Kagaku to Seibutsu 60(2): 57-62 (2022)
解説
イネの澱粉生合成メカニズムの解明から異なる食感や機能性をもつ米品種の開発澱粉生合成の科学から新品種開発
From Revealing the Mechanisms of Starch Biosynthesis in Rice to Developing New Rice Cultivars with Unique Texture and Functional Properties: From Starch Biosynthesis to Developing New Rice Cultivars
Published: 2022-02-01
澱粉は,植物科学の根幹であり,食糧として最も重要な炭水化物源である.筆者は,これまでイネを材料に澱粉生合成メカニズムの解明に取り組んできた.澱粉生合成に関与する酵素の変異体を多数単離・収集し,それらの澱粉構造や物性等を野生型と綿密に比較することで,各酵素の機能解明が飛躍的に進み,澱粉の主成分であるアミロペクチンの生合成モデルにつながった.一方で,変異体の中には,通常の米とはその澱粉の性質が全く異なるものがあった.筆者はこれらを品種改良することで,機能性や異なる食感を付与した新しい米品種の開発につなげ,自ら立ち上げた大学発ベンチャー企業による実用化と普及を目指している.本稿では,まず,我が国の医療と農業の問題点について触れ,澱粉生合成メカニズムの解明がどのようにしてこれらを問題解決する可能性がある品種の開発につながったか,に加え,品種育成法についても解説する.
Key words: 澱粉; 新品種; 機能性; 変異体米; 戻し交配
© 2022 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2022 公益社団法人日本農芸化学会
世界では,4億人以上の糖尿病患者がいると言われている.わが国でも5人に1人は糖尿病かその予備軍であると言われ,男女を問わず現在も増加傾向にある.糖尿病はそれが初発となってさまざまな病気を引き起こし,寿命を低下させる大きな要因となる生活習慣病の代表格である.糖尿病やその予備軍には,食後の血糖値が上昇しにくい食事が有効と考えられている.特に,米は日本人にとっては,主たる炭水化物源であることから,食後の血糖値が上昇しにくい米の開発が望まれている.一方,農業に目を向けると,日本人の食生活は欧米化し,多様化したことに加え,糖質制限からくるいわゆる炭水化物ダイエットブームにより,我が国における米の需要は,50年前と比べると半分以下となっている.これらに加え,コロナ禍によって外食用の米の需要が激減し,2021年の米の買取り価格が大幅に下落したことで,稲作農家は苦悩している.農林水産省や各県等の試験場では,極良食味米がプレミア米として数多く育成されているが,これらによっても米の需要低下に歯止めはかけられていないのが現状である.
我が国が上記のように医療と農業の大きな問題を抱える中で,筆者は機能性や通常の米と食感が異なる性質を持つユニークな米品種の開発を行ってきた.わが国で生産された米は,90%が主食用のご飯として消費される(1)1) 農林水産省:米をめぐる状況について.https://www.maff.go.jp/j/syouan/keikaku/soukatu/attach/pdf/kome_seisaku_kaikaku-83.pdf, 2019.が,それ以外にも米菓,酒米,もち米など,伝統的に米を用いた加工食品や飲料が多数あった.また,近年,小麦アレルギーを避けるため,グルテンフリー食品として米粉パンや麺が米から製造され,それらの食味やコストも以前と比べると大幅に改善している.しかし,現時点でこれらの米加工食品の多くは,もち米や酒米以外は主食用米と同じ(あるいは,ほぼ同じ澱粉構造をもった)品種が使用されていることがほとんどである.もし,澱粉構造が異なることで物性や食感が主食用米と異なったり,機能性を持つものが作出できれば,もっと多様な米加工食品や飲料の開発が可能であるはずである.
筆者は,これまで一貫して米澱粉の生合成メカニズムの解明を行ってきた.澱粉生合成には,多数の酵素が関与しており,それらの遺伝子が欠損した変異体米を単離,収集し,野生型と比較することで各酵素の機能解明を目指してきた.胚乳で発現する酵素の機能はこの20年でかなり解明された.その詳細については,2013年の化学と生物のセミナー室等を参照されたい(2, 3)2) 藤田直子:化学と生物,51, 400 (2013).3) N. Fujita: Agri-Bioscience Monographs, 4, 1 (2014)..澱粉を作る酵素が欠損すれば,その構造が大きく変わることは想像に難くない.予想通り,澱粉生合成関連酵素の変異体米の中には,通常の主食用米とは澱粉の性質が激変しているものが存在し,筆者らはこれらユニークな澱粉,すなわち,澱粉構造や物性が通常の米とは大きく異なる澱粉を胚乳に蓄積する変異体米の実用化,品種化を行ってきた.
通常米とは異なる澱粉構造をもつ変異体は,澱粉生合成に重要な酵素が欠損しているため,澱粉の蓄積量が低下し,種子が扁平になることがしばしばあった.種子が扁平になると収量と精米歩合が低下し,生産コストが高くなり,農家も栽培したがらない.これに加えて,開花時期や耐病性,栽培のしやすさなど,実用品種として普及するためには,さまざまな農業形質を向上させる必要がある.筆者らは,変異体を単離する際,「日本晴」や「金南風」など西日本が栽培地である品種がもとになった変異体を用いたため,筆者の本拠地である秋田市では,開花が遅く,秋の早い秋田では栽培しにくかった.以上のような農業形質を改善するため,筆者らは戻し交配という手法を用いた.
戻し交配とは,交配した両親のうち,いずれかの親系統を再び交配することである.われわれはユニークな形質をもつ系統(変異体米)に,農業形質の良い品種(超多収品種など)を連続的に3回戻し交配した.交配(交雑)は,最も原始的な育種法の一つであり,いずれかの親の花粉を除去あるいは死滅させ,そのめしべに交配したい系統の花粉を受粉させ,両者の遺伝子が半々に混ざったF1種子を得ることである.交配を行う上で最も重要なことは,交配する両親系統の開花時期を一致させることである.播種後何日で開花するか,あるいは各品種の日長感応性の情報などを収集し,1週間ずつずらして4回程度播種し,同じタイミングで開花するようにイネを準備する.以前は,水田で栽培したイネを掘り上げ,ポットに入れて温室で交配を実施していたが(図1図1■交配の様子左),ここ10年くらいは人工気象器(図1図1■交配の様子中央)を利用して実験室で交配している(図1図1■交配の様子右).筆者らはOhnishiら(4)4) T. Ohnishi, M. Yoshino, H. Yamakawa & T. Kinoshita: Plant Cell Physiol., 52, 1249 (2011).の方法を参考に,成育段階で分げつを切り落とし,特定の日長(11時間明期,13時間暗期),温度(明期30°C,暗期25°C)に設定し,二酸化炭素を供給した人工気象器で出穂までの時期が大幅に短縮させることで,1年に3回程度は開花させて交配している.