巻頭言

昭和から平成,令和,そして未来へ時代に即した新たな人材による明るい未来への期待

Masaya Nagao

永尾 雅哉

京都大学大学院生命科学研究科(農学部食品生物科学科兼担)

Published: 2022-04-01

私は昭和34年生まれで,日本の高度成長を見ながら,生活が豊かになるのを見てきた.たとえば,給食の「牛乳」は,脱脂粉乳から,瓶,テトラパック,そして直方体パック牛乳に変わってきた.「庶民」の大学生・大学院生であった私の京都の下宿にはエアコンはなかった.私達の時代には,豊かさへの憧れ,そして夢があったが,最近ある学生に「私達はゆとりの世代で,何でも与えられているので,特に夢は有りません」と言われたときには愕然とした.

研究室に入っても,私達はまず「修行」と考えて,一生懸命(大谷翔平選手のモットー),先生・先輩に教えてもらいながら,洗い物の手伝いもしていた.それが,最近では何でもプロトコルやキットがあり,それがどのように完成してきたかも全く考えずに,結果だけを出すような「作業」をしている学生も見かける.自前でキット,器具,機器を作ることは稀である.そのためか,個々の操作の細部にこだわっておらず,それがデータに「正直」に現れてくる.私は常々, 「目に見えないところで何が起こっているか,考えて実験するように」と言っている.

技術立国の日本を支えたのは,町工場の職人の,良いもの,便利なものを作りたいという,「ものづくりへの情熱」と,0.1 mm以下にもこだわるネジ職人に見られる「こだわりの技術」であったと思う.同じ工作機械を使っても,日本では工場出荷時の良品率が99%を超えるが,外国に持っていくと90%を割る時代があり,それは日本の多くの労働者が「一生懸命,良品を作る」という,「教育」を受け,「こだわり」,「プライド」を持っていたためと思われる.

研究は「なぜだろうという好奇心」が最も大切で,基本的には謎を解明して,「面白かった」で良いと私は思っている.財界の圧力か,無駄をなくせと「評価」ばかりが叫ばれるが,目先の評価を優先すると,時間のかかる意外な発見はできなくなると思う.下村脩先生はオワンクラゲの蛍光タンパク質GFPの研究をされたが,最初から医療応用を目指したのではなく,「なぜ光るのだろう」という興味であった.免疫系が遺伝子組換えを利用し,あらゆる外敵を想定して備えているのはある意味で無駄遣いだが,それがあるから,突然の外敵にも立ち向かえるのである.研究費の分配の際は,特定の先進的なものに集中せず,さまざまな「面白い」と思うことを地道に研究している人を大切にしてほしいと思う.「多様性」の喪失は滅亡につながる.

さて,時代が変わったのに,政治の仕組みは変わっていない.新型コロナウイルスへの対応でも,台湾は適材適所の情報担当大臣抜擢で,早期の沈静化ができた.情報の大切さへの理解がなさすぎた日本は,GAFAに一社も入っておらず,今や後進国である.政治の世界にもっと理系の学位を持つような人材が必要である.一方,グローバル経済は魔物で,人件費の高い日本は何をすべきがが問われる時代であり,家電業界は没落した.自動車産業も製造が簡単な電気自動車になると,その二の舞が予想される.そもそも,学生が政治・経済に興味を持たないのは,中学・高校で現代の社会情勢をディスカッションする場がないからであり,それは教科書,指導要領の問題もあるが,指導できる人材の育成や,親の理解の問題もある.「受験勉強さえできればよい,その他は無駄」という考えをどこかで変えなければならない.

学生を守ろうとする動きもない.大学生は,授業期間に何十社ものエントリーシート,会社説明会,インターンシップをこなし,授業は後回しになる.こんな状況を,財界も,お役所も放置である.学生の「学ぶ権利」を平気で奪っている.もちろん,「学生が主力」の日本の大学の研究は衰退した.

何か批判的なことばかり書いたが,明るい話題もある.クラウドファンディングはさまざまな起業を支援することになり,学生の身分で起業する人達がいる.優秀な頭脳を活かすべく,仲間を作り,資金を集めて「新たな職種の開拓」が比較的容易にできる時代になってきた.未来は「時代に即した人材」が作る.それを「支援」できるような日本の未来に期待する.