Kagaku to Seibutsu 60(6): 311 (2022)
書評
西村敏英,黒田素央(編)『食品のコクとは何か―おいしさを引き出すコクの科学』(恒星社厚生閣,2021年)
Published: 2022-06-01
© 2022 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2022 公益社団法人日本農芸化学会
「コク」は,日本人にはなじみ深いおいしさを表現する言葉のひとつであるが,実際の食品において,「コクがある」というのはどのような味わいを示しているのか具体的に説明するのは難しい.それは,長年「コク」に定義がないまま慣用的に使用されてきたためと思われる.コクは,味,香り,食感における多くの感覚刺激が複雑に絡み合い引き起こされる現象で,刺激は食品によって異なることから,共通の指標による客観的評価ができないと考えられ定義づけがなされていなかった.本書編者の西村らは10年ほど前に,コクは,様々な刺激の統合により形成される風味の特性とは別次元の感覚であり,味わいの複雑さ(厚み),広がり,持続性という共通の指標でコクの客観的評価が可能となることを見出し,「コクの定義」に成功した.さらに,客観的評価ができることから,食品のコクは,味,香り,テクスチャーなどと同様に,食品のおいしさを決定する要因のひとつであると科学的に結論づけた.これも,今まで知られていなかった新しい知見である.本書は,コクの定義とその生成メカニズム,評価法などに,コクの生成や感知に関与する基礎科学を加え,今までに得られた科学的知見を「コクの科学」として体系的にまとめたもので,「コク」に関する日本語による初めての専門書である.
本書は,全7章からなる.第1章は,食品のコクとおいしさの違い,コクの定義,コクの客観的評価要素として三要素,“複雑さ”,“持続性”,“広がり”が提案され,コクの形成や増強メカニズムについて科学的,論理的に解説されている.コクの定義は明快で,理解しやすい.また,コクとコク味,コク味物質との関連など,定義される前から使用され,混同されやすい「コク」関連用語も整理され解説されているなど,1章だけでもコクに関して十分な知見を得ることができる構成となっている.続く第2, 3, 4章はコクの基礎科学となる知見の解説である.第2章では,感覚刺激となる食品中の呈味成分,香気成分,食感としてのとろみ(粘度)について,第3章では,コクを感じる生体側の感覚器官である味嗅覚受容の分子メカニズムについての最新の研究知見が,第4章では,心理学と多感覚知覚であるコクとの関連が解説されている.第5章では,コクの客観的評価法として現在最も有用とされる官能評価法について,特に定量的記述分析法を中心に,実践を想定した解説がなされており,興味深い.また,将来的な分析手段として,味覚,嗅覚センサが紹介されている.第6章では,肉・肉製品,ブイヨン,カレーなどコクが重視される食品を取り上げ,成分や調理加工中でのコクの生成,さらに,企業での商品開発事例が具体的に紹介されており,本章を読むと,1章のコクの定義とその活用について一層理解を深めることができる.第7章では,食品開発にコクを上手に生かしていく方法について,実践を想定して編者からの案が示されている.これから食品開発に携わる方には示唆に富んだ内容と思う.
本書は,コクに関して非常に論理的に科学的知識を提供してくれる良書である.筆者は本書を読み,おいしさの世界での「コク」の重要性や可能性を再認識するとともに,コクへの好奇心が大いに刺激された.食品の開発,研究に従事している人はもちろん食に興味を持っている学生や一般の方々にもぜひ本書を読んでいただき,日本独自の表現であるコクへの理解を深めていただきたいと強く願う.コクの研究はまだ始まったばかりである.これを機に大いに発展することを期待したい.