顕彰

別府輝彦先生の文化勲章受章を祝して

大西 康夫

Yasuo Ohnishi

東京大学大学院農学生命科学研究科

Published: 2023-01-01

別府輝彦先生(令和4年11月24日 撮影 相澤 實)

令和4年11月3日,皇居にて行われた親授式において,日本農芸化学会名誉会員(第50代会長)の別府輝彦先生が栄えある文化勲章を受章されました.大学3年生のとき,別府先生の『微生物学I』を受講して以来,長年にわたって格段のご指導をいただいている者として,この度のご受章を心よりお祝い申し上げます.

別府先生は昭和9年3月東京都に生まれ,小学生時代に太平洋戦争の終戦を経験しておられます.東京都立戸山高校から東京大学に入学され,昭和30年に坂口謹一郎先生が担当する農学部農芸化学科・醗酵学講座において卒業論文研究を開始されました.昭和31年3月に東京大学を卒業され,同大学大学院化学系研究科に進学,昭和36年3月に醗酵学講座において博士課程を修了し農学博士の学位を取得されました.この間,坂口謹一郎先生が退官され,助教授であった有馬啓先生が昭和33年に教授に昇任され同講座を担当されていましたが,別府先生は学位取得後ただちに同講座で助手を務められ,昭和44年8月に助教授,昭和52年8月には教授に昇任されました.教授として約16年半,醗酵学講座(研究室)を主宰された後,平成6年3月,停年により退官,同年5月に東京大学名誉教授の称号を授与されています.東京大学退官後は,ただちに日本大学農獣医学部(平成8年に生物資源科学部に改称)に教授として着任されました.その後,平成17年4月に同大学大学院総合科学研究所教授に就任され,平成21年3月に退職されるまでの計15年間,日本大学で教鞭を取られました.この間,平成16年には日本学士院会員に選出されています.

以上のような長期にわたる教育・研究活動において,別府先生は,基礎および応用微生物学,醗酵学,バイオテクノロジーの教育・研究に努められ,それらの分野で数多くの業績を挙げてこられました.代表的な研究成果を列挙すれば,青カビによる新しいアロイソクエン酸発酵の発見,大腸菌の致死性タンパク質コリシンの作用機作の解明,大腸菌外膜を越えるタンパク質菌体外泌機構の解明,酢酸菌をはじめとする各種有用微生物の遺伝子操作系の確立,放線菌の二次代謝と形態分化の分子制御機構の解明,ウシならびにケカビ由来の凝乳酵素遺伝子のクローン化と微生物による大量生産ならびにタンパク質工学的改良,新規抗真菌抗生物質の探索と発見した低分子化合物の新しい作用機構の解明,新奇な微生物間共生系の発見とその共生機構の解明など,実に多岐にわたります.なかでも,チーズ製造に実用されるウシキモシンの遺伝子組換え技術による生産は,食品製造への同技術の世界初の適用例となりました.また,ストレプトマイシンを生産する放線菌の抗生物質生産と形態分化を同時に制御する微生物ホルモン・A-ファクターの再発見およびその制御機構の解明は,低分子を介した微生物間シグナル伝達研究の先駆けとして高く評価されています.一方,探索によって得られた抗真菌抗生物質トリコスタチンの真核細胞におけるヒストン脱アセチル化阻害作用の発見から,抗がん剤開発の新しい方向性を示した業績は特に独創性が高く,ケミカルバイオロジーを先取りした研究として高く評価されています.さらに,観察そのものが困難な微生物同士の共生系を見出し,二酸化炭素供給を介した共生機構を発見した研究は,微生物生態学にパラダイムシフトをもたらす一例となりました.

これら一連の研究成果は500編を越える原著論文・著書として発表され,我が国のみならず世界的に,微生物学の基礎及び応用における独創的かつ先駆的業績として高く評価されています.これらの業績により,昭和47年に日本農芸化学会・農芸化学奨励賞,昭和61年に日本農芸化学会賞,平成2年に国際微生物学会連合・有馬賞,平成7年に米国工業微生物学会・Charles Tom賞,平成8年紫綬褒章,平成10年日本学士院賞,平成21年瑞宝重光章を受賞(受章)し,平成24年には文化功労者として顕彰されています.

別府先生は以上のような研究業績の他にも,我が国の生命科学の発展のために,さまざまな立場から尽力されてきました.東京大学農学部生物生産工学研究施設の初代施設長,東京大学生物生産工学研究センター長,日本大学生物資源科学部生命科学研究所長等の要職を務めて大学運営に多大な貢献をされました.一方,大学外においては多年にわたり学術審議会専門委員等を務め,我が国の科学行政に貢献されました.平成21年から平成23年までは文部科学省ターゲットタンパク研究プログラムのプログラムディレクターを務め,我が国の構造生命科学の発展に大きな貢献をなされたことは特筆に値します.また,日本農芸化学会のみならず,日本放線菌学会,日本生化学会,日本バイオインダストリー協会等において会長などの要職を歴任し,これら学協会の運営,発展に尽力されました.さらに各種の国内および国際学術雑誌の編集や常任審査員,数多くの国際会議の組織委員・運営委員として尽力され,学術の国際交流に多大な貢献をされました.

別府先生が学生を含む門下生にことあるごとに繰り返された言葉があります.筆者もその教えをずっと大事にしています.十分な解説なしに,その言葉の意図を正確にお伝えできるかどうか心配ですが,そのうち研究に関するものをいくつか紹介させていただきます(カッコ中は筆者の解釈です).

一方,筆者が学生時代,3年前にご逝去された有機化学研究室の故・森謙治先生からお酒の席でよく伺った話があります.『別府研の学生に,君たちは何が楽しくて研究をしているんだと聞くと,ほとんどのヤツが「その実験結果はたいへん面白いですね.」と別府さんが言ってくれるのが嬉しいというんだよ.君たちは金太郎飴みたいだね.』別府先生と森先生の,互いの深い尊敬に基づく親交のおかげで,筆者は研究者同志の繋がりの大切さを学生のときから学ばせていただいたわけですが,両研究室を行き来して頻繁に行われた酒席での,この森先生のお言葉は当時の別府先生の学生に対する温かい指導を端的に物語っています.研究室を主宰する身となった今,別府先生にご指導いただいた教育・研究に対する姿勢は何物にも代え難いものになっています.

別府先生の学問に対する真摯な姿勢が大学を離れてからも全く衰えていないことに関しては,それを知るすべての人が深い尊敬の念を抱いています.常日頃から,最新の研究に注意を払われている別府先生は,いつもご講演の前には長い時間を準備に費やされ,深い洞察に溢れたストーリーを語られます.別府先生が平成27年に著された『見えない巨人—微生物』(ベレ出版ISBN 978-4-86064-450-5)は,発酵,病気,環境という異なる視点から微生物の真の姿に迫る名著であり,一般の人向けに最新の微生物学をわかりやすく紹介するとともに,数多くの示唆を後進に示してくださっています.今後も別府先生がいつまでも変わらずお元気でご活躍されることをお祈りしております.