Kagaku to Seibutsu 60(5): 240-250 (2022)
解説
進化から学ぶインスリン様ペプチドシステムの生理的意義動物の一生の健康を司る同化ホルモン
Physiological Significance of Insulin-like Peptide System from Evolutionary Perspective: The Anabolic Hormone Responsible for the Lifelong Health of Animals
Published: 2022-05-01
インスリン様ペプチドは,線虫からヒトに至るまで保存されている稀有な同化ホルモンである.本稿でご紹介するように,インスリン様ペプチド,結合タンパク質,受容体やそのシグナル伝達分子などから成るインスリン様ペプチドシステムは,旧口動物と新口動物で異なる戦略で進化してきたと考えられる.原生生物で動物に一番近いと言われている襟鞭毛虫のゲノムデータベースを見ても,残念ながらインスリン様ペプチドに関連した遺伝子は認められない.しかし,存在が確認された動物では,基本となる生理活性は維持されており,その活性のファインチューニングの仕組みが,動物の大きさや生存している環境や食性などに適応して修飾されてきたと言えそうである.最近,宿主のインスリン様ペプチドの遺伝子を取り込んで,感染によってインスリン様活性を発揮する可能性があるウイルスの出現も報告されている(1)1) S.-I. Takahashi: GH and IGF Research, 48–49, 65 (2019)..
Key words: インスリン; インスリン様成長因子; 代謝; 寿命; 進化
© 2022 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2022 公益社団法人日本農芸化学会
哺乳類のインスリン様活性を仲介する代表的なホルモンとして,インスリンとインスリン様成長因子(IGF)が挙げられる(これらを総称して,本稿ではInsulin-like peptides; ILPと呼ぶ).IGFには,さらに相同性の高いIGF-IとIGF-IIの二種類のアイソフォームが存在する.インスリンとIGFは,50%程度のアミノ酸が同じ配列であるため,高次構造も酷似している(1, 2)1) S.-I. Takahashi: GH and IGF Research, 48–49, 65 (2019).2) 高橋伸一郎,竹中麻子,野口 忠:蛋白質核酸酵素,41, 267 (1996)..ただし,インスリンは(B/C/A鎖領域より成る)一本鎖のポリペプチドの前駆体として合成された後,分子内でジスルフィド結合が三箇所で形成されプロセシング酵素で切断を受けると一部(C鎖領域)が切り取られ成熟型となる.これに対して,IGFはB/C/A鎖につづきD/E鎖領域も有する前駆体として合成される.IGFはインスリンと異なり,E鎖部分のみ切断により除かれ,B/C/A/D鎖から成るインスリン前駆体に似た一本鎖の状態で成熟型分子となる(図1図1■いろいろな動物で発現が明らかとなっている主なインスリン様ペプチドの構造).
さらにインスリンとIGFは,多くの異なる性質を有している(1~5)1) S.-I. Takahashi: GH and IGF Research, 48–49, 65 (2019).2) 高橋伸一郎,竹中麻子,野口 忠:蛋白質核酸酵素,41, 267 (1996).3) 高橋伸一郎:日本農芸化学会誌,72, 161 (1998).4) 高橋伸一郎:内分泌・糖尿病科,15 (Supple. 1), 110 (2002).5) 高橋伸一郎,伯野史彦,亀井宏泰,Leonard Girnita, Ignacio Torres-Aleman, 東 祐輔,福嶋俊明,柴野卓志,尾添淳文,山中大介:化学と生物,51, 389 (2013)..インスリンは膵臓で産生されているが,IGFは肝臓をはじめとした広範な組織で生合成され,その合成・分泌の調節機構もインスリンとは大きく異なる.例えば,インスリンは食事刺激に応答して一過的に分泌されるのに対して,IGF-Iは成長ホルモン(GH)やインスリン,あるいは良い栄養状態に反応して,またIGF-IIは組織の発達に応答して産生・分泌が調節され,血中変動は緩やかで日内変動などはあまり観察されない.さらに,インスリンは血中で成熟型分子のままで存在する遊離型であるのに対して,分泌後IGFは体液中あるいは細胞近傍に存在する6種類の特異的結合タンパク質(Insulin-like growth factor-binding protein; IGFBP)に結合して存在する(1, 4)1) S.-I. Takahashi: GH and IGF Research, 48–49, 65 (2019).4) 高橋伸一郎:内分泌・糖尿病科,15 (Supple. 1), 110 (2002)..IGFBPの産生や分泌は,それぞれ異なる様式で,生理状態やホルモン・サイトカインといった細胞外因子によって調節されている.それぞれのIGFBPは,体液中でのIGFの寿命調節,IGF活性の阻害や増強,組織へのIGFの輸送など広範な機能を有しており,この生理活性は,他の細胞外因子によるIGFBPの翻訳後修飾(例えば,リン酸化,分解,細胞外マトリクスとの結合など)により調節されている.最終的に,インスリンは標的細胞表面にあるインスリン受容体に結合,IGFは主にIGF-I受容体に結合する.受容体間の相同性が高く,両受容体とも標的細胞の細胞膜上に存在し,ホルモンと結合するαサブユニット,細胞膜貫通ドメインを有しチロシンキナーゼを内蔵するβサブユニットが二つずつ重合した4量体から成る(図2図2■線虫におけるインスリン様ペプチドシグナル伝達経路).インスリン受容体には,選択的スプライシングによって生成されるIR-AとIR-Bの二種の受容体が存在し,IR-Bは主にインスリンに,IR-AはインスリンだけでなくIGF-IIとも結合する.IR-Bは,出生後,主に肝臓,筋肉,脂肪組織などに発現するようになり,膵臓で産生されたインスリンが血液を介してこれらの組織の受容体に運ばれ作用を発現する,いわゆるendocrine様式で生理活性を発揮する.これに対して,IGF-I受容体は,胎児期には広範な組織で高発現しているが,出生後は,IGFの主要産生臓器である肝臓や脂肪組織には発現せず,その他の広範な組織に発現,endocrine様式で作用を発揮する.さらに,インスリンとは異なり,自身で産生して自身に作用を発現するautocrine様式,あるいは血液中に出ずに近傍の細胞に作用を発現するparacrine様式でも生理活性を発揮する点が特徴である.これらの受容体の他に,インスリン受容体のαサブユニットとβサブユニット,IGF-I受容体のαサブユニットとβサブユニットが重合したインスリン受容体とIGF-I受容体のhybridも存在し,この受容体はIGFとの親和性が高いことも報告され,受容体の発現がインスリン様活性の発揮部位を決める重要な役割を果たしている.
DAF-2(インスリン/IGF-I受容体)の下流でAGE-1(PI 3-kinase触媒サブユニット)が働きPDK-1(phosphoinositide-dependent kinase)やAKT-1/2(Akt/PKB)などのSer/Thr kinaseカスケードを活性化する.これらのkinaseはDAF-16(FOXO型転写因子)の核移行などを調節することで様々な生物現象に働く.線虫でも哺乳類などと同様にIRSホモログ(IST-1)やPI 3-kinase制御サブユニット(AAP-1)がこの経路を調節するが,これらの分子が働かなくてもAGE-1は活性化される.DAF-18(PTEN)はPI 3-kinaseと拮抗してこの経路を調節する.PQM-1(ジンクフィンガー転写因子)はDAF-16と互いに拮抗して働く.
しかし,受容体以降の細胞内シグナル伝達経路は大きな差異がなく,ホルモンとの結合により活性化した受容体キナーゼは,4種類存在が知られているIRS(insulin receptor substrate)をはじめとした細胞内基質をリン酸化し,チロシンリン酸化されたIRSは,チロシンリン酸化部位付近のアミノ酸配列を認識するSH2ドメインを有するGrb2, PI 3-kinase(phosphatidylinositol 3-kinase)の85 kDa調節サブユニットなどと結合,下流のMAP kinase経路やPI 3-kinase経路を活性化することにより,広範な生理活性を発現する(3, 5)3) 高橋伸一郎:日本農芸化学会誌,72, 161 (1998).5) 高橋伸一郎,伯野史彦,亀井宏泰,Leonard Girnita, Ignacio Torres-Aleman, 東 祐輔,福嶋俊明,柴野卓志,尾添淳文,山中大介:化学と生物,51, 389 (2013)..
培養細胞を用いた解析では,IGFはインスリンと同様に,糖・アミノ酸の膜透過の促進,RNA合成・タンパク質合成の促進など代謝制御活性,特に同化促進活性を持つことが明らかとなっている.しかし,IGFは細胞増殖・分化の誘導活性,細胞死の抑制活性など,細胞の運命を決定するような生理活性がインスリンと比べて強い点が特徴である.インスリンは,その糖代謝制御活性からI型糖尿病の治療薬として利用されているのに対して,IGF-Iをin vivo投与した際には,IGF-Iは生体の種々の代謝反応を同化の方向に傾けることがわかっており,これらの結果をふまえて,IGF-Iの臨床応用が試みられてきた.しかし,IGFは,広範な臓器に多種多様な生理活性を示す上,癌化誘導作用があることも報告されているため,臨床応用が可能な適用疾患は限られており,臓器特異的かつ特定の生理作用のみを発現させる手法の開発が強く望まれている.これまでに,IGFおよびインスリン関連因子の遺伝子ノックアウトモデル動物,過剰発現モデル動物が数多く作成されている.これらを用いて,インスリン様活性の適切な調節は,正常な卵胞発育,受精卵の着床,胎児成長と発達,幼児成長と発達,性成熟,各臓器の機能維持,物質代謝,抗老化など,動物の一生にわたって必須で,インスリン様活性が過剰に減弱されたり増強されたりすると,成長異常だけでなく,高齢化社会で大きな問題となっている種々の疾病が発症することがわかっている(5)5) 高橋伸一郎,伯野史彦,亀井宏泰,Leonard Girnita, Ignacio Torres-Aleman, 東 祐輔,福嶋俊明,柴野卓志,尾添淳文,山中大介:化学と生物,51, 389 (2013)..
本稿では,いろいろなモデル動物のインスリン様ペプチド(ILP)の性質や生理作用を紹介した後,これらのペプチドの生理的意義を進化の観点から概観したい.
線虫においてILPシステムの存在は,突然変異体の単離とその原因遺伝子の同定により初めて明らかになった.線虫は,高密度や飢餓などのストレス環境に置かれると,「耐性幼虫(dauer)」と呼ばれる高ストレス耐性で長く生きられる幼虫期に移行する.研究の過程で,生存に有利な環境であっても耐性幼虫期に移行する「dauer formation(daf)」変異体が単離された(6)6) D. L. Riddle, M. M. Swanson & P. S. Albert: Nature, 290, 668 (1981)..その後,daf変異体の1つdaf-2変異体では成虫の寿命も延長することがわかった(7)7) C. Kenyon, J. Chang, E. Gensch, A. Rudner & R. Tabtiang: Nature, 366, 461 (1993)..原因遺伝子のマッピングにより,DAF-2はインスリン/IGF-I受容体のホモログをコードすることが明らかにされた(8)8) K. D. Kimura, H. A. Tissenbaum, Y. Liu & G. Ruvkun: Science, 277, 942 (1997)..また,daf-2の表現型を抑圧する変異体として単離されていたdaf-16変異体の原因遺伝子はフォークヘッド型転写因子をコードしており(9)9) S. Ogg, S. Paradis, S. Gottlieb, G. I. Patterson, L. Lee, H. A. Tissenbaum & G. Ruvkun: Nature, 389, 994 (1997).,ILPシグナルはこの転写因子を介して発生や寿命に関わる遺伝子発現を制御していた(10)10) J. J. McElwee, E. Schuster, E. Blanc, J. H. Thomas & D. Gems: J. Biol. Chem., 279, 44533 (2004)..さらなる遺伝学的解析により,PI 3-kinaseなどILP経路を構成する進化的に保存されたシグナル伝達分子が同定されている(図2図2■線虫におけるインスリン様ペプチドシグナル伝達経路).
線虫のILP経路の活性は発生や寿命の制御のみならず,末梢組織の代謝や,神経機能制御,ストレス応答など,様々な役割を持つ.多くの場合,DAF-16のような転写因子による転写を介して機能が発揮されるが,転写を介さない短期の働きも知られている.例えば,雄の交尾行動において,ILP経路は筋肉のカリウムチャネルの働きを調節する(11)11) T. R. Gruninger, D. G. Gualberto & L. R. Garcia: PLoS Genet., 4, e1000117 (2008)..また,神経軸索においてシナプス伝達を調節し学習行動を制御する(12)12) H. Ohno, S. Kato, Y. Naito, H. Kunitomo, M. Tomioka & Y. Iino: Science, 345, 313 (2014)..線虫には40種ものILP(ins-1~ins-39, daf-28)が主に神経系や腸などに発現しており,関わる生命現象によって一部異なるILPが働く.これらは,哺乳類のインスリンと同様にCペプチドを持つもの,シグナルペプチドとBペプチドの間に存在する線虫特有のFペプチドを持つもの,いずれの切断ペプチドも持たないもの,の3種に分けられる(13)13) S. B. Pierce, M. Costa, R. Wisotzkey, S. Devadhar, S. A. Homburger, A. R. Buchman, K. C. Ferguson, J. Heller, D. M. Platt, A. A. Pasquinelli et al.: Genes Dev., 15, 672 (2001).(図2図2■線虫におけるインスリン様ペプチドシグナル伝達経路).これらのILPは冗長的に働くだけではなく,ストレスや加齢に依存してILPの発現が変動すると別種のILPの発現が変化するという,ILPシグナル間の制御ネットワークが存在する(14)14) D. A. Fernandes de Abreu, A. Caballero, P. Fardel, N. Stroustrup, Z. Chen, K. Lee, W. D. Keyes, Z. M. Nash, I. F. López-Moyado, F. Vaggi et al.: PLoS Genet., 10, e1004225 (2014)..このように多種のILPが存在する一方で,インスリン/IGF-I受容体ホモログをコードする遺伝子はdaf-2のみである.シグナル伝達の多様性を生み出す仕組みの一つとして,選択的RNAスプライシングにより産生されるdaf-2のアイソフォーム(哺乳類のIR-A/B)が生命現象に応じて使い分けられている.寿命や発生を制御するアイソフォームは全身で遺伝子発現を調節する一方で,学習行動において働くアイソフォームは特定の神経においてシナプス伝達制御に特化した役割を持つ(15)15) M. Tomioka, Y. Naito, H. Kuroyanagi & Y. Iino: Nat. Commun., 7, 11645 (2016)..このようなシンプルなモデル生物である線虫を用いた研究により,多様なILP経路の役割がさらに明らかなっていくことが期待される.
無脊椎動物で最初に見出されたILPは,1984年にカイコガから単離されたボンビキシンである.それ以降,昆虫類では,ILPが保存されていることがわかってきた(16)16) N. Okamoto: “Handbook of hormones: Comparative endocrinology for basic and clinical research” ed. by Ando H, Ukena K, and Nagata S. Elsevier. (2021) Chapter 64..また,無脊椎動物の甲殻類であるダンゴムシからは造雄腺ホルモン(Androgenic gland hormone: AGH),棘皮動物であるヒトデからはリラキシン様性腺刺激ホルモン(Relaxin-like gonad-stimulating peptide: RGP),軟体動物からはMIP(Molluscan insulin-related peptide)がILPとして見出されている.このように,無脊椎動物には哺乳類のインスリンと同様の構造を有するILPが保存されており,ILPは脊椎動物のインスリンと同様に,前駆体から成熟ペプチドを生成する(16)16) N. Okamoto: “Handbook of hormones: Comparative endocrinology for basic and clinical research” ed. by Ando H, Ukena K, and Nagata S. Elsevier. (2021) Chapter 64..すなわち,B/C/A鎖の前駆体からプロセッシング後にB/A鎖がジスルフィド結合を介してヘテロダイマーになる.他にも,Cペプチドが切断されないIGFと同様の一本鎖の構造を有するものも昆虫では確認されている.
ILPは節足動物全般に保存されている生理活性因子であるが,無脊椎動物では,その発現様式や発現パターンなども種によって異なり多様である.まず,注目すべきなのは,Subtypeの数である.無脊椎動物の進化の頂点である昆虫類ではSubtypeの数は一般的には多く,例えば,カイコガでは,40種以上が見出されている.また,キイロショウジョウバエにおいては8種が報告されている(16, 17)16) N. Okamoto: “Handbook of hormones: Comparative endocrinology for basic and clinical research” ed. by Ando H, Ukena K, and Nagata S. Elsevier. (2021) Chapter 64.17) S. G. Biglou, W. G. Bendena & I. Chin-Sang: Peptides, 145, 170640 (2021)..例外はもちろんあり,バッタ類では1種しか確認されていない.
無脊椎動物のILPは,Subtypeによって発現組織や発現部位が異なる.昆虫類では,ILPは主に脳内のILP産生細胞(Insulin producing cell: IPC)で強く発現している.発現したILPは,軸索を通って脳に付随する側心体あるいはアラタ体と呼ばれる神経分泌領域から循環系すなわち体液中(血中)に分泌される.ILPは脳内のIPC以外にも腸管や脂肪組織など体内のあらゆる組織から分泌されている.脳内で循環系に分泌されるILPは,paracrine様式で活性が認められる場合もあるため,ILPの作用機序は発現部位,Subtypeによって異なり,多様なものと考えられる(18)18) T. Koyama, M. J. Texada, K. A. Halberg & K. Rewitz: Cell. Mol. Life Sci., 77, 4523 (2020)..例えば,キイロショウジョウバエの場合,Dilp-1~8までの8種類のうち,Dilp-1,-2,-3,-5は脳内で産生され,Dilp-6は脂肪組織,Dilp-2は胚や中腸,だ液腺でも発現が認められる.また,発現時期もILPのSubtypeにより異なる.例えば,脂肪組織で発現するDilp-6は幼虫と成虫で発現しているが,Dilp-7は胚期の中腸および終齢幼虫と成虫の腹部神経節で発現が認められる.さらに,Dilp-8は幼虫期の成虫原基や成虫の卵巣で発現が確認されている.このように,ILPは組織・時期特異的に発現するホルモンであると考えられる.
昆虫類のILPは生育,成長で重要な機能を発揮する.多くの研究から,ILPが成長過程の様々な段階に関わることが示されている(表1表1■無脊椎動物のILPの機能の多様性).昆虫類のILPの主要な機能は,脊椎動物と同様に,血糖レベルを調節することである.他にも成長や生殖,脱皮・変態,ストレスの応答などに関与している.特に,体サイズの規定に重要な役割を果たしていることは非常に興味深い(18~20)18) T. Koyama, M. J. Texada, K. A. Halberg & K. Rewitz: Cell. Mol. Life Sci., 77, 4523 (2020).19) U. Toprak: Front. Physiol., 11, 434 (2020).20) X. Y. Lin & G. Smagghe: Peptides, 122, 169923 (2019)..具体的には,カブトムシの場合,攻撃器である角の大きさが,栄養状態を反映したインスリン様シグナル経路の活性に依存して変化する.寿命や絶食耐性への関与は昆虫に特徴的で,AGHやMIP, RGPを含め生理活性も多様である(表1表1■無脊椎動物のILPの機能の多様性).
ペプチド名 | 生物種 | 機能 |
---|---|---|
ILP (Insulin-like peptide) | キイロショウジョウバエ他(昆虫) | 血糖レベルの調節 |
脂肪細胞への脂質蓄積 | ||
成長,脱皮変態(脱皮ホルモンの生合成と分泌・幼若ホルモンの分泌調節) | ||
卵巣成熟 | ||
寿命 | ||
絶食耐性 | ||
AGH (Androgenic gland hormone) | ダンゴムシ他(甲殻類) | 造雄腺刺激ホルモン |
性転換 | ||
MIP (Molluscan insulin-related peptide) | モノアラガイ他(軟体動物) | 糖代謝制御 |
長期記憶 | ||
殻,体サイズ調整 | ||
RGP (Relaxin gonad-stimulating peptide) | ヒトデ(棘皮動物) | 生殖腺刺激活性 |
抱卵行動惹起 |
無脊椎動物のILPの機能は多岐にわたるが,細胞内シグナル経路は哺乳類をはじめとする脊椎動物とほぼ同じである(18, 20)18) T. Koyama, M. J. Texada, K. A. Halberg & K. Rewitz: Cell. Mol. Life Sci., 77, 4523 (2020).20) X. Y. Lin & G. Smagghe: Peptides, 122, 169923 (2019)..ただ,興味深いことに,昆虫類の場合は,受容体はチロシンキナーゼ型と,リラキシン受容体タイプであるGタンパク質共役受容体(GPCR)型が一つずつ同定されているのに対し,多様な生理活性をILPのSubtypeの発現部位と発現時期で巧みに操っていることが明らかとなっている.機能解析や特異的発現解析など,さらなる解明が待たれる.
魚類を含む脊椎動物においてILPは,インスリンとIgfに大別される.広義ではインスリンに類似の構造を取るリラキシンもあるが,インスリン/Igfとは一次構造や受容体等の面で大きく異なる.インスリン型の分子は脊椎・無脊椎動物で広く確認されているが,Igf型の分子(前駆体にE鎖を含み,成熟型分子がB/C/A/D鎖からなるもの)は原始的な脊索動物から魚類を含む脊椎動物において認められている.また,魚類の中でも真骨魚類では特有の全ゲノム重複が起きており,二つのインスリン遺伝子(insa/b),igf1遺伝子(igf1a/1b(3)),igf2遺伝子(igf2a/2b)が存在する(2121) M. R. Papasani, B. D. Robison, R. W. Hardy & R. A. Hill: Physiol. Genomics, 27, 79 (2006)., 22)22) S. Zou, H. Kamei, Z. Modi & C. Duan: PLoS One, 4, e7026 (2009).(図3図3■真骨魚類インスリン様ペプチドの分子数と哺乳類との比較・進化過程での変遷).なお,哺乳類ではIns1/Ins2という二種類のインスリン遺伝子を持つ場合(マウス)やINS遺伝子と隣接するIGF2遺伝子で融合遺伝子(INS-IGF2)を形成する場合(ヒト)もある.
魚類(特に真骨魚)のインスリンには哺乳類と共通する点も多いが,異なる点もある.魚でも摂餌後に明確にインスリンの血中量増加を認めるが,特に肉食性の魚の場合,グルコース(糖)よりも特定のアミノ酸がより強力にインスリンの分泌誘導を担い,インスリンはアミノ酸の取り込みを促す(23)23) T. Andoh: Gen. Comp. Endocrinol., 151, 308 (2007)..これらの魚ではグルコース投与で高血糖が持続されるが,血糖の上昇のみではインスリンの分泌が十分起こらない.多くの魚類で認められるように,脊椎動物の共通祖先が肉食性であったとすると,糖質よりもタンパク質分解によって生じるアミノ酸をインスリン分泌につなげ,栄養供給とインスリンの同化促進作用を連動させたと考えることもできる.インスリンによる糖の取り込みの促進は植食性の出現や陸上進出に伴い進化の途中で付与された機能なのかもしれない.一方で,雑食性の魚では糖質を多く含む餌や血中インスリンの上昇により筋肉中のインスリン受容体が増加し,食餌後の糖取り込みがなされるという報告もある(24)24) M. Parrizas, N. Banos, J. Baro, J. Planas & J. Gutierrez: Regul. Pept., 53, 211 (1994)..インスリン刺激で細胞膜上に浮上し細胞外からの糖取り込みに寄与するグルコース輸送体(Glut)4は真骨魚でも存在し,確かにインスリンを十分量投与すると血中グルコースは低下するが(25)25) A. L. Pierce, J. P. Breves, S. Moriyama, T. Hirano & E. G. Grau: J. Endocrinol., 211, 201 (2011).,グルコースと魚のGlut4との親和性は哺乳類のそれと比べて低い(26)26) E. Capilla, M. Diaz, A. Albalat, I. Navarro, J. E. Pessin, K. Keller & J. V. Planas: Am. J. Physiol. Endocrinol. Metab., 287, E348 (2004)..インスリンの生理機能の差異と食性の関係は,今後さらに様々な魚種あるいは生物種での知見とともに精査される必要がある.
真骨魚のigfは,主に肝臓で発現するもの,ほぼ全ての組織・器官で同レベルで発現するもの,あるいは様々な組織で発現するが肝臓をはじめ目や脳など特定の器官で高発現するものなど遺伝子ごとに多様な発現パターンを示す(22)22) S. Zou, H. Kamei, Z. Modi & C. Duan: PLoS One, 4, e7026 (2009)..哺乳類では成長ホルモン(GH)やインスリンは肝臓におけるIGF1の合成・分泌を促すがIGF2は増加させない.しかしサケ科・シクリッド科など一部の魚の肝臓ではGHが単独あるいはインスリンと協調してigf1/2両方の発現を上昇させる(25)25) A. L. Pierce, J. P. Breves, S. Moriyama, T. Hirano & E. G. Grau: J. Endocrinol., 211, 201 (2011)..コルチゾールやコルチコステロンに代表される糖質コルチコイドは,魚類でも哺乳類でも肝臓のIGF1/Igf1の合成・分泌を低下させるが(27)27) S. Kajimura, T. Hirano, N. Visitacion, S. Moriyama, K. Aida & E. G. Grau: J. Endocrinol., 178, 91 (2003).,サケ科魚などではコルチゾールにより肝臓でigf2の顕著な発現上昇が起こる(28)28) A. L. Pierce, J. T. Dickey, L. Felli, P. Swanson & W. W. Dickhoff: J. Endocrinol., 204, 331 (2010)..一方,真骨魚のゲノム重複で生じたigf1遺伝子のうち一つはigf3(ゼブラフィッシュではigf1bと同一)とも呼ばれ成魚では生殖腺特異的に発現し配偶子形成に不可欠とされている(29)29) R. H. Nóbrega, R. D. V. S. Morais, D. Crespo, P. P. Waal, L. R. França, R. W. Schulz & J. Bogerd: Endocrinology, 156, 3804 (2015)..IgfはI型Igf受容体を介したシグナル伝達を通じて発達・成長・各組織の機能維持に働く.多くの魚種でIgf1/2の合成量や血中量が体サイズ・成長速度と正の相関が,ある種のIgfbpでは負の相関がある(30)30) M. Shimizu & W. W. Dickhoff: Gen. Comp. Endocrinol., 252, 150 (2017)..IgfbpはIgfの働きを正にも負にも調節する.また遺伝子の発現制御に加え,IgfbpのみならずIgfbp切断酵素,細胞内シグナルの起点となるIrsなど,保存された種々の制御分子が状況に応じて働くことでIgfの多様な生理作用が生じる(図3図3■真骨魚類インスリン様ペプチドの分子数と哺乳類との比較・進化過程での変遷).近年の小型モデル魚を用いた研究からは,心臓・鰭などの再生(31)31) F. Chablais & A. Jazwinska: Development, 137, 871 (2010).,環境適応(環境水中のカルシウムや酸素濃度の変化)(3232) H. Kamei, Y. Yoneyama, F. Hakuno, R. Sawada, T. Shimizu, C. Duan & S. I. Takahashi: Endocrinology, 159, 1547 (2018)., 33)33) C. Liu, Y. Xin, Y. Bai, G. Lewin, G. He, K. Mai & C. Duan: Sci. Signal., 11, eaat2231 (2018).,覚醒時の活発な行動(34)34) T. G. Ashlin, N. J. Blunsom, M. Ghosh, S. Cockcroft & J. Rihel: Cell Rep., 24, 1389 (2018).,環境刺激への慣れ(学習)(35)35) M. A. Wolman, R. A. Jain, K. C. Marsden, H. Bell, J. Skinner, K. E. Hayer, J. B. Hogenesch & M. Granato: Neuron, 85, 1200 (2015).など,通常の体成長促進以外でもIgfの必要性が見出されている.これらのIgf機能の動物界での普遍性にも興味が持たれる.
陸上生活に適応した羊膜類(爬虫類・鳥類・哺乳類)の中でも,鳥類は行動範囲を水上や空中にも広げ,見事な繁栄と生活史の多様化を遂げた.現在までに様々な鳥類種のゲノムが解読されたが,インスリン遺伝子の重複は報告されておらず,ヒトと同様にゲノム中に1個のプレプロインスリン遺伝子を持つ.IGF-Iおよび-IIについても,1遺伝子ずつが同定されている.インスリンのアミノ酸配列は,他の動物種と相同性は高いが,A鎖領域の8番目のアミノ酸に非同義置換が生じて,鳥類に特徴的な2タイプの多型が見出されている(36)36) J. Simon, S. Laurent, G. Grolleau, P. Thoraval, D. Soubieux & D. Rasschaert: Mol. Phylogenet. Evol., 30, 755 (2004)..それらは地上生のキジ目(ニワトリや七面鳥)やダチョウ目に見られるタイプと水生のカモ目のタイプに大別され,この変異により受容体との親和性に違いが生じることが報告されていることから,インスリン様活性の獲得・喪失を理解する上で重要な分子進化であることも考えられる.
鳥類においてもインスリンは糖やアミノ酸の取り込み,脂肪合成に関与し,同化を促進するが,糖の代謝制御活性に関しては他の動物種との相違が多く報告されている.鳥類の血糖値を見ると,例えばニワトリは孵化時点でおよそ200 mg/dLにも達し(37)37) J. W. Lu, J. P. McMurtry & C. N. Coon: Poult. Sci., 86, 673 (2007).,その後も哺乳類より数倍高い値が維持されることが知られている(ヒト,100–130 mg/dL;ニワトリ,200–250;アヒル,180–200;ハチドリ,750;ダチョウ,200–220).進化的に近縁の爬虫類は,哺乳類よりも低血糖の傾向があり,高血糖を維持する糖代謝機構は鳥類の生活環境に適応する仕組みであったと考えられる.血漿中インスリン濃度についても,血糖値同様に,胚発生に伴って上昇する(37)37) J. W. Lu, J. P. McMurtry & C. N. Coon: Poult. Sci., 86, 673 (2007)..また,ニワトリのインスリン負荷試験において,血糖値降下を引き起こすのに必要なインスリン投与量は,哺乳類では致死量に相当する量とも言われている(38)38) J. Simon, P. Freychet & G. Rosselin: Diabetologia, 13, 219 (1977)..これらのことから,鳥類は哺乳類と比較するとインスリン応答性が鈍い生物と考えられている.興味深いことに,血糖上昇作用があるグルカゴンに対しては感受性が高く,このホルモンの寄与により数日間の絶食でも血糖は降下せずに維持されることが示されている(39)39) P. S. Belo, D. R. Romsos & G. A. Leville: J. Nutr., 106, 1135 (1976)..さらに飛翔性の鳥や肉食性の鳥においては,血糖値維持やエネルギー源の確保には,筋肉・肝臓グリコーゲンの分解よりも,筋肉や脂肪組織由来のアミノ酸や脂肪酸を出発源とする糖新生が重要な役割を果たしており,これにはグルカゴンによる異化作用の働きが重要であることが示唆されている.血糖の恒常性維持は様々な因子が関与する巧妙な仕組みではあるが,鳥類はエネルギーを臓器に蓄える方向に働くインスリン軸の糖代謝制御を相対的に弱めて,異化を促進し飛翔や産卵のために絶えず活発にエネルギーを生成・消費する独自の糖代謝制御機構を備えたと考えれば,これが生活様式の多様化にも寄与した可能性も考えられるのではないだろうか.
インスリン/IGFは鳥類の生育・成長でも中心的な役割を果たしている.哺乳類と同様,IGFおよびIGFBPはタンパク栄養の状態を反映して血中濃度が変化し,栄養摂取と成長を結びつける重要な因子である.特に種鶏では飼料効率の観点から,タンパク・アミノ酸給餌と増体に関する知見は豊富である.成長促進効果がある特定のアミノ酸種は,同時にインスリン,IGF-Iの血中濃度を上昇させることがわかっている(40~42)40) C. Wen, X. Jiang, L. Ding, T. Wang & Y. Zhou: Sci. Rep., 7, 1924 (2017).41) F. L. S. Castro, S. Su, H. Choi, E. Koo & W. K. Kim: Poult. Sci., 98, 1716 (2019).42) J. Yu, H. Yang, Z. Wang, H. Dai, L. Xu & C. Ling: Ital. J. Anim. Sci., 17, 1077 (2018)..胚発生期には,IGF-II(75–120 ng/mL)はIGF-I(5–20 ng/mL)よりも高い値で維持されているが,孵化後には逆転してIGF-IIは減少し,IGF-Iが3–7週齢まで上昇し続ける(37)37) J. W. Lu, J. P. McMurtry & C. N. Coon: Poult. Sci., 86, 673 (2007)..成長が早い個体や筋肉量が多い個体ほどIGF-Iの血中濃度は高い傾向にあり,成長速度と関連するIGF-Iの遺伝子/遺伝子発現制御領域の塩基多型も見つかっている.しかし,GH受容体遺伝子の変異によりGHが作用しないニワトリでは,血中IGF-Iは顕著に減少し,生体のサイズは小さくなる(43)43) N. Huang, L. A. Cogburn, S. K. Agarwal, H. L. Marks & J. Burnside: Mol. Endocrinol., 7, 1391 (1993)..
鳥類の寿命とインスリン様活性の関係については,鳥類の寿命の実態自体に未解明な部分も多く,知見が限られている.哺乳動物は体サイズが大きい種ほど寿命が長い傾向にあり,体サイズと寿命には正の相関があることが知られている.鳥類をこの相関に当てはめ,同程度の体サイズ同士の寿命を比べてみると,鳥類は体サイズの割に寿命が長いことを報告する研究もある(44)44) D. J. Holmes & S. N. Austad: Am. Zool., 35, 307 (1995)..前述の通り,鳥類は哺乳類でいう糖尿病発症時に見られるような高血糖状態を維持しているユニークな動物であり,また,エネルギー代謝が活発である分,老化を進行させる活性酸素種の発生も比較的多いと推定され,鳥類の生態と寿命調節の間には様々な矛盾(“Bird Paradox”)が存在する(45)45) D. Costantini: Ecol. Lett., 11, 1238 (2008)..インスリン様活性と寿命の関係を理解する上で,鳥類を対象とした研究は興味深い領域であり,新たな研究の切り口として今後の進捗を期待したい.
ここまで,いろいろなモデル動物のゲノム解析によって,インスリン様ペプチドシステムの分子進化についての知見を紹介してきた.
単細胞真核生物の代表である酵母にはインスリン様ペプチドの遺伝子は確認できないが,上述したように,旧口動物の線虫やショウジョウバエでは多くのインスリン様ペプチドの遺伝子が存在している.これらは主に神経系細胞で産生されており,栄養状態をはじめとした生体の置かれた状況に応答して分泌が制御されている.一方,これらの生物にはIGF-I受容体/インスリン受容体に相同性の高い受容体が一種類存在している.以降のシグナル伝達系は哺乳類とも良く似ており,これらの経路を介して末梢組織の代謝を調節,その結果成長・成熟・老化などが制御されている.この伝達系のシグナル分子の機能を欠損させるとその生物は長寿命となる点は特記すべき点である.これに対して,新口動物では,原始的な脊索動物(頭索動物のナメクジウオ)では構造的にインスリンとIGFの特徴を併せ持つインスリン様ペプチドを一種類持つのみである.個体サイズが大きくなり,大量に取り込んだ栄養素を代謝する必要が生じた脊椎動物の前後の段階で,IGFとインスリン,IGF-I受容体とインスリン受容体の遺伝子がそれぞれ出現する.また,IGF-I受容体とインスリン受容体には,主に長期作用と短期作用を発揮する仕組みも組み込まれていることもわかってきている.これらによって,IGFシステムがタンパク質代謝の調節を介して発達・成長・成熟・老化などの長期作用を制御,インスリンシステムがエネルギー代謝などの短期作用を制御という分業化が行われたと考えると,このシステムの進化的意義が理解できる.
なぜ,新口動物では,旧口動物のようにインスリン様ペプチドを多種類にする必要がなかったのであろうか?新口動物では,進化の過程で,先に紹介したIGFBPなどが発現するようになり(とはいえ最近,IGFBPは当初はIGFと相互作用せず,IGFとは独立した機能を発揮していたことをうかがわせる結果が出てきている(46)46) J. B. Allard & C. Duan: Front. Endocrinol (Lausanne), 9, 117 (2018).),このIGFBPが種々の細胞外因子によって産生が制御されるようになった.また脳ホルモンであるGHなどが発現しIGF-Iの産生を支配する(これも偶然,GHのシグナル下流の転写因子が,IGF遺伝子の発現を促進するようになったと考えると都合の良い証拠がいくつも存在している(47)47) 高橋伸一郎, 伯野史彦:代謝 成長,9(2), 1 (2018).),いわゆる「GRH-GH-IGF-I axis(視床下部-脳下垂体-内分泌組織軸の一つ)」が機能するようになったことも注目に値する.さらに,他の多くの細胞外因子が出現し,これらによりIGFやインスリンの細胞内シグナルが修飾されるようになった.これらの機構を介して,生体が置かれた状況をモニターしてダイナミックに変動する他の細胞外因子の情報が,主に動物の栄養状態や組織発達状態をモニターして産生・分泌が制御されているILPの情報に合流し,生理活性の種類・強度の変動に反映,統合されるという仕組みができあがったと考えることができそうである.このように,新口動物ではインスリン様ペプチドの種類を,旧口動物のように多種類にしないという戦略で進化が進んだことが,ILPの生理的意義を複雑にしていると言うこともできる.
インスリン様ペプチドシステムは,線虫からヒトに至るまで修飾を受けながら進化してきた.進化の過程で獲得してきたインスリン様活性の調節機構は,動物の一生のいろいろな場面で重要な役割を果たしている.すなわち,生体の置かれた状況に応じてILPの産生・分泌,血中動態,受容体発現,細胞内シグナル伝達の段階で緻密に制御され,インスリン様活性が合目的的に調節される結果,生命の維持が可能となっている.しかし,これまでの研究成果では,多くの動物では,インスリン様シグナルが抑制されると,FoxOなどの転写因子が活性化され,ストレス耐性が発揮される結果,寿命が延長する(48)48) L. Fontana, L. Partridge & V. D. Longo: Science, 328, 321 (2010)..分子機構は解明されていないが,アカゲザルも例外ではない.しかし,ヒトは,インスリン様シグナルが抑制されると,糖尿病をはじめとした代謝性疾患や炎症などの免疫疾患などが誘導され,多くの老化現象を引き起こすこともわかっている.一方,植物や酵母をはじめとした微生物では,窒素源が足りないことがシグナルとなって物質代謝が調節されている.この種の生理現象は,線虫,ショウジョウバエ,魚類,鳥類,げっ歯類やヒトでも観察され,TORのような既知経路あるいは未知の機構を介したアミノ酸シグナルは,ILPと独立して,あるいは連携して合目的的にインスリン様活性を発現していることが明らかになりつつある(49)49) 高橋伸一郎,伯野史彦,山中大介,中林 靖,豊島由香,竹中麻子:実験医学,37, 514 (2019)..この事実は,当初アミノ酸が直接のシグナルとなって物質代謝を制御していたが,進化とともにこの役割をインスリン様ペプチドシステムに引き継いだが,未だに最初の栄養因子シグナルの仕組みが基本に生物に残されていると考えることもできる.なぜ,ヒトの健康寿命の延伸にはインスリン様シグナルの抑制が有効ではないのか,アミノ酸シグナルとインスリン様シグナルはどのような普遍的なあるいは特異的な意義があるのか,まだまだ解明しなければいけない課題は続く.
Acknowledgments
本稿の一部の成果は,科学研究費補助金,研究拠点形成事業,農林水産業・食品産業科学技術創造促進事業,ムーンショットなどのサポートのもと,多くの共同研究者と行われたものです.粗稿の段階でいろいろとsuggestionをいただいた中川純一博士(前東京農業大学),小田裕昭博士(名古屋大学),竹中麻子博士(明治大学),豊島由香博士(宇都宮大学),小野隆一氏(東京大学)に感謝します.
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