Kagaku to Seibutsu 61(1): 1 (2023)
巻頭言
その他おおぜいの落とし穴
Published: 2023-01-01
© 2023 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2023 公益社団法人日本農芸化学会
「ダーウィンが来た!」は,日曜7時半からNHKテレビで16年間700回以上にわたって放送している人気番組で,以前はホームページで過去のテーマが検索できた.それによると約94%が動物の話題,その半分近くが哺乳動物の話題であった.そのスペクトルは,制作者と視聴者の生物多様性イメージに近いものではないだろうか.そして微生物は一度も取り上げられたことがない.ふつうの生物多様性の議論に微生物は登場しない.
科学としての生物学の特徴は,正解が多数あり得てそれに基づく多様性を科学するところ,もうひとつはヒトが生物であるため,どうしても生物の全体像が価値観の影響によって歪んでしまう宿命ではないかと思う.
分岐分類学に従えば,魚類も,爬虫類も,恐竜も,そしてサルも類人猿も存在しない.いずれも単系統ではなく,人間の認識の上の便宜的なグルーピング,側系統群だからである.我々のいう魚類とは,脊椎動物のうち,肺魚の祖先から別れた四足類を除いたその他大勢,つまり補集合につけた名である.爬虫類は,羊膜類から哺乳類と鳥類を除いた補集合.恐竜も,中生代で絶滅したとみる限り,鳥類を除いているので架空の系統群となる.なお最近は,「恐竜は絶滅していない,現代の恐竜が鳥だ」とレトリカルに説明されることもあるようだ.
補集合に名前をつけると,内包する多様性が意識から消えてしまう.生物学の最初に原核生物と真核生物を教える.真核生物の細胞には核がありミトコンドリアなどの細胞小器官があるが,原核生物にはそれらがない.しかしないものを先に定義できない.最初に核やミトコンドリアが重要という価値観があって真核生物が定義され,その補集合に原核生物という名がついた.内共生説に従って原核細胞は真核細胞の祖先というが,ほとんどの原核細胞は真核細胞の誕生とは無縁に進化と多様化を進めてきた.しかし原核生物と括った瞬間その多様性は消え失せる.
2010年頃から高校では3ドメイン説に従った系統分類を教えるようになったが,それまでの5界説と何が違うかの説明は不十分なままである.5界説(7界説でも8界説でもよいが)は,界門綱目科属種という種を基本単位とする階層構造を示す.では種とは何か? 議論は多いながら生物学的種概念に従うならば,交雑/交配を通じて定義される.これは有性生殖が大前提のため,無性生殖を基本とする原核生物には通用しない.以前の教科書の5界説の最下層(原核生物界)には枝が1, 2本しか出ていなかった.そもそもBacteria, Archaeaには「種の多様性」議論が通じない.
C. Woeseの提唱した共通遺伝子の類似度を指標にした「遺伝子の多様性」は,種の多様性とは座標系が違う(紛らわしいが,ここの「遺伝子の多様性」は生物多様性の1側面とされる「遺伝的多様性」genetic diversityと意味が違う).類似度の指標が,Woeseの用いたリボソーム小サブユニットRNAから進んで,多数のメタゲノムを含むゲノム情報が指標になると,真核生物は完全にArchaeaの一部に吸い込まれてしまい,全生物を遺伝子の多様性から見るとBacteriaとArchaeaの2ドメインになるらしい.
このように生物多様性は,種の多様性と遺伝子の多様性という異なった2つの座標で見るべきだが,生態学の立場からスタートした生物多様性の議論の入口では種の多様性が前提で,従って微生物は登場しない.しかし議論がバイオテクノロジー成果の衡平な利益分配の話になると,いつのまにか微生物の多様性が前面に躍り出る.知的財産に直結するのは遺伝子の多様性の方だからである.高校生物教育の早急な整理が必要だと思う.