巻頭言

私の化学と生物果敢に,粘り強く,そして

Kazuhiko Matsuda

松田 一彦

近畿大学農学部応用生命化学科

Published: 2022-02-01

今も心に残る話をしよう.日本農芸化学会の関係で小宴が居酒屋で催された.その場に,非常に高名な先生が多数お越しになり,連なって座られた.気後れして誰もそれらの先生方の前に座ろうとしない.この機会こそ大切なことをお伺いすることができるかもしれないと思い,先生方の前に座った.特に一人の先生からは,励ましの言葉をいただいた.その先生は続けて言われた.えいやーと思ってやったときに道が開けるんだ.そうだよな!と会場に響き渡る声で隣の先生方に同意を求めた.筆者はその迫力に圧倒されつつ,求めていたものを得た.

仮説の多くは否定される.だからと言って,机の前で考え込んでいては何も前進しない.仮説を検証してみると往々にして否定され,がっかりする.その仮説が大きなときには,なおさらである.しかし,どうせやってもという気持ちをふりきって仮説の検証を果敢にやり遂げることが大切である.仮説は棄却されても,別の展開が生まれることがあるからだ.

大きな研究であればあるほど難問が待ち構えている.うんともすんとも進まないときどうしたらよいであろうか.寝かせるのだ.あきらめるのではなく,寝かせるのである.科学の進歩はめまぐるしい.筆者が研究者としてスタートしたとき,インターネットはなく,今のように瞬時に情報を得ることができなかった.子供のころに見た英国作の特撮人形劇では,救助に向かう乗り物から基地と顔を映しながら交信していたが,そんなものは現実にはありえないと思っていた.ところがだ.新型コロナ感染症の流行のせいで遠隔授業・会議をするのが普通となった.まさか自分がやるとは夢にも思わなかった.技術革新はめまぐるしくおこる.最初は難問であっても,寝かせているうちに技術が進み難問が解けるようになることがある.だから,さじを投げてはいけない.

発展は,財があり,人材も豊富なチームが成し遂げる確率が高い.しかし,発見するチャンスはどの研究者にも等しく存在する.大切な真理を見逃さないように,本能で感じたことに対してアクションをかける.そしてその応答に対する検証を,難しいと思っても寝かせながら,機会を失することなく粘り強く継続してみる.きっと物語が書けるはずだ.

アドベントという言葉をご存知であろうか.11月30日から最も近い日曜日からイエスキリストの降誕を待ち望む期間のことである.筆者は英国滞在時にその言葉を知った.子供のために購入した模造のクリスマスツリーはオルゴールになっていて,木をひねると,英国ではポピュラーであるが日本の商店街では耳にしたことがないクリスマスの音楽が優しく流れた.クリスマスーツリーの土台には24の小さな引き出しがついており,その中に小さな飾りが一つずつ入っていた.それを一日一つずつ木に飾るうちに,クリスマスツリーがあでやかになってゆき,気持ちが高まる.研究もそれに似ている.アドベントに類似する言葉にアドベンチャー(冒険)がある.危険を冒すというだけでは気乗りがしないが,未知のものを見ることができるのではないかと期待に胸を膨らませながら研究を進めるのは楽しい.冒険に「大」という文字を付すと,なぜかこの意味に近くなる.小さな仮説検証でも大冒険という感覚でやってみよう.

最後に,自分の原点を振り返ってみたい.小学校から帰宅すると毎日のように捕虫網をもって飛びだした.図鑑では知っていても実物を見たことがない蝶に出会ったときには心臓が飛び出しそうになった.将来昆虫学者になろうと思っていたが,高校3年生になり志望を決める段になって,昆虫と化学の境界をやるのが良いと,父から『昆虫学への招待』(石井象二郎,岩波新書)を渡された.夢中になって読み,進路を農芸化学と決めた.本書を読み直すとこう書いてあった.「ランダムスクリーニングで開発された殺虫剤と,理詰めで開発された殺虫剤とが,たとえ同じ化合物であったとしても,価値は全く違う.迂遠であっても私は後者の道を選びたい」.深くつぶさに研究すれば普遍原理に至る.「窮微暢遠」(羽田亨).