巻頭言

迷惑なのか不思議なのか

Junichi Kato

加藤 純一

広島大学大学院統合生命科学研究科

Published: 2023-02-01

運動性細菌は周囲の特定の化学物質の濃度勾配を認識し,好ましい領域に集積し,好ましくない環境からは逃避する,走化性と呼ばれる行動的応答を示します.走化性は,捕食,感染,共生などの生物相互作用に関与していると考えられております.私は走化性機構を深く理解すれば,環境細菌の生物相互作用を制御できると考え,植物病原菌や植物成長促進細菌の走化性の研究を行っております.試験物質をアガロースで固め入れたガラスキャピラリーを菌体懸濁液に挿入し,そのキャピラリーに対する集積行動もしくは忌避行動を分析することで走化性の定量を行っております.試験物質を含まないアガロースはネガティブコントロールであり,当然,細菌は応答を示さないはずです.確かに,Pseudomonas aeruginosaEnterobacter cloacaeはまったく応答を示しません.ところが,青枯病を発症する植物病原菌Ralstonia solanacearumは,時としてネガティブコントロールにも走化性応答を示すことがわかりました.しかもその応答の強度はばらついたものでした.これは実に迷惑な話です.試験物質に対する応答を測定できたとしても,それが真の応答なのか,はたまた「ノイズ」なのか判断できないからです.測定回数を大幅に増やして,有意差を取るしかないのか,と暗澹たる気持ちになりました.

ある時,これを「迷惑」な現象と捉えずに,「不思議な現象」に出くわしたと考えたらどうだろうか,とふと思いました.すなわち,「迷惑」が「不思議の謎解き」に変わった瞬間です.この現象が全うな走化性応答ならば,何等かの誘引因子があるはずです.それはアガロースに由来するものか,あるいはキャピラリーの素材であるガラスに由来するものに違いない.アガロースの構成糖やガラス成分に対して走化性応答を調べた結果,なんとホウ酸が誘引物質であることを突き止め,さらにホウ酸走化性のセンサーの特定にも成功しました.これは世界で初めての生物のホウ酸センサーの発見です.面白いことにホウ酸走化性センサーのホモログは,ほぼ植物病原菌にのみ分布しております.ホウ酸は植物の細胞壁の必須成分であることを考えるならば,ホウ酸の感知を通じた新たな感染機構があるかもしれないと,研究を進めております.

多くの研究者は「不思議」に遭遇することを待ち望んでいると思います.何故なら「不思議」の謎解きは,大きな発見につながることがあるからです.ところが厄介なことに「迷惑」と「不思議」は表裏一体の場合が少なくありません.昨今,「迷惑」なことは「迷惑」なこととして放置してしまっているように感じます.実験科学の醍醐味を見逃してしまっているようで,残念でなりません.「そう囁くのよ,私のゴーストが…」これは士郎正宗作の漫画,「攻殻機動隊」の名セリフです.「攻殻機動隊」の舞台は近未来で,ほとんどの人がサイボーク化されております.彼らの生身の脳は電脳化されてネットワークに接続しております.それでも人は「自我」,「自分の原初の思い」を持っており,それがゴーストと呼ばれています.ゴーストが囁くとは,本能的に察知する直観・直感であり,それに基づいて行動を決断することです.「迷惑」から「不思議」を見つけだすには,この「ゴースト」を常日頃,磨き上げておくことが重要なのではないかな,と思っております.