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食品研究における放射光のポテンシャル次世代放射光施設活用に向けた取り組み

Masafumi Hidaka

日高 將文

東北大学大学院農学研究科農芸化学専攻

Masahiko Harata

原田 昌彦

東北大学大学院農学研究科農芸化学専攻

Published: 2022-10-01

17世紀に発明された顕微鏡のように,新たな解析技術の活用が学術・産業の発展に貢献した例が数多く知られている.世界最先端の性能をもつ次世代放射光施設ナノテラスが東北大学キャンパス内に建設されており,近接する農学研究科を中心に,「放射光」を食・農領域で活用する取り組みが開始されている.

「放射光」は,リング型の加速器の中を光速で運動する電子が磁石で方向を曲げられた際に発生する非常に明るい光である(太陽光の10億倍).放射光により物質の分子構造や電子状態を可視化する放射光施設は「ナノを見る巨大な顕微鏡」ともよばれる.建設中の次世代放射光施設は,特に軟X線領域(タンパク質結晶構造解析でよく用いられる波長域(1 Å)より長い波長域のX線)の性能に特徴があり,これまでの国内最高性能のSPring-8の約100倍の輝度のX線を利用することができる.軟X線は,生物試料を構成するような軽元素の可視化が可能であり,また元素や分子の電子状態を可視化することができるという特徴を有する.東北大学ではこれまでに,イノベーション創出の先導を行う部局として,国際放射光イノベーション・スマート研究センター(SRIS: International Center for Synchrotron Radiation Innovation Smart)を設置し,放射光施設の活用を推進している.

これまでは,食や農の領域における放射光利用が必ずしも活発であったとはいえない.しかし,次世代放射光施設においては,生物試料観察に適した高輝度軟X線が利用でき,また近接した東北大学農学研究科の設備と連携できる環境から,この領域での放射光利用の拡大が期待されている.この取り組みの推進を目的として,東北大学農学研究科は放射光生命農学センター(A-Sync: Center for Agricultural and Life Sciences using Synchrotron Light)を設立し,既存放射光施設を利用した先行研究(FS: feasibility study)を開始した.さらに東北大学青葉山新キャンパスに世界的にも先進的な「放射光生命農学研究拠点」を形成し,学術研究・産学連携を推進することを目指しており,この計画は,日本学術会議が選定する大型研究計画「マスタープラン2020」にも採択された.

これまでにA-SyncがFSとして測定を実施した食品について表1表1■A-SyncがFSとして測定した食品にまとめた.うどん,カマボコなどを測定できると分かると,放射光が身近に感じられるかもしれない.本稿では,エダマメの放射光測定について紹介する.

表1■A-SyncがFSとして測定した食品
測定手法食品
X線イメージング冷凍マグロ,エダマメ,うどん,カマボコ,米ぬか,ワカメ
小角X線散乱エダマメ,カツオ節

放射光を使った食品分析の測定手法にはX線イメージング,X線吸収分光,X線回折がある.このうち,X線イメージングで用いられるX線CT(Computed tomography)は,食品の内部構造を非破壊で可視化する手法として用いられている(1)1) M. Sato, K. Kajiwara & N. Sano: Nihon Shokuhin Kogakkaishi, 17, 83 (2016)..医療分野でも利用されている一般的なX線CTは,物質を透過するX線量をコントラストとした画像が得られる.しかし,X線はタンパク質や糖質など軽元素で構成される食品や生体試料をほぼ一様に透過してしまうため,コントラストが得られにくい(図1A図1■エダマメのX線CTの断層画像).一方,X線の持つ波としての性質を利用し,物質を透過する際の起こる位相の変化を利用するX線位相差CTの利用が注目されている(2)2) 星野真人,上杉健太朗,八木直人: SPring-8利用者情報17,33 (2012)..位相情報の変化は物質の密度に由来するため,X線位相差CTでは物質内部の密度差を可視化することができる.我々は,エダマメをアガロース包埋し,SPring-8のBL20B2でX線位相差CTを測定した(解像度は3.47 µm/px)(3)3) M. Hidaka, S. Miyashita, N. Yagi, M. Hoshino, Y. Kogasaka, T. Fujii & Y. Kanayama: Foods, 11, 730 (2022)..その結果,エダマメ内部の密度差を可視化することで,吸収コントラストでは得ることができなかった内部構造情報を得ることに成功した(図1B図1■エダマメのX線CTの断層画像).低密度の領域に注目して3次元画像を構築すると,エダマメの内側に網目状に存在する通道組織が顕在化した(図1C図1■エダマメのX線CTの断層画像).X線位相差CTは植物組織を非破壊,非染色で観察することができることから,生物試料の測定手法として非常に有効であると言える.次に,茹で時間の異なるエダマメについて測定したところ,茹で時間0分では一様に高密度状態であるのに対し,茹で時間に応じて低密度化する様子が観察された(図1D図1■エダマメのX線CTの断層画像).エダマメは茹で湯と接する外皮部分からではなく,内側から低密度化が進んでいたが,これは通道組織を通して湯がエダマメ内部に入り込み,内側から低密度化が進んでいるためと考えられる.

図1■エダマメのX線CTの断層画像

(A)吸収コントラスト.(B)位相差コントラスト.(C)位相差CTの低密度領域を可視化することで顕在化した通道組織.(D)茹で前後のエダマメの位相差CTの断層画像.密度を疑似カラーで表示した.(E)Dの矢印に相当する部分について測定した小角X線散乱の散乱強度プロファイル.

X線イメージングではミクロンレベルの構造を評価することができるが,X線回折を用いるとより小さなナノレベルで分析することが可能となる.茹での前後で密度が大きく異なる部分(図1D図1■エダマメのX線CTの断層画像の矢印)についてSPring-8のBL19B2で小角X線散乱を測定したところ,散乱強度プロファイルに違いが見られた(図1E図1■エダマメのX線CTの断層画像).小角X線散乱は散乱ベクトルqの値が大きいものほど小さな散乱体の存在を示しているが,茹でることによりq=0.7 nm−1近傍のピークが消失し,0.2 nm−1近傍の散乱強度が上昇していた.この変化を解明するためには,成分分析など他の手法と組み合わせることが不可欠である.このように食品分野における放射光利用は,放射光の測定だけで完結できるものではなく,農芸化学が培ってきた従来の分析手法や知見と連携させることで大きく発展する可能性を秘めている.

SPring-8の利用報告書によると,2016~2021年度の期間に実施されたタンパク質のX線結晶構造解析の課題数は約1,200件であるのに対し,食品・生活用品に関わる測定課題は約100件と非常に少なく,食品研究にとって放射光は遠い存在に感じられるかもしれない.しかし,次世代放射光が東北大学大学院農学研究科の隣接地に建設され,食品研究と放射光測定が文字通り近い関係となってきており,我々も従来の手法とは異なる切り口で食品研究が展開できるようになる可能性に期待するところである.

Reference

1) M. Sato, K. Kajiwara & N. Sano: Nihon Shokuhin Kogakkaishi, 17, 83 (2016).

2) 星野真人,上杉健太朗,八木直人: SPring-8利用者情報17,33 (2012).

3) M. Hidaka, S. Miyashita, N. Yagi, M. Hoshino, Y. Kogasaka, T. Fujii & Y. Kanayama: Foods, 11, 730 (2022).