生物コーナー

絶滅危惧種ツシマヤマネコの保全ツシマヤマネコ保護増殖事業の概要

中島 絵里

Eri Nakajima

合同会社対馬自然写真研究所

Published: 2022-06-01

種の保存法に基づくツシマヤマネコ保護増殖事業

環境省レッドリスト2020に掲載されている絶滅危惧種3,716種の中で,絶滅の危険度が最も高いカテゴリーの絶滅危惧IA類に含まれる種の1つがツシマヤマネコ(Prionailurus bengalensis euptilurus)である.

「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)では,環境省レッドリストをもとに,人為の影響により生息・生育状況に支障をきたしているものの中から国内希少野生動植物種を指定し,さらに繁殖の促進や生息地整備等の事業の推進をする必要がある場合は保護増殖事業計画を策定して保護増殖事業を実施することとしている.

ツシマヤマネコ保護増殖事業計画は1995年に環境庁(現環境省)と農林水産省によって策定されており,現在は環境省が地元自治体である長崎県,上県町(現対馬市)の協力を得て1997年に開所した対馬野生生物保護センターを拠点に保護増殖事業を実施している.

ツシマヤマネコの概要

ツシマヤマネコは南アジア,東南アジアから中国・朝鮮半島,シベリアまで広く分布するベンガルヤマネコの亜種とされ,日本では長崎県対馬にのみ分布する.体重は3~5 kg程度で大きさは多くのイエネコ(Felis silvestris catus)とほとんど変わらないが,全身に不鮮明な斑点があり,丸い耳と太い尾,耳の後ろに白斑(虎耳状斑)があることが特徴である.

対馬は九州と韓国との間に位置し,南北約82 km,面積約700 km2の対馬島と周辺の属島から成る.ツシマヤマネコは約10万年前以前に島嶼化した際にユーラシア大陸の個体群と別れ,地域個体群として存続してきたと考えられる.対馬の生物相は北海道,本州・四国・九州,南西諸島などとは異なる独自のもので,大陸系・日本本土系・共通型に分けられるほか,固有の動植物も多い.在来食肉目は3種が生息する.ツシマテン,シベリアイタチは果実など植物も利用するが,ツシマヤマネコは完全な肉食性であり,対馬の生態系の最上位にいる.

主な餌動物は小型哺乳類だが,鳥類や昆虫,両生類,爬虫類なども捕食しており,生息環境や季節で異なる餌資源の利用しやすさに応じて柔軟に食性を変化させていると考えられている.また,単独性で定住性が強いこと,同性間では排他的な行動圏(オス0.5–16.5 km2,メス0.2–2.5 km2)を持つこと,オスは交尾期である冬季に行動圏を拡大すること,行動圏内でよく利用する場所は異性間でも重複しないことがわかっている(Izawa and Nakanishi(1)1) M. Izawa & N. Nakanishi: Prionailurus bengalensis euptilurus (Elliot, 1871). In The Wildlife Mammals of Japan. Eds. By S.D. Ohdachi, Y. Ishibashi, M.A. Iwasa, T. Saito. Shokado, Kyoto. 2009. p.226-227.).メスは春に1~3頭の仔ネコを出産し,単独で子育てを行う.生まれた子は秋ごろに母親から離れ,メスは母親の近くに,オスは遠くに移動して定住すると考えられている.

ツシマヤマネコの生息状況

環境省は1980年代以降全島的な生息状況調査を5~10年に1回行っており,最新の第五次調査では2010年代後半の生息状況と過去からの推移を評価している(環境省(2)2) 環境省九州地方環境事務所:最新のツシマヤマネコ生息状況等調査(第五次調査)の結果概要について,http://kyushu.env.go.jp/pre_2020/327.html, 2020.).

2000年代以降はDNA分析でツシマヤマネコと確認した糞,写真,死体や保護などで個体が確認できた情報のみを用いて分布図を作成している(図1図1■年代別生息分布図(環境省(2)).これをみると,北側では広くメスも確認される状態が続くとともに徐々に南へと分布が拡大している.2000年代前半に生息情報が得られなかった南側でも確認が増えているが,その分布は不連続でメスは確認されていない.また,糞の密度を指標とした相対的な生息密度や生息頭数の推定も行われた.これらを2010年代前半と比較した結果,地域区分によっては増減があるものの全体としての密度や定住個体数の推定値には大きな変動はなく,2010年代前半まで続いていた減少傾向は止まり,生息状況が改善している可能性もあると報告された.

図1■年代別生息分布図(環境省(2)

流域界をもとに107地域に区分して評価,繁殖確認情報は2010年代後半のみでメス確認よりも優先的に表示.

なお,生息頭数については2つの方法で定住個体数を90頭前後ないし100前後と算出しているが,増減傾向把握のための参考値とされている.

減少要因(生息阻害要因)と主な対策

ツシマヤマネコ保護増殖事業実施方針(平成27年度改定版)では,主な減少要因として,好適生息環境の減少,交通事故,イエネコ,イヌを挙げている(ツシマヤマネコ保護増殖連絡協議会(3)3) ツシマヤマネコ保護増殖連絡協議会:ツシマヤマネコ保護増殖事業実施方針(平成27年度改定版),http://kyushu.env.go.jp/twcc/report/rep/pdf/policy2016.pdf, 2015.).

このうち最も重大かつ明確な人為的要因は交通事故だ.2010~2019年だけで71件確認され,69個体が死んでいる.特に健康なメスや若齢個体の死亡は個体群の存続を脅かす.運転者への注意喚起のほか,アンダーパスの設置なども行われているが,対馬には国,道,市道だけで600 km以上もある上,農林道での事故も確認されており,ハード面の対策は追い付いていない.

イエネコについては野生下での餌や生息場所の競合が懸念され,直接闘争が原因と考えられるツシマヤマネコの死体も確認されている.また,共通感染症の問題がある.1996年にツシマヤマネコで初めて確認されたFIV(猫免疫不全ウイルス)は,遺伝系統学的解析によりイエネコから伝播されたものであることが強く示唆されている(Nishimura et al.(4)4) Y. Nishimura, Y. Goto, K. Yoneda, Y. Endo, T. Mizuno, M. Hamachi, H. Maruyama, H. Kinoshita, S. Koga, M. Komori et al.: J. Virol., 73, 7916 (1999).).FIV感染個体は終生隔離飼育の措置が取られているが,種の存続にとって脅威なのは,糞便等を介して感染し,かつ幼獣の致死率が高いFPLV(猫汎白血球減少症ウイルス)といった感染症で,対馬にいるイエネコでは多数確認されている.ツシマヤマネコとイエネコとの接触を断つことが重要であり,2010年には対馬市がネコ適正飼養条例を施行するなどして対策を進めている.

これまでにイヌ咬傷が死因とされたツシマヤマネコが6個体いる.大正時代には「(ツシマヤマネコは)明治35年頃までは極めて多数が生息し,家畜を害したことがあるが,その後猟犬が輸入されたため忽ち減少したという」との報告もあり(黒田(5)5) 黒田長禮:史跡名勝天然記念物調査報告第22号,天然記念物調査報告,対馬ノ動物ニ関するもの,内務省,1920.),イヌは昔から大きな脅威になっていたと考えられる.野犬は狂犬病予防法等に基づく捕獲などが行われているが,飼い犬でも逸出した場合,特に猟犬はツシマヤマネコを襲う可能性があり,イエネコだけでなくイヌの適正飼養の推進も課題だ.

好適生息環境の減少については,まだどういう環境が好適なのか具体的にはわかっていないが,大規模な工事,森林伐採などは生息地の分断(移動の阻害)や生息環境悪化の要因になると考えられる.近年になって大きく懸念されているのが高密度化したシカやイノシシによる影響である.下層植生の衰退が顕著になってきており,餌動物の減少が危惧される.シカやイノシシの対策は農林業被害対策として行われてきたが,生態系被害への対策としても取り組まれるようになってきており,環境省は関係機関との連携を強化している.

このほか,有害鳥獣捕獲や家禽を守るためのワナによる錯誤捕獲なども発生している.重度の骨折や断脚により野生に返せない個体や死ぬ個体もおり,ワナの設置方法の指導や鶏舎補修の支援などが行われている.

生息域外における種の絶滅を防ぐ取り組み

飼育下繁殖など生息地の外で保全することを生息域外保全という.環境省レッドリストに絶滅種として掲載されているトキは,飼育下繁殖個体の放鳥により野生下での個体数が増加し,繁殖も確認されているが,日本産のトキは創始個体になることなく途絶えてしまった.ツシマヤマネコ保護増殖事業計画策定時には同様となる危惧が強く,集団の維持と野外個体群の回復を目的として飼育下での繁殖を行うことが明記された.ツシマヤマネコの飼育下繁殖は福岡市動物園で始まったが,公益社団法人日本動物園水族館協会が2014年に環境省との間で「生物多様性保全の推進に関する基本協定書」を締結し,協会全体で生息域外保全に取り組んでいる(2021年末時点,8園館で飼育中).

当初の飼育下繁殖は雌雄を隣室で飼育して「お見合い」させ,発情兆候が見られたペアを同居させるという自然繁殖のみで始められたが,交尾が確認されなかったり,闘争により死傷する場合もあり,繁殖は特定のペアに集中した.遺伝的多様性の劣化が懸念されたことから人工繁殖技術の開発が進められ,2021年3月には初めて人工授精によるツシマヤマネコが横浜市立よこはま動物園(ズーラシア)において誕生した.

野生下では定住性の強いメスはやってくるオスとしか交尾できないはずなのに,飼育下でオスを受け入れない場合があるのはなぜだろうか.原因としてまず考えられるのはメスが発情状態に至っていないことだが,行動以外に糞や尿から性ホルモンを検出し,発情の兆候をとらえることも試みられるようになっている.また,飼育下生まれの個体は社会性や個体間関係をうまく獲得できていない可能性もあるため,成獣になる前に兄妹など他個体と接する機会を増やす取り組みもされているという.

そのほかに,メスが他のオスを選んでいる可能性があるのではないだろうか.定住オスの長期追跡では,高齢になると行動圏が徐々に小さくなり,周辺のオスの行動圏が拡大するといった結果が得られている.ツシマヤマネコでは相手を視認して追い払うのではなく,糞や尿などを通じたコミュニケーションによって排他的な行動圏を維持していると考えられており,その中に健康状態など示す物質があるのだろう.飼育下では隣接する獣舎で複数頭を飼育していることがあるため,オスが複数いればメスはそれを感じ取り,同居相手と比較して交尾を受け入るかどうか判断しているのかもしれない.

2021年末時点の飼育下個体数は約30頭で,飼育下個体群を存続させるためには野生下からの個体の導入が不可欠とされている.一方,野生個体群に与える影響を低減するために,個体を導入することなく野生個体から採精して人工授精に用いる技術の確立も進められている.

飼育下繁殖個体の野生復帰

トキのように既に絶滅した地域へ個体を導入することを「再導入」というが,ツシマヤマネコのようにまだ生息地に個体がいる場合の導入は「補強」という.環境省は,野生下での回復が困難と判断された場合に飼育下繁殖個体による補強を行うことを想定しており,屋外飼育ケージを備えた野生順化ステーションを整備して野生復帰技術を確立すべく取り組んでいる.

ただ,これらが順調に進み,多くの個体を放獣できるようになったとしても,本来の生息地にツシマヤマネコが生息できる環境がなければ意味がない.また,野生個体だけで回復できるのであれば補強する必要もない.つまり,生息域内保全,特に現在生息している地域での保全が何よりも重要だ.