プロダクトイノベーション

ビール製造工程の微生物管理向上への一貫した取り組み安全・安心を目指した微生物検査の新技術導入と実用化の歩み

Satoshi Machida

町田 賢司

サッポロビール株式会社静岡工場品質保証部

Hajime Nakata

仲田

ポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社基盤技術研究所

Hajime Kanda

神田

ポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社基盤技術研究所

Yasukazu Nakakita

中北 保一

前サッポロホールディングス株式会社価値創造フロンティア研究所

Toshihiro Takahashi

高橋 寿洋

ポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社基盤技術研究所

Youichi Tsuchiya

土屋 陽一

サッポロホールディングス株式会社経営企画部

Published: 2022-07-01

はじめに

近代細菌学の祖であるパスツールが考案した低温殺菌法(パストリゼーション)は,ワイン,ビール,牛乳などの分野で広く活用されてきた.世界的に見れば,大規模生産されるびん,缶のビールはパストリゼーションを施されて出荷されることが一般的である.一方,日本においては,パッケージング工程の前に除菌ろ過のみを行ない,「非熱処理」(パストリゼーションを行なわない)をうたう「生ビール」がビール市場の大勢を占めている.その「生ビール」の歴史は,ビール中で増殖し得る微生物との長い戦いの歴史でもある.

ビールは香味品質の観点からも可能な限り酸素を排除して充填されるため,容器内は嫌気的な環境にある.また,ビール原料のホップに由来する苦味成分イソα酸が強い抗菌活性を有するため,ビール中で増殖し得る微生物の種類はもともと少ない.それでも,Levilactobacillus brevisなど,そういった環境下で生育可能な微生物も存在しており,それは製品中に数cellでも残存しているとビール中で増殖し目視できる混濁となり,人体に危害をおよぼすことはないもののビールの外観品質や香味品質を大きく損なうこととなる.

こういった懸念に対しては,微生物の混入・増殖を防止するビール製造工程での対策とともに,製品中に,微生物,とりわけビール中で増殖し混濁の生成につながり得る微生物(以下,ビールで増殖が可能な微生物を「ビール増殖菌」,その特性を「ビール増殖性」と定義する)がいないことを保証するための工程管理技術が必須である.サッポロビール株式会社(以下,サッポロ社)はこれまで,その時々の最新技術であるPCR(Polymerase Chain Reaction)法(1~3)1) Y. Tsuchiya, H. Kaneda, Y. Kano & S. Koshino: J. Am. Soc. Brew. Chem., 50, 64 (1992).2) Y. Nakakita, H. Maeba & M. Takashio: J. Am. Soc. Brew. Chem., 61, 157 (2003).3) Y. Nakakita, T. Takahashi, Y. Tsuchiya, J. Watari & K. Shinotsuka: J. Am. Soc. Brew. Chem., 60, 63 (2002).,LAMP(Loop-Mediated Isothermal Amplification)法(4)4) Y. Tsuchiya, M. Ogawa, Y. Nakakita, Y. Nara, H. Kaneda & J. Watari: J. Am. Soc. Brew. Chem., 65, 77 (2007).,RMDS(Rapid Microbe Detection System)法などを取り入れて(5, 6)5) T. Takahashi, Y. Nakakita, J. Watari & K. Shinotsuka: Biosci. Biotechnol. Biochem., 64, 1032 (2000).6) T. Takahashi, Y. Nakakita & T. Nakamura: Biocontrol Sci., 24, 29 (2019).,ビール増殖菌の迅速・特異的検出や,ビール増殖菌の迅速判定などの技術を開発し,それらの独自技術を現場で運用可能な管理手法にまで落とし込み,工場への実装を行なってきた.また,醸造環境から新規のビール増殖菌を発見・同定し,微生物品質管理の対象の拡充も進めてきた(7)7) H. Nakata, H. Kanda, Y. Nakakita, T. Kaneko & Y. Tsuchiya: Int. J. Syst. Evol. Microbiol., 69, 1789 (2019)..本稿では,長年広範囲に進めてきたサッポロ社の微生物管理技術に関する取り組みを紹介する.

ビール増殖菌判定の簡便化

ビール工場における微生物検査は,分析対象のビールをメンブランろ過し,捕捉される微生物を培養後,出現したコロニーを同定などの検査に供する培養法が基本である.1980年代以前はビール増殖性を迅速かつ簡便に判定する技術がなく,微生物検査で仮に,菌が検出された場合には,ビール増殖性を判定するために菌をビールに接種して培養する必要があり1~2週間ほどの時間がかかっていた.したがって,仮に何らかの菌が検出された場合,その間,疑わしい製品は出荷することができず,市場で需要が発生した際に迅速に対応できないという点は,産業上の大きな課題であった.

1980年代に開発されたPCR法は,食品微生物の分野においても広く展開されてきた.ビールの品質管理においても,我々はビール増殖菌の遺伝子を数cellレベルで検出できるようになった(1)1) Y. Tsuchiya, H. Kaneda, Y. Kano & S. Koshino: J. Am. Soc. Brew. Chem., 50, 64 (1992)..従来,ビール中で増殖する微生物の種類は限られていたことから,既知のビール増殖菌の遺伝子を検出すれば,その微生物のビール増殖性の有無を推測することができた.PCR法の活用によりビール増殖性を判定するまでの時間を数時間程度までに短縮できるようになってきたが,工場の品質管理の現場では,より簡便な検査方法が望まれていた.

LAMP法は2001年に栄研化学が開発した遺伝子増幅技術であり,PCR法よりも増幅効率が良く特異性が高いことが特長である.また,LAMP法では,遺伝子増幅の副産物として産生されるピロリン酸Mgが反応液中に析出するため,反応液の濁りによって標的遺伝子の増幅の有無を目視で簡便に判定できる.

サッポロ社はLAMP法を活用し,2003年にビール増殖菌の16S rRNAやgyr B遺伝子をターゲットにして複数菌種を同時に検出できるMultiplexのビール増殖菌検出キットを開発した(図1図1■LAMP法を用いたビール増殖菌検出キット).本キットは,あらかじめ調製しておいたプライマーミックスにDNA抽出液と酵素液を混合して63°Cで等温反応させる簡便な試験系であり,代表的なビール増殖菌であるL. brevisのコロニーから抽出したDNAを検査すると,反応液の濁りを60分以内に目視で判定できる(4)4) Y. Tsuchiya, M. Ogawa, Y. Nakakita, Y. Nara, H. Kaneda & J. Watari: J. Am. Soc. Brew. Chem., 65, 77 (2007)..このように,LAMP法は微生物検査で検出したコロニーについて,迅速かつ簡便にビール増殖性を判定する技術として,ビール工場の微生物品質管理に貢献している.

図1■LAMP法を用いたビール増殖菌検出キット

ビール増殖菌検出の迅速化

通常ビール工場では,倉庫に大量の製品在庫を抱えている.新鮮な製品の出荷や倉庫の在庫圧縮のためには,迅速かつ確実に製品の安全性を保証し,出荷することが求められる.しかし,ビール増殖菌の多くは増殖が遅く,目視でコロニーが視認できるまでに時間がかかることがビール業界の長年の課題であった.サッポロ社は,ビール増殖菌を迅速に検出するために,ATP法をベースにした微生物の迅速検査に着目して,微生物迅速検査装置RMDSを開発した(5)5) T. Takahashi, Y. Nakakita, J. Watari & K. Shinotsuka: Biosci. Biotechnol. Biochem., 64, 1032 (2000)..RMDSは,ATP生物発光法と高感度CCDカメラ,データ解析システムで構成される検査装置で,非常に少量の細胞を検出できる特長を持つ.

RMDS法では,ビールをろ過したフィルターを短時間培養した後,マイクロコロニーからATPを抽出し,生物発光させたのちにカメラで輝点を検出する.仮にサンプル中に微生物が存在した場合には,図2図2■自社向けに最適化したMicroStar®-RMDS-SPSの外観(A)とRMDS法によるマイクロコロニーの検出(B)のように輝点の数からコロニー数を判定するが,製品ビールは通常無菌状態であり,微生物が検出されることはほとんどない.したがって,RMDS法では製品ビールから微生物が検出されないことを迅速に確認することにより,出荷検査の迅速化を達成している.

図2■自社向けに最適化したMicroStar®-RMDS-SPSの外観(A)とRMDS法によるマイクロコロニーの検出(B)

代表的なビール増殖菌のL. brevisは,通常培養法では検出までに40~72時間かかる.一方で,RMDS法では,その検出時間を16~24時間に短縮することができる.RMDS法では,マイクロコロニーから溶出したATPを検出するため,メンブラン上に残存するビール由来の夾雑物や培地由来のATPなどのノイズが検出感度に影響する.RMDS法の検出感度を向上させるには,ATP消去液などであらかじめ培地成分のATP量を低減させたり,フィルターの洗浄方法を変えてノイズを低減させたりすることが効果的であり,これらの施策の組み合わせによりRMDS法の検出感度をより高めることができる(6)6) T. Takahashi, Y. Nakakita & T. Nakamura: Biocontrol Sci., 24, 29 (2019).

RMDSは製品ビール中に微生物が混入していないことを確認するシステムとして初めて実用化されたものであり,MicroStar®-RMDS-SPSは,日本ミリポア社により微生物迅速検査装置として商品化された.そして,RMDSはビール業界だけでなく,清涼飲料水や,医薬品など様々な分野に展開され,活用の幅を広げている.

新規ビール増殖菌の発見と同定

ビールに特有の苦味成分であるイソα酸はグラム陽性菌に対して強い抗菌作用を示すが,そういった環境下でも増殖し得る「ビール増殖菌」が非熱処理の「生ビール」にとっての管理対象である.生ビールの微生物管理は,検査技術の発展とともに,日々改善されてきた.しかし,過去,不幸にして,市場に流通したビール製品の容器内でビール増殖菌が増殖し,製品回収に至った例が何件かある.厳しい微生物管理体制の中でもそういった事例が起こる一因には,それまで管理対象としていなかった新たなビール増殖菌がビール工場の環境中に存在していたことが関係している.生ビールを微生物による混濁から予防するには,より正確に微生物ハザードを特定しておく必要があり,そのためには,新たなビール増殖菌をあらかじめ発見し,管理対象を拡充していくことが必要とされる.

サッポロ社では,工程から検出される微生物や醸造環境の微生物の分離・同定を1990年代から続けてきた.その過程で,醸造環境の廃水から新規のビール増殖菌を分離した.本菌は,グラム陰性の偏性嫌気性桿菌で,一般的なピルスナータイプのビールに接種して30°Cで培養すると,1~2週間で増殖が認められる.16S rRNAに基づく系統樹解析では,本菌株はPrevotella属に属することがわかり(図3図3■16S rRNAに基づくPrevotella属の系統樹(P. cerevisiaeを新種として提唱)),2019年にPrevotella cerevisiaeとして新種登録された(7)7) H. Nakata, H. Kanda, Y. Nakakita, T. Kaneko & Y. Tsuchiya: Int. J. Syst. Evol. Microbiol., 69, 1789 (2019)..それまで報告されているグラム陰性のビール増殖菌はすべてVeillonella科に属していたが,興味深いことにP. cerevisiaeは遺伝的に異なるBacteroides科に属していた.P. cerevisiaeのように遺伝的に異なる新規のビール増殖菌が分離されたことは,自然界にはまだ知られていないビール増殖菌が存在する可能性を示唆している.今後,P. cerevisiaeのように,様々な遺伝的特徴を持つビール増殖菌が発見されれば,ビール増殖菌の検査体制が充実するだけでなく,まだ詳細には解明されていないグラム陰性菌のビール増殖性のメカニズムの解明にもつながると期待される.

図3■16S rRNAに基づくPrevotella属の系統樹(P. cerevisiaeを新種として提唱)

おわりに

サッポロ社はビール工場における微生物管理について,新たな分析技術の検討,新規ビール増殖菌の同定といった基礎研究から,工場現場での迅速,簡便な管理技術の実用化まで多岐にわたる取り組みを行ない,長年にわたり, ①ビール増殖菌判定技術の実用化による同定精度の向上および簡便な検査体制の確立,②製品の出荷検査の迅速化,③未知のビール増殖菌の発見と増殖挙動調査の知見を活かした微生物管理体制の拡充などを実現してきた.近年お客様の嗜好の多様化に伴いビールをはじめとする酒類の中味は多様化してきている(図4図4■多様な中味の商品開発).サッポロ社は,今後も微生物管理向上の取り組みを続けて,よりよい品質のビール,酒類をお客様に安定的に提供するとともに,ビールの新しい価値を目指していく.

図4■多様な中味の商品開発

Reference

1) Y. Tsuchiya, H. Kaneda, Y. Kano & S. Koshino: J. Am. Soc. Brew. Chem., 50, 64 (1992).

2) Y. Nakakita, H. Maeba & M. Takashio: J. Am. Soc. Brew. Chem., 61, 157 (2003).

3) Y. Nakakita, T. Takahashi, Y. Tsuchiya, J. Watari & K. Shinotsuka: J. Am. Soc. Brew. Chem., 60, 63 (2002).

4) Y. Tsuchiya, M. Ogawa, Y. Nakakita, Y. Nara, H. Kaneda & J. Watari: J. Am. Soc. Brew. Chem., 65, 77 (2007).

5) T. Takahashi, Y. Nakakita, J. Watari & K. Shinotsuka: Biosci. Biotechnol. Biochem., 64, 1032 (2000).

6) T. Takahashi, Y. Nakakita & T. Nakamura: Biocontrol Sci., 24, 29 (2019).

7) H. Nakata, H. Kanda, Y. Nakakita, T. Kaneko & Y. Tsuchiya: Int. J. Syst. Evol. Microbiol., 69, 1789 (2019).