きく貢献している(32)32) P. S. Chae, S. G. F. Rasmussen, R. R. Rana, K. Gotfryd, A. C. Kruse, A. Manglik, K. H. Cho, S. Nurva, U. Gether, L. Guan et al.: Chemistry, 18, 9485 (2012)..
さらに生体からその周囲へと視野を広げると,環境因子としての脂質という視点が得られる.すなわち細菌叢(フローラ)の指標としての脂質組成である.近年ではヒト体内の腸内細菌について良く用いられるようになった細菌叢という考え方は,植物の生育環境となる土壌について古くから用いられてきた.各種遺伝子解析による生存菌の同定と並行して,環境そのものの全体像を端的に表す脂質成分の比較が有効と考えられている(33)33) A. Frostegard, A. Tunlid & E. Baath: J. Microbiol. Methods, 14, 151 (1991)..特に,土壌有機物のリン脂質由来の脂肪酸組成においては奇数炭素鎖や短鎖の脂肪酸などから特徴的な傾向を知ることや,生育植物の適性を把握することにも役立っている.また,微生物が産生する界面活性をもつ脂質のことを特にバイオサーファクタントと呼び,低毒性で生産コストが低く,優れた生分解性が注目されている(34)34) D. Kitamoto: Yakugaku Zasshi, 128, 695 (2008)..こうした特徴は,脂質分子が生体内で生産と分解を繰り返して調節されていることに由来している.生理機能解析においては脂質分子がしばしば分解されてしまう不安定性が課題となってきたが,裏を返せば適度な生分解性をもっているともいえる.
脂質の生分解性は環境調和の観点から近年大きな注目を集めている.なかでも,環境調和型農薬としての利用は既に実用に至った例も見られる(図6図6■多様な脂質分子の化学構造).これらは,従来は食品添加物として用いられてきた成分について,その安全性を担保しながら生物調節剤としての役割を見いだされたものが多い.たとえば,オレイン酸ナトリウムは,果実などの保湿用の皮膜剤として用いられてきた成分であるが,新たにアブラムシ,コナジラミ,うどん粉病への効能が見いだされた(35)35) 松田径央,宮田哲至,高木康至:植物防疫,49, 50 (1995)..それぞれ気門封鎖と細胞膜破壊を作用機序としており,特定の受容体等との分子間相互作用ではなく脂溶性や膜形成能に由来する効果だと考えられている.また,乳化剤として用いられてきたグリセリン酢酸脂肪酸エステルは,2,3-ビスアセチロキシプロピルドデカン酸エステルに代表される複数の脂質の混合物であるが,作用機序が不明ながらコナジラミ成虫に高い忌避効果が見いだされた(36)36) T. Kashima, T. Kimura, K. Yoshida & Y. Arimoto: J. Pestic. Sci., 40, 44 (2015)..さらには,高分子化したポリグリセリン脂肪酸エステルはよく知られた機能性ポリマーであり(37, 38)37) 樋口智則:オレオサイエンス,19, 405 (2019).38) H. Nosal, J. Nowicki, M. Warzała, E. Nowakowska-Bogdan & M. Zarębska: Prog. Org. Coat., 86, 59 (2015).,その重合度と脂肪酸組成によって幅広い性質を付与することができる.このため食品分野から工業分野まで応用が広がっており,古くは乳化剤として,近年では樹脂に親水性を付与する添加剤や食品油の固化剤などとして利用されている.このような,グリセリンを軸とした生物資源の活用は,近年発展の著しいバイオディーゼル燃料の産業化にも後押しされている.というのも,バイオディーゼル燃料の原料にはグリセリンに3分子の脂肪酸が結合したトリグリセリドが用いられることが多いためである.トリグリセリドはそのままでは難燃性であり(39)39) 竹田みぎわ,柴田大輔:化学と生物,46,286 (2008).,脂肪酸部を加水分解して用いる必要がある.この際にグリセリンが産業廃棄物として副生する.この廃グリセリンから再びグリセロ脂質に誘導できれば,優れたバイオマスとして活用する道が拓けるだろう.
最後に,脂質分子としての多様性を最も象徴する古細菌由来のエーテル型脂質(40)40) 古賀洋介:化学と生物,49, 865 (2011).について紹介したい(図6図6■多様な脂質分子の化学構造).脂質が遺伝子だけでなく生育環境によって大きくその組成を変化させるという知見は,特に古細菌の脂質膜の議論で際立つ.かつては生物を3つ(真正細菌,真核生物,古細菌)に分けたドメインにおいて,古細菌は真核生物からもっとも遠い存在だと考えられていた.しかし,遺伝子解析が進むことで,むしろ真正細菌よりも真核生物に近いドメインであるという認識が定着した.一方で,膜脂質を見るとこれまでに述べてきた脂質分子とは大きく異なる特徴を備えている.それは,①疎水性尾部がエーテル型結合である ②疎水性尾部が枝分れや環状構造を有することであり,カルドアーキオールなどは一分子で脂質二重層を担える構造となっている.またグリセロール部については2位の水酸基の立体配置について生命のホモキラリティを観察することができる.真正細菌と原核生物が1,2-ジアシルグリセロールを用いるのに対し,古細菌のみ2,3-ジアルコキシルグリセロールとなっている.古細菌由来のエーテル型脂質は古細菌が分布する超高温や高圧,強酸といった極点環境への適応を伺うことができる.たとえば,疎水性尾部がエーテル結合であるのは超高温や強酸への耐性に直結し,枝分れや環状構造をもつのは酸化ストレス応答よりも膜の硬さを優先する必然からと考えられる.しかし,脂質の生合成において,それぞれの合成酵素は真正細菌のものと大きな差は見られないとされ,生存環境の炭素源に由来した構造の変化であると考えられている.こうした,さらに多様な化学構造を有する脂質分子はこれからも報告されていくだろう.それはとりもなおさず脂質分子がもつ可能性を拡げるものであり,ますます生命の仕組みの見事さを知ることにつながるに違いない.
以上,脂質分子の多岐にわたる構造と機能について,主に化学的特性の観点からの整理を試みた.脂質は実に多様な化学的特性と生理機能を有しており,一人の専門家ではとても扱いきれる範囲ではない.そこで裾野の広い農芸化学の各分野から執筆陣を編成してフォローする本企画を着想した.本企画を通じて,脂質分子の個性が懸け橋となる新たな連携を掘り起こすことに繋がれば幸甚である.
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