Kagaku to Seibutsu 60(12): 659-662 (2022)
バイオサイエンススコープ
農薬の環境挙動とその複合汚染農薬の行方と水生生物への影響評価
Published: 2022-12-01
© 2022 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2022 公益社団法人日本農芸化学会
農業において広く使用されている農薬は,農作物を病害虫の被害から保護して品質・収穫量を確保したり,雑草防除に要する労働力を軽減したりするために必要不可欠(1)1) 古畑 徹:化学と生物,55,351(2017).である.そのため,農業労働力の不足や作付面積の減少に伴う食糧問題において,農作物の生産効率の向上による消費者への安定的な供給に大きく貢献している.
農薬はその安全性を保障するために基準値や水生生物への毒性値が設定され,実環境中において濃度や存在量の調査及びその挙動の評価が行われている.一方で,実環境に散布された農薬の挙動はその使用状況や周辺環境等に大きく左右されることがわかっており,水生生物への影響評価が実施されている.本稿では,農薬の実環境中における動態と行方及びそれらの農薬の水生生物への影響評価について紹介する.
農薬はその管理や規制について,農薬取締法(2)2) 農林水産省:農薬取締法について,https://www.maff.go.jp/j/nouyaku/n_kaisei/index.htmlにおいて次のように定義されている.
「「農薬」とは,「農作物(樹木及び農林産物を含む.以下「農作物等」という.)を害する菌,線虫,だに,昆虫,ねずみその他の動植物又はウイルス(以下「病害虫」と総称する.)の防除に用いられる殺菌剤,殺虫剤その他の薬剤(その薬剤を原料又は材料として使用した資材で当該防除に用いられるもののうち政令で定めるものを含む.)及び農作物等の生理機能の増進又は抑制に用いられる植物成長調整剤,発芽抑制剤その他の薬剤をいう.」とされ,また農作物等の病害虫を防除するための「天敵」も農薬とみなす.」
現在,農薬は様々な種類が生産及び販売されている.また,製造者又は輸入者は,農薬について農林水産大臣の登録を受けなければ,これを製造し若しくは加工し,又は輸入してはならない(その原材料に照らし安全であることが明らかであるものとして農林水産大臣及び環境大臣が指定する農薬(特定農薬)についてはその限りでない)が,この登録の申請には農薬の安全性その他の品質に関する試験成績を提出する必要がある.試験成績には,農薬の品質,農作物に対する薬効・薬害,人畜に対する各種の毒性,農作物・土壌・水中における残留性,水産動植物への影響などが記載され,特に化学農薬では種類ごとに対象作物,散布量,散布可能な日,希釈倍率等の使用方法が定められる.しかしながら,農薬の使用形態によっては環境や生態系,さらには食品などを通じて人の健康や安全に影響を及ぼす可能性が懸念されている.
病害虫の駆除や除草等の目的で農作物に散布される化学農薬は,薬効を示した後,徐々に分解していくものの,直ちに消失するわけではない.このため,収穫された農作物に散布した農薬が未分解のまま残っていることがある.この農薬を残留農薬と言う.残留農薬は単に農作物が人の口に入るに留まらず,その農作物を飼料として与えられた家畜から得た食肉・乳製品や,散布された農薬が河川等に流出し残留した魚介類を通して人の口に入る場合もある.人への残留農薬による食品を通じた暴露評価として,許容一日摂取量(ADI: Acceptable Daily Intake)が使われており,「人が生涯その物質を毎日摂取し続けたとしても,健康への悪影響がないと推定される一日当たりの摂取量」と定義されている(3)3) 内閣府食品安全委員会:第6版食品の安全性に関する用語集,http://www.fsc.go.jp/yougoshu.data/yougoshu.pdf.ADIは通常,一日当たり体重1 kg当たりの物質量(mg/kg体重/日)で式(1)のように表されている.
ここで,無毒性量(NOAEL: No Observed Adverse Effect Level)は各種動物での毒性試験から求められた無毒性量(mg/kg体重/日)のうち最小のもの,安全係数(SF: Safety Factor)は動物と人との差や,子供などの影響を受けやすい人とそうでない人との個人差を考慮して100)とされている.例えば,殺虫剤として利用されているダイアジノン,フェニトロチオン,及びマラチオン等の有機リン系農薬は吸入・経口摂取・皮膚からの吸収により,縮瞳・唾液分泌過多・頭痛・嘔吐・痙攣などの有機リン化合物共通の中毒症状が現れる.これらのADIは0.001 mg/kg/日,0.005 mg/kg,及び0.3 mg/kgと設定されている(4)4) 環境省:水質汚濁に係る農薬登録基準,https://www.env.go.jp/water/dojo/noyaku/odaku_kijun/kijun.html.このように各農薬について,農薬残留の可能性のある食品の摂取量と食品に残留し得る農薬の最大濃度から摂取農薬量を推定し,その推定値がADIを超えないように食品衛生法に基づき個々の食品に残留農薬基準として設定される.さらに,農薬等が残留する食品の販売等を原則禁止する制度(ポジティブリスト制度)が2006年5月29日から施行され,厚生労働大臣が指定する「残留を認めるもの」のみが本制度の対象外となり,それ他の農薬は残留基準もしくは一律基準(0.01 ppm)を超えて残留する食品の流通は禁止されている(5)5) 厚生労働省:食品に残留する農薬等に関する新しい制度(ポジティブリスト制度)について~農薬等の残留基準を規制する制度が変わりました~,https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/syouhisya/061030.html.農薬は病害虫の駆除や除草等の目的で,農耕地のみでなく,山林,ゴルフ場や一般家庭等の非農耕地でも散布されており,環境や生態系等への影響が懸念されていることから,種々の農薬を対象として環境中における濃度変動やその挙動及び行方に関する研究が行われている(6, 7)6) 水戸部英子,田辺顕子,川田邦明,坂井正昭:環境化学,7,507(1997).7) 水戸部英子,茨木 剛,田辺顕子,川田邦明,坂井正昭,貴船育英:環境化学,9,311(1999)..ここで,当研究室における調査結果の一部を,一例として紹介しよう.当研究室ではこれまでに新潟県において,水田に地上又は空中散布された農薬を対象とし,水田内又は水田地帯を流域とする河川中における農薬の濃度変動や,水田から河川への流出状況を調査した(8)8) M. Ohno, Y. Imaizumi, F. Shiraishi, S. Serizawa, H. Shiraishi, N. Suzuki, T. Kose, K. Kawata & T. Shibamoto: Int. J. Environ. Sci., 6, 172 (2021)..河川水中の農薬の濃度は散布直後の時期で高くなり,水田から河川への流出率は0.28%~12%であった.この調査では省庁で規制された基準値(9, 10)9) 環境省:人の健康の保護に関する環境基準,https://www.env.go.jp/kijun/pdf/wt1.pdf10) 厚生労働省:水質基準項目と基準値(51項目),https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/topics/bukyoku/kenkou/suido/kijun/kijunchi.htmlを超える農薬は検出されず,これらの残留物によって人の健康に悪影響がないことが示唆されたものの,環境省が設定した予測無影響濃度(PNEC: Predicted No-Effect Concentration)(11)11) 環境省:化学物質の環境リスク評価第2巻,http://www.env.go.jp/chemi/report/h15-01/index.htmlを超過しており,一部の水生動物に悪影響を与える可能性があることが示唆された.PNECを用いた水生生物への影響については後述する.また,水田地域を流域とする河川水中における農薬90種の濃度変動を調査した例においては,有機リン系殺虫剤8種(アセフェート,オキサミル,クロルピリホス,ダイアジノン,トリクロルホン,ピリミホスメチル,フェニトロチオン,及びマラチオン)を対象としたところ,このうち4種(ダイアジノン,トリクロルホン,フェニトロチオン,及びマラチオン)が検出され,それらの最大濃度は0.09~0.32 μg/Lの範囲であり,これらの農薬についてもPNECを超過していた.このように,河川水中の農薬の挙動についてはより頻繁な調査と分析が必要である.
環境中に流出した農薬の環境リスクの初期評価のため,水生生物の生存・生育を確保する観点から,実測データをもとに基本的には特定の排出源の影響を受けていない一般環境等からの暴露を評価することとし,安全側に立った評価の観点からその大部分がカバーされる高濃度側のデータによって暴露量の評価が行われている.原則として統計的検定の実施を含めデータの信頼性を確認した上で最大濃度を評価に用いている.環境リスク初期評価では,化学物質のPNECと予測環境中濃度(PEC: Predicted Environmental Concentration)の比較を行うことにより,その物質の水質からの暴露が生態系に及ぼすリスクについてスクリーニング的な評価を行い,「詳細な評価を行う候補」物質等を選定する(11)11) 環境省:化学物質の環境リスク評価第2巻,http://www.env.go.jp/chemi/report/h15-01/index.html.
河川水中の農薬による水生生物への影響においては,個々の農薬についてPEC/PNECとして評価が行われている.PECには信頼できる測定値の最大濃度が適用されており,PNECは水生生物への予測無影響濃度であり,ここで言う水生生物とは魚類,甲殻類,及び藻類が該当する.この導出の基本的な考え方として,急性毒性値及び慢性毒性値のそれぞれについて,信頼できる知見のうち上記の水生生物ごとに値の最も低いものを整理し,そのうち最も低い値に対して情報量に応じたアセスメント係数(10~1,000)を除することにより,PNECを求める.これにより得られた2つのPNECのうち低い方の値が,当物質のPNECとして採用される(11)11) 環境省:化学物質の環境リスク評価第2巻,http://www.env.go.jp/chemi/report/h15-01/index.html.つまり,河川水中の農薬の場合,調査期間内に測定された農薬ごとの最大濃度がPNECに対して1以上であったならば,水生生物に対して影響があると考えられる.PEC/PNECによる生態リスク評価の判定は表1表1■水生生物への影響に基づいて行われている(12)12) 環境省:化学物質の環境リスク初期評価(第19次取りまとめ)の結果について,https://www.env.go.jp/press/108823.html.ここで,前述の「農薬の環境中での挙動と行方」節で検出されていた4種の有機リン系農薬について最大濃度であるPEC, PNEC,及びこれらから算出されるPEC/PNECを表2表2■検出された有機リン系農薬のPECとPNECに要約する.4月から9月までの調査において,河川水中におけるフェニトロチオンの最大濃度は0.32 μg/LとPNECの0.0002 μg/Lと比較して1600倍であった.さらに,他3種類の農薬についても最大濃度がPNECを超過しており,これらの農薬のPEC/PNECは1以上であったことから,水生生物への影響が示唆された.
PEC/PNEC | 判定 |
---|---|
1以上 | 詳細な評価を行う候補と考えられる. |
0.1以上1未満 | 情報収集に努める必要があると考えられる. |
0.1未満 | 現時点では作業は必要ないと考えられる. |
情報不十分 | 現時点ではリスクの判定はできない. |
農薬名 | PEC(μg/L) | PNEC(μg/L) | PEC/PNEC(—) |
---|---|---|---|
ダイアジノン | 0.09 | 0.0023 | 40 |
トリクロルホン | 0.10 | 0.003 | 34 |
フェニトロチオン | 0.32 | 0.0002 | 1500 |
マラチオン | 0.20 | 0.007 | 29 |
また水稲栽培においては,複数種類の農薬の散布時期が結果的に重なることがあり,これらの農薬がほぼ同時期に河川に流出する可能性がある.このため,農薬による水生生物への影響は単一の農薬ではなく,複数の農薬について統合的に評価する必要がある.複数の農薬の影響を評価する方法として最大累積比(MCR: Maximum Cumulative Ratio)を用いた手法があり,これは類似する作用を持つ化学物質をひとまとめにして同一作用機構ごとに水生生物への影響を複合的に評価する方法である(13)13) N. Vallotton & P. S. Price: Environ. Sci. Technol., 50, 5286 (2016)..本報の例として挙げている有機リン系農薬は全てアセチルコリンエステラーゼ阻害作用を持つため,同一作用機構に属する農薬として分類し,水生生物への影響の評価を試みた.
ここで,ΣPEC/PNECは4種類の農薬のPEC/PNECの合計値,MPEC/PNECは4種類の農薬のPEC/PNECの最大値である.検出された4種類の農薬におけるMCRは1を超過している日が多く.単一の農薬で評価したときと比べてその影響が増大していた.MCR法による農薬の水生生物への複合影響の評価基準を表3表3■MCR法による農薬の水生生物への複合影響の評価に示す.グループIは同一作用機構内で1種類でもPNECを超える農薬がある場合,グループIIはPNECを超える農薬がない場合,グループIIIは複数種類の農薬によって複合影響を示す場合に,かつAはその内1種類の農薬のPEC/PNECがΣPEC/PNECの半分以上を示す場合,及びBは複数の農薬のPEC/PNECがΣPEC/PNECの半分以下を示して平均よりも低い濃度の農薬が多く存在する場合に属する.すなわち,同一作用機構内の農薬について,個々の農薬ではPNECを超えているものはないが,複合すると水生生物に影響があることを意味する(13)13) N. Vallotton & P. S. Price: Environ. Sci. Technol., 50, 5286 (2016)..MCR法における検出された有機リン系農薬の複合影響評価を図1図1■MCR法における検出された有機リン系農薬の複合影響評価に示す.例として挙げた4種の農薬は概ねグループIに属しており,水生生物への複合影響は比較的少数の成分によって支配されていることが示され,今回紹介した農薬では単一で水生生物に影響する可能性があったが,場合によっては散布時期が重なることで長期的に影響することもある.グループ | 複合リスク | 個々の化学物質のリスク | MCR | 影響 |
---|---|---|---|---|
I | ΣPEC/PNEC>1 | MPEC/PNEC>1 | 個々の成分に基づく潜在的なリスクがある | |
II | ΣPEC/PNEC<1 | MPEC/PNEC<1 | 影響が確認されない | |
IIIA | ΣPEC/PNEC>1 | MPEC/PNEC<1 | MCR<2 | 混合物によってもたらされるリスクの大部分は1つの物質によって引き起こされている |
IIIB | ΣPEC/PNEC>1 | MPEC/PNEC<1 | MCR>2 | 複数の成分によってリスクが引き起こされる |
農薬は徐々に分解されるものの,ほぼ同時期に散布されることから単一での評価では十分ではなく,作用機構ごとに複数種類の農薬による水生生物への影響が考えられる.環境保全の観点から河川水中の農薬の挙動と水生生物への影響評価は今後も必要である.
Reference
2) 農林水産省:農薬取締法について,https://www.maff.go.jp/j/nouyaku/n_kaisei/index.html
3) 内閣府食品安全委員会:第6版食品の安全性に関する用語集,http://www.fsc.go.jp/yougoshu.data/yougoshu.pdf
4) 環境省:水質汚濁に係る農薬登録基準,https://www.env.go.jp/water/dojo/noyaku/odaku_kijun/kijun.html
5) 厚生労働省:食品に残留する農薬等に関する新しい制度(ポジティブリスト制度)について~農薬等の残留基準を規制する制度が変わりました~,https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/syouhisya/061030.html
6) 水戸部英子,田辺顕子,川田邦明,坂井正昭:環境化学,7,507(1997).
7) 水戸部英子,茨木 剛,田辺顕子,川田邦明,坂井正昭,貴船育英:環境化学,9,311(1999).
8) M. Ohno, Y. Imaizumi, F. Shiraishi, S. Serizawa, H. Shiraishi, N. Suzuki, T. Kose, K. Kawata & T. Shibamoto: Int. J. Environ. Sci., 6, 172 (2021).
9) 環境省:人の健康の保護に関する環境基準,https://www.env.go.jp/kijun/pdf/wt1.pdf
10) 厚生労働省:水質基準項目と基準値(51項目),https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/topics/bukyoku/kenkou/suido/kijun/kijunchi.html
11) 環境省:化学物質の環境リスク評価第2巻,http://www.env.go.jp/chemi/report/h15-01/index.html
12) 環境省:化学物質の環境リスク初期評価(第19次取りまとめ)の結果について,https://www.env.go.jp/press/108823.html
13) N. Vallotton & P. S. Price: Environ. Sci. Technol., 50, 5286 (2016).