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SNPを利用した水圏生物の遺伝的集団構造の解析SNP解析により微細な遺伝的集団構造の差異が明らかに

五十嵐 洋治

Yoji Igarashi

三重大学大学院生物資源学研究科

Published: 2022-08-01

はじめに

自然集団の多様性やその集団構造(親子関係や隣接する集団との近縁の度合い)を把握するために,遺伝マーカーは強力なツールである.遺伝マーカーはゲノム中に存在する遺伝子またはDNAの特定領域の変異(多型)であり,これまでにアロザイム,マイクロサテライトマーカーおよびミトコンドリアDNAなどが遺伝マーカーとして分子系統解析や遺伝的集団構造解析に用いられてきた.しかし近年,ゲノム配列を解読する次世代シーケンシング(next generation sequencing; NGS)技術が飛躍的な進歩を遂げ,ハイスループットな一塩基多型(single nucleotide polymorphism; SNP)ジェノタイピングがより便利で費用対効果の高いものとなってきている.ジェノタイピングとは,ある個体のDNA配列をNGSなどによって読み取り,他の個体のDNA配列や基準となるDNA配列と比較することによって,遺伝子型の違いを検出する方法である.SNPはゲノム上の数百~千bpに1個の割合で存在するため,従来の遺伝マーカーに比べ量および質(感度)が圧倒的に高い解析が期待できる.また,これまでにシーケンサー機種自体の進歩にとどまらず,全ゲノムを均一に読み取る全ゲノムリシーケンスから,SNPジェノタイピングのためのシーケンス手法の進歩が探求されており,制限酵素により断片化したゲノム配列を読み取るGBS(genotyping-by-sequencing)やRAD-seq(restriction-site associated DNA sequencing),PCRをベースにDNAライブラリーを調製するMIG-seq(multiplexed ISSR genotyping by sequencing)やGRAS-Di(random amplicon sequencing, direct)など数多くのアプローチが開発されている.これらの方法により,多検体処理能力の向上およびシーケンスコストの低価格化など多くの恩恵がもたらされ,現在ではヒトやモデル生物以外では困難であった各種生物のSNPをマーカーとした分子系統解析や遺伝的集団構造解析を視野にいれることが可能な状況である.本稿では,これまでに我々が行ったSNPを利用した水圏生物の遺伝的集団構造解析の一部を紹介したい.

ケーススタディー1.ニホンウナギ

ニホンウナギ(Anguilla japonica)は東アジアにおいて水産養殖において最も重要な種の1つであるが,その種苗は未だ天然シラスウナギ(体の透明なニホンウナギの稚魚)に依存している.しかしながら,近年,ニホンウナギの分布域全域でシラスウナギの来遊量がかつて無いほどに低水準となり,養殖用種苗確保が困難になりつつある.持続可能な漁獲や資源保護を行なう上で,ニホンウナギの正確な集団構造に関する情報は必須不可欠である.ニホンウナギは成熟が近づくと降海し,マリアナ諸島西方海域で産卵する(1)1) K. Tsukamoto, S. Chow, T. Otake, H. Kurogi, N. Mochioka, M. J. Miller, J. Aoyama, S. Kimura, S. Watanabe, T. Yoshinaga et al.: Nat. Commun., 2, 179 (2011)..日本,台湾,中国,韓国,フィリピンなど,東アジアの亜熱帯から温帯にかけて広く分布するニホンウナギのすべてが狭い産卵海域に回帰することから,ニホンウナギ種全体で1つの大集団(遺伝的に均一な集団)を形成していると考えられていたが,2006年に台湾の研究グループがDNAマーカーを使って分布域の南北標本間に遺伝的な差異があることを示唆する発表を行った(2)2) M. C. Tseng, W. N. Tzeng & S. Lee: Mar. Ecol. Prog. Ser., 308, 221 (2006)..その後,台湾の別のグループと日本のグループがこれを否定する見解を発表したが(3, 4)3) Y. S. Han, C. L. Hung, Y. F. Liao & W. N. Tzeng: Mar. Ecol. Prog. Ser., 401, 221 (2010).4) Y. Minegishi, C. V. Henkel, R. P. Dirks & G. E. E. J. M. van den Thillart: Mar. Biotechnol., 14, 583 (2012).,いずれも少数の遺伝子座に基づくもので,標本間で遺伝子頻度などに差異のない領域ばかりを偶然に調べた可能性が捨てきれなかった.

そこで,我々は国内外の河川,河口域および産卵海域から採集したニホンウナギについて,全ゲノムリシーケンスを実施し,3,000万以上というこれまでにない大規模なSNPマーカーを用いた集団構造解析を行った(5)5) Y. Igarashi, H. Zhang, E. Tan, M. Sekino, K. Yoshitake, S. Kinoshita, S. Mitsuyama, T. Yoshinaga, S. Chow, H. Kurogi et al.: Genes, 9, 474 (2018)..研究プロジェクトは3年間であったが,初年度の解析で用いた日本の相模川と台湾で得られたシラスウナギ集団の間には定説通り,集団遺伝的な差異はなかった.しかし,その翌年に行った成魚を含めた解析に関しては,予想に反して熊本県の球磨川河口域で採集された集団に遺伝的差異が見つかった.従来単一集団であると考えられていたニホンウナギについて,遺伝的に明確に異なる亜集団が存在する可能性が示されたのだ.当初,輸入によって国内に持ち込まれたヨーロッパウナギやアメリカウナギの混入の可能性も指摘されたが,ミトコンドリアDNAによる種判別の結果,球磨川河口域で採集された個体はすべてニホンウナギであることが確認された.この亜集団のSNPを見てみると,集団を特徴づけるSNPはある特定の遺伝子上に存在するのではなく,ゲノム全体に幅広く分布していることが明らかとなった.すなわち,塩分,水温,および濁度など特定の環境を好むような遺伝的な自然選択圧は見受けられなかった.また,魚類では頭部に樹木の年輪のように輪紋が刻まれる耳石という組織が存在するが,この耳石による個体年齢の推定から4~8歳までの幅広い年齢の個体群であることが明らかとなった.したがって,球磨川河口域のニホンウナギの遺伝的差異は,単一世代内の環境に適応するための自然選択では無いと言える.また,主成分分析等の結果から,この亜集団はメイン集団と緩やかに交雑している可能性も示された.現状,これまで明らかになっているニホンウナギの生態モデルで,球磨川河口域の亜集団のような“部分集合のようなモザイク的分布”(図1図1■ニホンウナギの部分集合のような生殖隔離仮説)が存在する理由を明確に説明することは難しく,ニホンウナギに生殖隔離が存在するかどうかは未だ謎である.しかしながら,これらの研究から示唆される結果は,遺伝的集団構造を加味した分布や生態の再考を促す大きな手がかりになることが期待される.

図1■ニホンウナギの部分集合のような生殖隔離仮説

西マリアナ海嶺の産卵海域の中でも細分化された産卵場が存在し,その集団の一部が嗜好性や忌避行動により特定の亜集団を形成していると考えられる.我々はニホンウナギのこのような分布モデルを,reproductive isolation like subset mapping(RISM)モデルと名付けた.

ケーススタディー2.ヒルサシャッド(ヒルサ)

次に,自然選択により遺伝子型に選択圧がかかって遺伝的集団構造に差異が見られるケースを見てみよう.ヒルサ(Tenualosa ilisha)と言われてもピンとくる日本人なあまりいないであろう.ニシン科魚類のヒルサはインド,バングラデシュ,ミャンマーに囲まれるベンガル湾を中心とする北インド洋の海水域,河口などの汽水域,また淡水河川などの多様な生息地に分布し,サケ科魚類と同じく産卵期などに海から河川に入る溯河性魚類である(6)6) M. S. Hossain, S. M. Sharifuzzaman, S. R. Chowdhury & S. Sarker: Fish. Manag. Ecol., 23, 450 (2016)..非常に市場需要が大きく,世界の生産量のうちバングラデシュが全体の半分を占め,同国の「国魚」にも指定されている(図2図2■バングラデシュのフィッシュマーケットの風景).なんと,ヒルサ漁業とその関連産業だけでバングラデシュの国内総生産(GDP)の1%近くの水準を担っているのである(7)7) S. Dutta, I. Al-Abri & S. Paul: Mar. Policy, 128, 104483 (2021)..近年,本種の生産量は,海洋漁獲量の増加により50万トン以上に達しているが,上流の淡水河川からの生産量は,遡上河川に建設されたダムによる生息地の改変や環境汚染,気候変動および幼魚の乱獲などの原因で驚くほど減少している.そのため,同国は禁漁期を設けたり10 cm以下の個体の漁を禁じたりするなど,持続可能な漁業のための様々な取り組みを行っている.ヒルサの資源を守るためには河川単位での保護が有効なのか? はたまた,河川と海洋集団の包括的な管理が有効なのか? 広域な生息域を持つヒルサの資源を適切に管理するためにはやはり,集団構造の理解が必要である.そのため,我々はバングラデシュ現地の研究者と共同で海水域,汽水域および河川域など異なる9つの生息地で採集されたヒルサ野生集団のSNPマーカーに基づく遺伝的集団構造解析を試みた(8, 9)8) M. Asaduzzaman, M. A. Wahab, M. J. Rahman, M. Nahiduzzzaman, M. W. Dickson, Y. Igarashi, S. Asakawa & L. L. Wong: Sci. Rep., 9, 16050 (2019).9) M. Asaduzzaman, Y. Igarashi, M. A. Wahab, M. Nahiduzzzaman, M. J. Rahman, M. J. Phillips, S. Huang, S. Asakawa, M. M. Rahman & L. L. Wong: Genes, 11, 46 (2020).