巻頭言

命名と分類は大事

Shinya Fushinobu

伏信 進矢

東京大学大学院農学生命科学研究科

Published: 2022-07-01

命名法や専門用語に興奮する生化学者はほとんどいないし,そうであることを認めたがる者はさらに少ない.」(McDonald & Tipton, FEBS J., 2021)

酵素学の授業で必ず教わるEC番号(酵素番号:Enzyme Commission number)のクラスは,1960年代から近年までずっと変化がなかった.すなわち,EC 1 oxidoreductases(酸化還元酵素),EC 2 transferases(転移酵素),EC 3 hydrolases(加水分解酵素),EC 4 lyases(脱離酵素),EC 5 isomerases(異性化酵素),EC 6 ligases(合成酵素)の6つである.ところが,2018年に新たなクラスとしてEC 7 translocaseが作られた.ここには,酸化還元や加水分解などの酵素反応にリンクして,分子やイオンを生体膜を越えて移動させる能動輸送体が分類される.それまでEC 1やEC 3に酵素のコンポーネントのみが分類されていた輸送体がEC 7に多数移動したことになる.EC分類は化学反応に基づいた分類ではあるが,EC 6に主にATPを利用した生体(高)分子の生合成酵素が入っているように,生化学者の利便のために常にアップデートされているのである.ところがEC 7の新設は日本の生化学者にとって新たな問題を生み出した.Translocaseという名称に適切な和名が必要になったのである.Wikipediaでも若干の混乱が見られた上に,これは大学で酵素学を教える立場の教員にとっても切実な問題である.そこで私は,ひょんなことから(Twitterで)知り合った小寺正明先生とともに日本生化学会に働きかけてEC 7の和名提案に関わることになった.幸いなことに,本学会の元会長でもある植田和光教授(京都大学)をはじめとした輸送体の専門家の協力が得られて,数度にわたる協議の結果,2020年2月に「輸送酵素」という和名を提案することができた.

ところで,EC番号を決めているのはどのような人たちかご存知だろうか?これはIUBMB(国際生化学分子生物学連合)のNomenclature Committee(命名委員会)のEnzyme Subcommittee(酵素小委員会)が決めている.EC番号の総数は既に8200を超えており,年に約150のペースで生まれているが,わずか11人の委員が手分けして文献を精査し,新たな番号を割り振っているのである.実は先述した小寺先生はこの酵素小委員会のメンバーであり,彼の紹介を受けて,私も志願してメンバー入りさせてもらい,その内情を知ることになった.冒頭の文章は酵素小委員会の中心メンバーのAndrew McDonald博士とKeith Tipton教授が書いた総説から引用した.多くの研究者は分類や命名の必要性は認識しているものの,自らが裏方としてその作業に従事しようとする人は多くないのではないだろうか.こういう仕事を嬉々としてやろうとする自分は変わり者なのか,と思った次第である.

農芸化学は生物の多様性から多くを学び,利用してきた.特に微生物が生み出す多様性は驚異である.かの坂口謹一郎先生も「微生物に頼んで裏切られたことがない」とおっしゃった.我々は生物が生み出す多様性の恩恵にあずかっているが,それを適切に分類して命名していく作業も大事だと思う.我々が普段インフラとして意識せず利用しているオンラインデータベースも,背後で誰かが毎日せっせとメンテナンス&アップデートしていることを,ときには思い出して欲しい.