書評

木村 光(著)『発酵学の革命―マイヤーホッフと酒の旅』(京都大学学術出版会,2020年)

小林 達彦

筑波大学生命環境系

Published: 2021-11-01

本書は,まさに福岡伸一氏が帯に書かれているように,「科学をほんとうに理解するための最良の方法は科学史を学ぶことである.本書は,生化学の祖マイヤーホッフの生涯と,著者自身の研究の旅を重ね合わせて20世紀の生命科学史を総覧した格好の科学読本である.」と,端的に評することができる.

本書は2部構成である.前半の「マイヤーホッフをめぐる旅」では,お酒・ワインができる発酵や筋肉における乳酸生成,エムデン・マイヤーホッフ経路と呼ばれる代謝が如何に解明されていったかが,分かりやすく書かれている.

マイヤーホッフは1922年にノーベル生理学・医学賞を受賞した後もドイツで研究を続けていたが,ユダヤ人であったためにナチスの弾圧から逃れるべくフランスそしてアメリカに渡った.その経緯を幾人もの関係者に直接取材をし,詳細に調べあげた著者の熱意に頭が下がる.

マイヤーホッフは多くの著名な科学者と出会いながら研究の道を歩んでいった.私も酵素実験で算出したことがあるヒル係数で知られるアーチバルド・ヒルの名前があったこと(そしてマイヤーホッフとノーベル賞受賞が一緒であったこと)には驚いたが,他にも教科書で見たことがある名前が次々と出てくる.いずれもノーベル賞受賞者のワールブルグ,ルヴォフ,リップマン.ウッズホール海洋生物学研究所のノーベル賞受賞者4名を含む生化学界の錚々たる先駆者8名が並んだ写真は圧巻である.研究は一人ではなく,周りの科学者や学生と共同で進めることがしばしばであるが,マイヤーホッフ門下生間の確執,複雑な人間模様が垣間見え,ノーベル賞(級)の研究でさえ諸事情があったことを改めて実感した.

著者は京都大学でこれまで数々の新しい発見をされたばかりでなく画期的な技術も開発され,特に,真核生物である酵母への新しい遺伝子導入法に関する論文の被引用回数は7000回以上にものぼる.本書には様々な分野を切り開かれた著者の代表的な研究成果も記載されており,刺激的で勉強になる.

本書の後半の「旅の記憶―世界の酒・食・文化に触れる」では,上述のマイヤーホッフの足取り調査で訪れたり国際会議などで滞在した世界の街で触れたお酒や料理の文化について書かれている.ガイドブックには載っていないお店で美味しい食事やお酒を頂くのは旅の醍醐味でもある.著者が地元で勧められたレストランに私も是非,将来,行ってみたいと思った.

本書で何度も登場する米国MITのDemain教授やベルリン工科大学のKleinkauf教授は昨年(2020年)逝去された.コロナ禍で人の交流が制限されている今日,改めて,対面でしか聞けない話,お酒を飲んだ時でしか聞けないような話を諸先輩から伺っておかなければいけないと思った.

食や文化に造詣が深い著者のワイン作りの蘊蓄,デスマスクやジェントルマン等についてのトリビアも興味深く,7つのコラムもまたアクセントが効いている.来年,生誕200周年を迎えるパスツールは農芸化学者であったという若者へのメッセージを持っておられ,盛り沢山の内容とともに,著者のお考えを是非,本書で覗かれてはいかがでしょうか?