Kagaku to Seibutsu 60(3): 110-112 (2022)
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ケミカルプライミングによる植物の環境ストレス耐性強化化合物処理によって非生物的ストレス耐性を付与する技術
Published: 2022-03-01
© 2022 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2022 公益社団法人日本農芸化学会
塩害,干ばつ,低温,高温,洪水などの環境ストレスは,農作物の成長や収量,品質に深刻な被害をもたらしている.近年の温暖化や世界規模の異常気象によって環境ストレスの発生頻度は増加しており,地球規模で農業被害が拡大している.一方で,世界人口は2050年には97億人を超えると試算されており(1)1) UN, World Population Prospects: The 2019 Revision, https://population.un.org/wpp2019/(2021年11月4日閲覧),持続的な食料生産実現のためには農作物の環境ストレス耐性を強化する技術の開発が求められている.
これまで環境ストレス耐性作物の開発は,育種によるストレス耐性品種の選抜が主流となってきた.育種はストレス耐性作物作出において強力な手法であるが,品種開発に時間がかかるという問題がある.また,遺伝子組換え技術もストレス耐性として有力な手法であるものの,遺伝子組換えを忌避する国が多いことが課題となっている.これらの課題を克服する新たな技術として化合物を活用した“ケミカルプライミング”の研究が注目を集めている(2)2) K. Sako, H. M. Nguyen & M. Seki: Plant Cell Physiol., 61, 1995 (2021)..ケミカルプライミングとは,ストレスが発生する前に植物に化合物を処理することによって,植物が本来持っているストレス耐性機構を活性化し,植物が実際にストレスを受けた際に早く,強く耐性を発揮できるようにする手法である.ヒトにおける予防接種のようなものと例えることができるだろう.ケミカルプライミングは,育種に比べて開発に時間がかからない,遺伝子組換えを伴わないといった利点がある.さらに,多くの場合1種類の化合物処理によって複数の環境ストレス耐性を強化できることや,多様な作物種の耐性を強化できるといったメリットが挙げられる.自然環境下では乾燥と高温など複合的なストレスが同時に発生することから,ケミカルプライミングは農場において多様な作物種のさまざまな環境ストレス耐性を強化できる有望な技術となることが期待されている.
これまでに環境ストレス耐性を強化することが報告されている化合物は大きく分けると1)活性分子種やそれらの発生剤,2)植物ホルモンを含む植物の代謝産物,3)人工合成化合物やナノ粒子の3種に分類される(表1表1■ケミカルプライミング剤の分類と具体例).1)は低濃度の活性酸素種(H2O2など),活性窒素種,活性硫黄種とその発生剤(一酸化窒素のドナー化合物であるニトロプルシド(SNP)など)がさまざまな作物種において環境ストレス耐性を強化することが報告されている(3)3) C. Antoniou, A. Savvides, A. Christou & V. Fotopoulos: Curr. Opin. Plant Biol., 33, 101 (2016)..植物体内において,こうした活性分子種が多量に蓄積すると細胞毒性を示すが,低濃度ではシグナル伝達分子として機能することが知られている.したがって,外生的にこれらの活性分子種を低濃度で処理すると,内生の活性分子種と同様に,抗酸化酵素をはじめとしたストレス応答遺伝子の発現やタンパク質の翻訳後修飾が変化することでストレス耐性機構が活性化し,さまざまな環境ストレスに対して耐性が向上すると考えられている.一方で,これら活性分子種は投与量が高濃度になると生育阻害を引き起こすため,作物ごとの処理濃度や回数を精査する必要がある.
ケミカルプライミング剤の種類 | 化合物名 | 標的とする環境ストレス |
---|---|---|
活性分子種 | SNP | 高塩・乾燥・高温・低温・強光・重金属 |
H2O2 | 高塩・乾燥・酸化ストレス | |
植物代謝産物 | エタノール | 高塩・乾燥・高温・強光 |
酢酸 | 高塩・乾燥 | |
人工化合物・ナノ粒子 | TiO2 NP | 高塩・乾燥・高温・低温 |
CeO2 NP | 高塩・酸化ストレス |
次に,2)植物ホルモンを含む植物の代謝産物であるが,植物の代謝産物を外生的に処理することによっても環境ストレス耐性が強化できることが示されている.近年,低濃度の酢酸を処理することによってジャスモン酸経路が活性化され,シロイヌナズナをはじめ,イネ,トウモロコシ,コムギなど作物の乾燥耐性が強化されることが報告されている(4)4) J. M. Kim, T. K. To, A. Matsui, K. Tanoi, M. I. Kobayashi, F. Matsuda, Y. Habu, D. Ogawa, T. Sakamoto, S. Matsunaga et al.: Nat. Plants, 3, 17119 (2017)..また,低濃度のエタノール処理は活性酸素除去に機能する転写因子や酵素群の遺伝子発現を誘導することによって,高塩ストレス下で蓄積する活性酸素を除去し,耐塩性を強化することが明らかになった(5)5) H. M. Nguyen, K. Sako, A. Matsui, Y. Suzuki, M. G. Mostofa, C. V. Ha, M. Tanaka, L. P. Tran, Y. Habu & M. Seki: Front Plant Sci., 8, 1001 (2017)..さらに,エタノールは抗酸化酵素に加え,抗酸化物質として機能するアントシアニンの合成を促進することによって強光ストレスによる損傷を緩和することも示された(6)6) K. Sako, R. Nagashima, M. Tamoi & M. Seki: Plant Biotechnol., 38, 339 (2021)..しかし,エタノールがどのようにして抗酸化システム経路の遺伝子発現を誘導するかは未解明である.加えて,エタノールはさまざまな作物種において高温,乾燥ストレスへの耐性を強化できる可能性が示唆されている.エタノールと酢酸は,どちらも植物が嫌気条件下で行うアルコール発酵の過程で生成される代謝産物である点,乾燥耐性を強化する点が共通する.しかし,エタノールによる乾燥耐性がジャスモン酸経路を介するかは未解明であり,これら2つの化合物によるストレス耐性機構の共通点は不明である.今後アルコール発酵についても解析を進めることで,エタノールや酢酸によるストレス耐性のより詳細なメカニズムの解明が期待できるだろう.
これまでに3)人工合成化合物を用いたストレス耐性強化も報告されている.なかでもナノ粒子の農業的利用が注目を集めている.ナノ粒子は1~100 nm程度の大きさを有する粒子であり,粒子の種類は有機高分子,金属,無機化合物と多岐にわたる.これまでに肥料や栄養素をナノ粒子によってコーティングすることによって,植物への取り込みを効率化できることが報告されている(7)7) A. Ioannou, G. Gohari, P. Papaphilippou, S. Panahirad, A. Akbari, M. R. Dadpour, T. Krasia-Christoforou & V. Fotopoulos: Environ. Exp. Bot., 176, 104048 (2020)..こうした取り込み促進作用に加えて,酸化チタンナノ粒子(TiO2 NP)などの金属ナノ粒子が植物の抗酸化酵素の遺伝子発現ならびに酵素活性を促進することによって高塩・高温・乾燥ストレスへの耐性を強化することが報告されている(7)7) A. Ioannou, G. Gohari, P. Papaphilippou, S. Panahirad, A. Akbari, M. R. Dadpour, T. Krasia-Christoforou & V. Fotopoulos: Environ. Exp. Bot., 176, 104048 (2020)..また,酸化セリウムナノ粒子(CeO2 NP)は葉緑体に取り込まれ,粒子自体が活性酸素除去活性を示すことが報告されている(8)8) L. Zhao, L. Lu, A. Wang, H. Zhang, M. Huang, H. Wu, B. Xing, Z. Wang & R. Ji: J. Agric. Food Chem., 68, 1935 (2020)..ナノ粒子は有望なプライミング剤であるが,粒子が微細で拡散が容易であるため,ナノ粒子の散布が土壌や生態系に与える影響について慎重に検討する必要があるだろう.
このように,さまざまなケミカルプライミング剤が検討されている.現在,こうしたケミカルプライミング剤の多くは植物体の根から吸収させる方法や,葉にスプレーで散布する方法が中心に研究されている.こうした施術方法は簡便であるものの多量の化合物を必要とするためコスト面や土壌汚染が懸念される.そこで,ナノ粒子でコーティングしたケミカルプライミング剤を用いることで,植物への取り込み効率を上昇させ,より少量で必要な部位に効果的にストレス耐性を強化する技術が考案されている(7)7) A. Ioannou, G. Gohari, P. Papaphilippou, S. Panahirad, A. Akbari, M. R. Dadpour, T. Krasia-Christoforou & V. Fotopoulos: Environ. Exp. Bot., 176, 104048 (2020)..こうしたコーティングは異なる環境ストレスへ耐性をもつナノ粒子とケミカルプライミング剤を組み合わせることによって,複数の環境ストレスへの耐性を獲得するといった相乗効果も期待できる.また,種子に化合物を処理することによって発芽時に乾燥ストレスなどが発生した際に,ストレスより保護する種子プライミングの研究も精力的に進められている(9)9) M. S. Rhaman, S. Imran, F. Rauf, M. Khatun, C. C. Baskin, Y. Murata & M. Hasanuzzaman: Plants, 10, 37 (2020)..種子への処理は化合物の使用量が少量で済むため経済的であることや,農地への散布に比べて省力化が可能であること,化合物による土壌汚染の可能性が低いといった有用性がある.一方で,種子への処理が生育段階のどのステージまで持続するかは不透明である.今後は,ケミカルプライミング剤の組合せや施術方法を検討することによって,より経済的で効果的なストレス耐性を付与する技術の開発が期待される.
Reference
1) UN, World Population Prospects: The 2019 Revision, https://population.un.org/wpp2019/(2021年11月4日閲覧)
2) K. Sako, H. M. Nguyen & M. Seki: Plant Cell Physiol., 61, 1995 (2021).
3) C. Antoniou, A. Savvides, A. Christou & V. Fotopoulos: Curr. Opin. Plant Biol., 33, 101 (2016).
6) K. Sako, R. Nagashima, M. Tamoi & M. Seki: Plant Biotechnol., 38, 339 (2021).