海外だより

コロナ禍における米国留学未曽有のパンデミックが変えた研究生活

Shotaro Hoshino

星野 翔太郎

プリンストン大学化学科

Published: 2022-04-01

筆者は2019年6月1日より米国プリンストン大学化学科,Mohammad R. Seyedsayamdost教授の研究室にポスドクとして着任しており,この度は光栄にもコロナ禍での留学を題材とした記事を本誌に寄稿させて頂く事となりました.ニュース等でも報道されている通り米国における新型コロナウイルスの影響は極めて深刻なものであり,私の研究生活もパンデミックの到来によって大きく変容しました.本記事の前半では私が米国に留学するまでの経緯やパンデミック以前の留学生活について,後半ではコロナ禍の米国で生じた研究生活の変化や「ポストコロナ」に向かう米国内の現況について述べてゆきたいと思います.

海外留学までの道のり

私と天然物化学の出会いは東京大学薬学部時代に遡ります.学部生時代の講義や実習を通じ,私は天然物の持つ緻密な化学構造や多彩な代謝酵素の組み合わせにより達成される天然物生合成の奥深さに大きな魅力を感じました.そして学部4年時の研究室配属において阿部郁朗教授が主宰する天然物化学教室の門を叩き,以来博士号を取得して米国に渡るまでの約6年間,同研究室の一員として微生物により産生される二次代謝産物の研究に専心してきました.

博士後期課程に進学する頃になると,卒業後もアカデミアに残り研究を続けたいと考える様になりましたが,海外留学に関しては英会話への苦手意識や生活環境の変化に対する不安から二の足を踏んでいました.それでもD2となり本格的に卒業後の進路を決断すべき頃になると海外の研究室に渡り見識を広めたいという気持ちが自分の中で大きくなり,またこれが腰を据えて長期留学出来る最初で最後の機会であろうという思いから卒業後の進路として海外留学を決断しました.

その後暫くはポスドク先について模索する日々が続きましたが,やがて思い至ったのがプリンストン大学化学科のMohammad R. Seyedsayamdost教授(写真1写真1■筆者(左)とMo(右),2018年7月の研究室訪問時に撮影,以下Mo)の研究室でした.Moは2013年に独立した年齢的にも若いPIであり,私が彼を知る事となったのは2014年に単著で発表された一つの論文(1)1) M. R. Seyedsayamdost: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 111, 7266 (2014).が切っ掛けでした.論文ではエリシター分子(微生物の休眠生合成遺伝子を活性化し,二次代謝生産を誘導する低分子の総称)の新規探索手法に関して述べられており,当時修士課程の学生であった私はその独創的な内容に感銘を受け,著者であるMoが独立して間もないPIである事を知りさらに驚きました.以降もMoの所からは質の高い論文が数多く発表されていた事もあり,海外留学を志す以前より彼の研究室には強い関心を抱いていました.そしてD2の冬となった2017年12月,私は意を決しMoへポスドクアプライのメールを送ったのでした.

写真1■筆者(左)とMo(右),2018年7月の研究室訪問時に撮影

幸いにも数日後にはMoから返答があり,翌月にフロリダで開催される2nd International Conference on Natural Product Discovery and Development in the Genomic Eraにて早速会う事となりました(MoはInvited speaker,私はポスター発表者としての参加でした).海外PIとの初顔合わせという事で直前までは緊張しきりでしたが,Moは非常に気さくかつ親しみやすい人物であり,実際に会うとすぐに打ち解ける事が出来ました.顔合わせ後のポスター発表も質疑応答を交えつつ非常に盛り上がり,Moからは研究に関するさまざまな助言を頂くなど非常に有意義な時間を過ごす事が出来ました.帰国後はMoや研究室のメンバーを交えたSkype Interviewが開かれ,自身の研究背景や今後の展望についてより具体的なディスカッションが行われました.そして最終的には卒業直後よりポスドクとしてMo研に着任することで話が纏り,晴れて米国への留学が決まりました.かくして冒頭の通り2019年6月1日に渡米した訳ですが,出国があと半年~1年遅れていればコロナ禍の影響で留学そのものが困難になっていた可能性もあり,今にして振り返えればまさにギリギリのタイミングでした.

プリンストンの生活環境について

留学先であるニュージャージー州プリンストンは面積47.6 km2・人口約3万と比較的小規模ながら,アイビー・リーグの一角であるプリンストン大学を筆頭に多数の学術機関を擁し,米国有数の学術都市として国内外より多くの学生・研究者が集まります.また車社会の米国としては珍しく鉄道網も発達しており,大学に隣接するプリンストン駅からは東海岸の大都市(ニューヨークやフィラデルフィア)や玄関口となる国際空港へ直接アクセスすることが可能です.さらに州都トレントンなどの周辺地域と比較すると治安も非常に安定しており,学術都市のみならず郊外都市としても人気の高いエリアとなっています.

キャンパスは豊かな自然に囲まれており,リスやウサギといった小動物に加えてシカのような大型動物に遭遇する事も珍しくはありません.またキャンパス内には歴史的建造物が立ち並び,特に大学最古の建造物であるNassau Hallでは独立戦争の折に国会が開かれ,短期間ながらプリンストンを米国の首都たらしめた事で知られています.一方で大学から少し離れたエリアには大型スーパーやモールが立ち並んでおり,キャンパスとは路線バスによって直結されている為にアクセスも容易です.私は基本的に研究に専念する日々を送っていましたが,コロナ禍以前における偶の休みにはキャンパス内外を散策してプリンストンの誇る自然や歴史情緒を堪能したり,或いはバスに揺られて買い出しに出かけたりしていました.

このようにプリンストンにおける生活環境は良好ですが,その反面家賃相場も周辺地域より高くなっており,単身者用アパートであっても月1000~2000ドルの家賃が必要となります.このためシェアハウス等で家賃を節約する人も多く,私の場合もキャンパス近くの一軒家を間借りすることで家賃を抑えています.

Mo研における研究生活について

Mo研のメンバーは学生・ポスドク合わせておよそ20人で,人種や国籍はさまざまです.各メンバーは研究プロジェクト毎に細分化された4つのSubgroupに分かれて所属しており,定例の進捗報告会はこのSubgroup単位で行われます(現在は隔週の火曜日に2~3時間程度).私の属するSubgroupは先述したエリシター分子に焦点を当てており,各種スクリーニング手法を駆使したエリシター分子の同定,エリシター分子を利用した新規二次代謝産物の生産誘導および単離・生物活性評価などを行っています.他のSubgroupでは放線菌が産生するグリコペプチド系抗生物質の生合成研究,レンサ球菌が産生するリボソーム翻訳系翻訳後修飾ペプチド(RiPPs)の探索・機能解明,Burkholderia属微生物における二次代謝制御機構や薬剤耐性機構の解明等,それぞれ特色ある研究テーマが展開されています.ただし1人のメンバーが複数の研究テーマを掛け持ったり,1つ研究テーマが複数のSubgroupに跨ったりする場合も多く,Subgroup間の垣根は非常に低いものとなっています.

上述のSubgroup内ミーティングに加えて研究室では全体ミーティングが週1回の頻度で開かれ,その冒頭ではGroup Business(研究室内で起きている諸問題や今後の行事予定など)について話し合われます.残りの時間はあらかじめ指名されていた人が何らかの発表を行ったり(論文化を控えた研究内容の総括や院生の中間審査や卒業発表に向けた練習など),参加者全員が最近気になった論文の概要を1分程度で発表したりします.ミーティング以外にも研究室内ではメンバーの歓送迎会や中間・卒業発表後の慰労会など,節目ごとにさまざまなイベントが開かれます.自分の中で特に印象に残っているのは年末に開催されるクリスマスパーティで,毎年恒例のメインイベントとしてSecret Santaと呼ばれる催しが開かれます.これは抽選で割り当てられたラボメンバーへのプレゼントを事前に準備して宛名と共に休憩室に置き,パーティー当日に自分に宛てられたプレゼントの送り主を当てるというもので非常に盛り上がりました.

実験設備に関しても非常に充実しており,微生物培養や生化学実験等に必要な装置類は一通り揃っています.特に培養抽出物や酵素反応産物の解析に不可欠なLC-MSは用途別に3台保有しており,予約待ちをほとんどせずに利用できることは大きな魅力です.加えて学科の共用設備も豊富であり,オートクレーブやNMRなどはそちらを利用します.また建物内にはストックルームと呼ばれるエリアがあり,実験ノートなどの文具類や使用頻度の高い実験器具・試薬類などはそこで購入する事が可能です(発注から納品までのラグが無いため非常に重宝します).

コロナ禍に翻弄された2020年

Mo研での生活は非常に刺激的かつ充実したものであり,最初の半年間はあっという間に過ぎました.2019年の末には中国国内における新型コロナウイルスの感染拡大は既に報じられていたものの,この時点ではほとんど話題には上がりませんでした.しかし翌2020年1月下旬に米国内における初の感染者が報告されると,その後の感染者数は増加の一途を辿りました.それでも当初の流行地域は西海岸に限定されていた事から研究室内の雰囲気も落ち着いており,むしろ私や他のメンバーの出身地である東アジア諸国の感染状況を心配する声が聞かれました.

ところが3月に入ると東海岸における感染者数も急増し,3月7日には隣接するニューヨーク州で緊急事態宣言が発令されました.この頃になると大学内にも言い知れぬ緊張感が漂い始めており,3月13日に学科内における感染者が初めて報告されるとそれは最高潮に達しました.程なくニュージャージー州全域に夜間外出禁止や飲食店等の閉鎖などいわゆるロックダウンが発令され,大学の研究棟についても3月23日を以て無期限閉鎖される事が通達されました.この閉鎖措置は「機器の保守作業などごく限られた例外を除き,研究棟における一切の滞在を禁止する」という厳格なものであり,われわれは完全テレワークへの移行を余儀なくされました.

元々は学生や大学関係者で賑わうプリンストンですが,ロックダウンを境に人通りはすっかり減ってしまい町全体が静寂に包まれました.さらにスーパーなど一部例外を除けば近隣の商店はすべて休業となり,私も不要不急の外出を控えるべく生活必需品の買い出し以外は一日の大半を自室で過ごすようになりました.テレワーク中は実験データの解析や研究に関する文献調査などを行っていましたが,やはり実験系のラボで実験が出来ないことは致命的であり,思い通り実験を進められないストレスや今後に対する不安は日ごとに増してゆきました.研究室のメンバーとはGroupMe(日本におけるLINEのようなアプリ)を利用して連絡を取り合っていましたが,他の人たちも実験がストップしている事でかなり鬱憤が溜まっているようでした.また研究室のミーティングも対面からリモートへと移行し,最初は携帯電話による1on1ミーティングが中心でしたが,程なくしてZoomを利用したグループミーティングへと移行しました(写真2写真2■Zoom上で行われた研究室ミーティング).Zoomミーティングではロックダウン解除後のプランに関して幾度となく話し合われましたが,新型コロナウイルスの感染状況の悪化はわれわれの想定を遥かに上回るものであり,研究棟の閉鎖措置は結局8月いっぱいまで継続される事となりました.

写真2■Zoom上で行われた研究室ミーティング

9月に入ると研究棟の閉鎖措置が緩和され,ようやく実験の再開が許可されました.しかしながら大学が制定したガイドラインに基づき,マスク着用に加えて毎日の体調報告および週1~2回のPCR検体提出が義務付けられた他,集会に関する制限から研究室ミーティングに関してはオンライン体制が維持されました.さらに実験室の収容人数に上限が設けられた事から在室時間帯に関するシフト制が導入され,実験可能な時間帯についても大幅な制約を受ける事となりました.こうした制限は年内いっぱいまで続きましたが,それでも実験が再開出来た事への喜びは非常に大きく,これまでの遅れを取り戻すべく日々研究に邁進しました.

かくして留学生活2回目の年末を迎えた訳ですが,2020年はまさにコロナ禍に翻弄され続けた1年間でした.特に研究棟が閉鎖された3月から8月までの間は間違いなく自身の留学生活において最も辛い時期であり,好きな時に好きなだけ実験が出来る事の有難みを改めて実感しました.

「ポストコロナ」への道のり

2021年に入り,米国内におけるコロナ禍の局面を大きく動かしたのはワクチンの普及でした.米国内でワクチン接種が始まったのは2020年12月頃と記憶していますが,当初の接種対象者は医療従事者や高齢者が中心でありました.その後米国内におけるワクチンの普及は急ピッチで進められ,2021年4月には学生・ポスドク・大学職員を対象としたワクチンの大規模接種会場が学内に設立され,5月までには私を含め大部分の大学関係者に対する二回目接種が完了しました.

そしてワクチン接種と前後して行われたガイドラインの大幅な改定の結果,対面ミーティングの再開や実験室における収容人数上限の撤廃などが発表され,これにより研究環境に関してはコロナ禍以前の状況に戻りつつあります.また最初のロックダウン以降完全オンラインに移行していた学部生も2021年の秋学期には対面授業に復帰し,さらには飲食を伴う屋内外の集会に関する規制が緩和された事からキャンパス内もかつての賑わいを取り戻したように感じられます(写真3写真3■集会規制緩和を祝したlab party(2021年4月末)).

写真3■集会規制緩和を祝したlab party(2021年4月末)

しかしながら米国における新型コロナウイルスの感染者数は11月頃から再び増加傾向に入り,学科内での陽性者発生を伝えるメールの頻度も増え始めました.これに対し大学ではワクチンの3回目接種を推進し,飲食を伴う集会を再び制限するなど,依然として予断を許さない状況は続いています.また研究活動に関する大学側の規制は撤廃されましたが,コロナ禍に端を発した物流の混乱は依然として続いており,現在においても試薬や実験用消耗品の大幅な遅配が頻発するなど影響は残ります.ワクチン接種を機に間違いなく「ポストコロナ」へ向けて歩み出した米国ですが,コロナ禍からの完全なる脱却にはもう暫く時間がかかりそうです.

終わりに

私の留学生活も残すところおよそ2カ月となり(2022年2月末に帰国予定),現在はこれまでの研究内容を論文に纏めるべくデスクワークの日々を送っています.思い返せば留学生活の半分以上はコロナ禍と共にあった訳ですが,異国の地でパンデミックに見舞われた経験もきっと将来の糧になると前向きに捉えています.そして何よりMo研での研究生活を通じて得られたものは非常に多く,海外留学を決断して本当に良かったと思います.

最後になりますが,米国留学中における研究活動の大部分は日本学術振興会(JSPS)の海外特別研究員(Overseas Research Fellowships)として行われたものであり,経済支援を頂きましたJSPSにはこの場を借りて厚く御礼申し上げます.

Reference

1) M. R. Seyedsayamdost: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 111, 7266 (2014).