Kagaku to Seibutsu 60(6): 263 (2022)
巻頭言
自然に寄り添うバイオテクノロジー
Published: 2022-06-01
© 2022 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2022 公益社団法人日本農芸化学会
日本列島は,豊富な水資源を湛えた山々と暖流と寒流がぶつかる海に囲まれ,また四季の移ろいに彩られた豊かな自然に恵まれています.一方,豊かな自然は時に猛威を振るい,日本は世界でも自然災害が特に多い国として知られています.あの東日本大震災以降も熊本や北海道で大型地震が発生し,また毎年のように大型台風や豪雨に見舞われています.私たち日本人は古来,そんな環境のもとで暮らして来ました.豊かな自然の恵みを生かし,旬な素材の良さをそのまま取り入れた素晴らしい和食文化を発達させる傍らで,自然災害にはそれが甚大な被害をもたらそうとも抗うことなく粛々と受け入れて来ました.そこにおいては,日本人は自然を克服するのではなく,ましてや征服するのではなく,自然に寄り添って生きてきた民族と言えるのではないでしょうか.自然との向き合い方は,始めに創造者と被創造物(人類を含めた自然を含む)がおかれた旧約聖書以来の捉え方をもとにする西欧社会のそれとは異なっているのかもしれません.日本では神々が現れる前に自然があったとされています.
さて国土の狭い日本は資源が乏しいと言われて来ましたが,最近では世界第6位の排他的経済水域を有し(国土面積では第61位),豊富な海洋・海底資源を有していると言われています.これをバイオテクノロジーの資源,つまり微生物とその遺伝子としてみると超資源大国であると言えるかもしれません.島嶼を含めた日本列島は南北に長く,極寒の地から亜熱帯まで伸びています.また三次元,つまり高低でみると3,000 m級の山々と1万m級の海溝を有しています.世界の1割に相当する数多くの活火山もあります.日本には極限環境微生物を含む極めて多種多様な微生物・遺伝子資源がまだまだ眠っているはずです.
筆者が社会人となり企業で研究開発に従事し始めた頃,「スクリーニング技術—微生物の潜在機能をさぐる」(別府輝彦・編,講談社サイエンティフィック)という本が出版されました.新規酵素や新規抗生物質の探索について,如何に捉えられ如何に工夫されたかを勉強させて頂きました.この本は当時「バイオテクノロジーシリーズ」として編まれた全8冊のうちの一冊で,他の7冊はインスリン,細胞培養,バイオリアクター,バイオプロセス,酵素の新機能開発等を扱ったものでした.同シリーズに加えられたということは,当時微生物スクリーニングがバイオテクノロジー研究で重要な位置を占めていたことが伺われます.もし現在,同様のシリーズが企画されるとしたらどうでしょうか.技術の発展と共に昨今の持続可能な循環型社会に向けた世の中の要請により何倍もの冊数になることは想像に難くありませんが,スクリーニングが取り上げられるとしたら恐らくin silicoスクリーニングに焦点が当てられるでしょう.昨今,In silicoスクリーニングはその手っ取り早さ(言い換えれば結果の出やすさ)もあって盛んに行われています.
ただ誤解を恐れずに言えば,これらの手法が多分に既知物質との相同性をベースにしたものであるならば,そこから得られるものは既知の物質の延長線上でしかあり得ません.真の破壊的イノベーションを起こすことの出来る物質の発見は,自然界からの地道なスクリーニングでしかなし得ないと言えるのではないでしょうか.イベルメクチンを発見された大村先生もスタチンを発見された遠藤先生も「自然が答えを持っている」あるいは「自然からの贈りもの」と述べられています.