トップランナーに聞く

花王株式会社ヘルス&ウェルネス研究所長 桂木能久 氏

Yoshihisa Katsuragi

桂木 能久

花王株式会社ヘルス&ウェルネス研究所長

Published: 2023-03-01

今回の「トップランナーに聞く」は花王株式会社ヘルス&ウェルネス研究所長の桂木能久先生にインタビューをお願いしました.桂木先生は1988年に広島大学大学院工学研究科工業化学専攻を修了されて,同年,花王株式会社鹿島研究所に入社されました.苦味抑制分子や機能性油脂などの様々な研究開発のご経験を経て,2012年にはヘルスケア食品研究所長に就任され,2020年からヘルス&ウェルネス研究所長を務めていらっしゃいます.アカデミアにおけるご活動も非常に活発で,2016年から現在まで,弘前大学大学院医学研究科の特任教授に就任され,2021年から日本油化学会の副会長,そして2019年から2021年は「健康と食品懇話会」の会長を務められました.今回は,桂木先生のご経歴を中心に,お話を伺いました.

(取材日:2022年10月28日.所属・役職は当時のもの)

戸田  本日はよろしくお願いいたします.まずは学生時代の広島大学での研究をお聞かせいただけますでしょうか.

桂木  学部は広島大学工学部の醗酵工学科で,修士は工学研究科工業化学専攻でした.大学では,放線菌という抗生物質生産菌が,どのようにして抗生物質を生産するのか? という大きなテーマを持った生合成化学の研究室に入り,そこで生合成酵素の研究をしていました.面白いことに,抗生物質の生産菌は自分の抗生物質で死なないのです.生産菌にはそのような自己耐性機構というものがあって,その解明を行っていました.今でこそ,誰でもやっていることかもしれませんが,試験管にDNAを入れると,RNAに転写され,その後,タンパク質が合成されて,目的のタンパク質が手に入る,いわゆる試験管内転写・翻訳系の開発が研究テーマでした.

戸田  塩基配列解析などの分子レベルの実験は,今とだいぶ異なる状況だったと推察されます.

桂木  そうですね.確か,大腸菌の遺伝子工学が浸透してきて,しかしカビでの遺伝子操作はできない,まさに黎明期だったと思います.研究は,本当に苦労の連続でしたが,面白かったです.研究のイロハを教わった時代ですので,今でも研究所長を辞めてどういう研究をしたいかというと,やはり学生時代の研究がしたくなります.研究の楽しさを教わったのは,大学や大学院のころの研究からです.

戸田  そのときに苦労されたことは何でしょうか.

桂木  今ではすごく良かったと思っていますが,自主性を重んじる,学生を管理するのではなく自ら考えることを大切にする研究室でした.放任主義でしたので(笑),研究をすすめるために,ひたすら考えました.実験は,全くうまくいかず,苦労の連続でしたが,自分で考え抜く,そういう研究に対する姿勢を身につけたのがこの時代だと思います.だから,会社に入って,学生さんの採用面接では,「先生とどのぐらいの頻度でディスカッションしますか」ということを聞くことがあります.毎日だとか,頻度高くやるという人はあまり魅力的ではなくて,逐一,先生に指導してもらって研究しているのは,本当に自分で考えているのかと思ったりして,ちょっと意地悪な質問をしたりすることがあります.本当にわからないから文献をむさぼり読んだり,いろいろな人に聞きに行ったり,そんなことを一生懸命やっていました.これは今思えば楽しかったのかもしれません.

戸田  1988年に花王株式会社に入社された際の志望動機をお聞かせください.

桂木  研究開発に力を入れている会社に入ると決めていました.当時,求人誌が山のように送られてきて,その中に売上に対する研究開発費の比率というのが出ていました.研究開発費の占める割合が高く,いろいろな研究をしているのが花王でした.そして,たまたま求人のリストに花王があったから受けたのです.製薬業界以外では,当時は,島津製作所さんだとか,旭化成さんも研究開発比率が高かった記憶があります.

戸田  鹿島研究所に入所され,どのような研究をされたのでしょうか.

桂木  醗酵研出身だったので,醗酵研究室に配属されまして,微生物生産の仕事をしていました.私どもの洗剤の製品にアタックがあります.アタックの中には,当時アルカリセルラーゼという酵素が入っていました.それが汚れを落とすということで,アルカリセルラーゼ生産菌の活性を上げるとか,あるいは安定に酵素を生産させるなど,微生物酵素の生産に関わる研究をしていました.わずか1年でしたけど.

2年目からは食品加工に使われる酵素のリパーゼが研究テーマになりました.食品の分野では,花王は油脂化学を中心に研究をしており,1928年から食用油脂に関わる商品を出しています.一般の消費者の方の目に触れることはあまりない商品ですが,いろいろな企業さんに特徴的な油脂を提供するような事業をサポートする研究でした.いわゆるBtoBの仕事を担当しました.

戸田  その後,1991年から北海道大学に国内留学されていますが,その際のご研究についてもお聞かせいただけますか.

桂木  食用油脂に関するBtoBの事業を支える研究をしましたが,ちょうどこの頃に,花王では,いわゆるスーパーやコンビニに並べるような家庭用向けの食品の開発を開始しました.食品の研究には,やはりおいしさの研究が必要で,味とか匂いのことを知っておいたほうがよいとのことで,ある日,突然に当時の所長に呼ばれ,味覚・嗅覚の研究されていた栗原堅三教授(当時北海道大学・薬学部)のところに行ってこいと言われました.研究留学に行きたいとの希望は出していましたが,酵素の研究から,味覚・嗅覚の研究(感覚生理学)ですからね,そして,工学部出身で,生理学や薬学について全く何の知識もなかったので驚きました.これは上司が決めた話で,私の希望も何もなくて(笑).ただし食品の研究をやるのであれば,おいしさの研究とか,味やにおいの研究は,本当に必要だろうと思っていて,すごく納得して研究留学に行った覚えはあります.栗原研究室には2年間お世話になり,その後,幸いにも,1996年に博士の学位を取得しました.

   北大では苦味を特異的に抑制する物質を発見されて,その成果はNatureに掲載されていますね.

桂木  1993年に“Specific inhibitor for bitter taste”というタイトルの論文をNatureに発表することができました.当時,このニュースは世界中を駆けめぐり,ウォール・ストリート・ジャーナルに取り上げられたり,世界中から一斉に問い合わせを受けました.

栗原先生のところでは,リポプロテイン(リン脂質とタンパク質の複合体)の味覚に対する影響を研究していました.リポプロテインに,甘味やうま味などのおいしい味を強めるような働きがあればと思い,毎日,味神経応答をとる電気生理の研究をしていました.しかし,全くうまくいきませんでしたね.そんなある日,おいしくない味の代表格である苦味への影響を評価していると,信じられないぐらい苦味を抑制することがわかりました.それも苦味だけに.当時,研究室では月に1回の報告会があり,報告する結果がなく,つまらないデータと思いながら発表したところ,栗原先生が「それは面白い!」と言われたのを覚えています.そして,先生のご助言のお陰で,これはつかんだ,と思った瞬間があり,その後は,ほぼ徹夜を2~3日続けて,夢中でデータをとったのを覚えています.

戸田  それはどんな瞬間だったのでしょうか.

桂木  リポプロテインは,甘味やうま味,塩味,酸味を全く抑えることなく,苦味だけを特異的に,ものすごく切れ味よく抑えることがわかった瞬間です.栗原先生は,「これは製薬の世界で物になるかもしれない」と言わました.その頃,ある製薬メーカーさんが,「こんなに苦い薬があるんだけど,何とかなりませんか」と,栗原先生に相談に来ていたらしいです.苦味を抑えることの世界的なニーズを知り,また,先生が熱く話されたものですから,半信半疑だった私も,その後は懸命に実験をしました.おそらく,これまでの研究人生で一番に実験した気がします.その結果をまとめて,栗原先生と私の連名でNatureに論文を投稿しました.

栗原先生の研究室ではいろいろなことを学びました.この留学経験が,研究者である私にとっては転機でした.栗原先生はすごく多くの論文を書かれていました.そして面白いと思ったらランキングの高い雑誌から順番に投稿することを徹底されていました.これを可能にするには,データの新規性や質,論理性はもちろんですが,現実的には,論文を書くスピードです.先生の論文を書くスピードは圧巻でした.今でもよく研究所のメンバーに話しますが,研究者ができる最大のマーケティングは,ハイインパクトなジャーナルに論文を出すことだと思っています.例えばNatureやScienceに出た論文は世界中を駆けめぐりますよね.それは,企業が営業で頑張ることとは,また次元が違うわけです.

戸田  国内留学後は,研究所でどのような活動をされましたか.

桂木  苦味の抑制にニーズがあるとは想像できなくて,会社も驚いていました.でも,調べてみると,確かにいろいろなニーズがあるとわかりました.とくに,小児用の医薬品業界には圧倒的なニーズがありました.苦味を抑えれば,子どもがあまり嫌がることなく薬を飲むことができるわけです.“苦味”を楽しむことができるのは,ヒトの成人だけです.それ以外には,ニーズがあるわけです.動物用医薬品に利用できるのではと,旭山動物園からも問い合わせがありました.会社としてもこれを一つの事業にしようということで,実用化のための仕事を2000年までやっていました.この技術を多くの食品メーカーさんにアピールに行きましたし,国内外の多くの製薬メーカーさんに営業しました.

戸田  2000年にヘルスケア第一研究所の室長に就任されて,花王の「体に脂肪がつきにくい」機能性脂質の研究・開発の責任者になられ,2002年から2年間,米国Archer Daniels Midland社(ADM社)と共同開発されています.その間の研究開発についてお聞かせください.

   ADM社は食用油の原料となる大豆やトウモロコシの穀物メジャーですね.

桂木  花王は当時,ヘルスケア分野の事業に力を入れていくことを宣言していまして,その一つとして,食を通じて人を健康にするという方向性が示されました.当時の上司に突然よばれ,食品業界のことをよく知っているとか,油脂成分を用いた開発経験のせいなのか,当時としては早くして室長になり,家庭用の油の開発をするように言われました.そして2002年に花王は,ADM社とジョイントベンチャーをつくりました.「体に脂肪がつきにくい油」(商品名:エコナ)をアメリカで展開するためです(商品名:ENOVA).研究の責任者としてADM社の研究所に出向し,米国人を対象とした臨床試験を実施したり,米国人の嗜好性調査とか,米国用の食品規制に合わせたラベルを考えるとか,そのような商品開発研究をADM社の研究員と一緒に進めていました.

戸田  日本と米国の研究開発の進め方に違いはあったでしょうか.

桂木  ADM社の企業風土や仕事の進め方には大きな違いを感じましたね.花王は,マトリックス運営と呼んでいるように,縦・横のつながりを大事にします.さまざま知識を持つ研究経験のある人が集まってきて,一緒に物を考えるという風土があります.ADM社は,社員それぞれの専門性が非常に高いスペシャリスト集団でした.ADM社は,世界的な穀物メジャーであり,全世界にBtoB事業を展開していたこともあり,優れた各分野のスペシャリストが必要だったのしょう.ENOVAを家庭用の商品として開発する際に,スペシャリスト間の橋渡しに苦労したのを覚えています.自分の専門性を大事にするのはアメリカならではという気もしました.また,ADM社の社員は黙っておらずよくしゃべり,必ず会議で発言するとか.日本人は発言しないんですけどね(笑).日本では,会議の際には,決まって役職者は前に座るのが慣例ですが,ADM社では,皆好きなところに座るので,研究所長が一番後ろに座っていたりしました.討論ではいつも,いろいろな意見が出るけれど,最後に必ずまとまるのがアメリカでした.

戸田  ご帰国後は,食品の機能性評価の確立にご尽力されています.

桂木  今は,ヘルシアなどの商品開発に機能性表示食品の制度を活用していますが,その当時は特定保健用食品(トクホ)の開発が中心でした.トクホは,当時,厚生労働省に申請をして表示が認められる制度で,客観的なヒト試験のデータが求められます.そこで,研究所内に,ヒトの健康機能を客観的に評価する研究室をつくることになり,その研究室長になりました.研究室では,いわゆる代謝実験,メタボリックチャンバーなどの解析設備をいろいろ整えました.弊社のヘルシア緑茶などについても,その設備を使って科学的なヒト試験データを取ってきました.

トクホの商品開発では,事業化に近くなるほど,こういう表示ができませんかとか,マーケティングに沿った要求が来るんですね.しかし,それはエビデンスを取らないとそんなことを言えません,こういうエビデンスがあるからこの表示はできます,という自分達で線引きができる,そういう客観的なデータが取れる組織運営をしていました.

戸田  2012年にヘルスケア食品研究所の所長に就任されています.所長というお立場はそれまでとは違うと推察されますが,いかがでしょうか.

桂木  食品で人を健康にするというテーマは一貫しています.将来の健康リスクのため,メタボリックシンドロームやロコモティブシンドローム,認知機能に対する商品をつくることで社会に貢献することを考えました.ヘルシア緑茶はメタボリックシンドロームを予防したい想いで,脂肪の代謝を高めて内臓脂肪を減らすのに役立つ商品です.研究所長として,方針を決めて,それを会社に提案し,説得し,よきモノづくりを実践する.研究所長になったからといっても,それまでと違いはさほどありません.そして,人財育成です.会社の中や研究所の中だけでなく,外から自分たちの姿をみるような経験を,できるだけもってもらうように,研究留学や駐在,そして社内でのローテーションを進めています.普段とは違う気づきがあるものです.

戸田  2016年には弘前大学大学院医学研究科の特任教授に就任されています.2013年,弘前大学は文部科学省・科学技術振興機構(JST)の革新的イノベーション創出プログラム「COI(センター・オブ・イノベーション)STREAM」全国拠点の一つとして採択されています.このCOIで連携を始められたきっかけをお聞かせください.

桂木  2020年から研究所の名称がかわり,ヘルス&ウェルネス研究所長になりました.ヘルシアなどの健康を気にするお客様へ商品を提供するための研究開発が主です.これに加えて,商品だけでなく,お客様の健康状態にあわせた商品やサービスを提供することが必要ではないかと考えて,健康の測定器の開発や生活習慣の研究にも取り組んでいます.弘前大学とは2016年から連携をさせていただいています.

世界的にも類を見ない,健康に関連するビッグデータを持っていて,そのデータを活用することで疾患予兆や予防法の開発を目指しているのが魅力です.一般的な人間ドックでは一人あたり40項目ぐらいしか検査しませんが,弘前大学では,約3,000項目を測定します.それを,2005年以降,弘前市岩木地区において毎年1,000名ぐらいの健常な方に実施しています.ここには圧倒的なビッグデータがあり,その解析から個人の健康状態に対応する,また将来の疾患発症リスクを抑えるような研究をしています.弘前大学は個人の健康状態に合わせたソリューションの提供を目指しており,それはわれわれの目指すところと一致しています.今後も弘前大学COIとの連携は続けていきます.

戸田  企業と大学との連携ですね.農芸化学会誌の読者はアカデミアの方が多いのですが,企業が大学側に求めるものについて,お聞かせいただけますか.

桂木  企業にないものを持っておられる,その領域の第一人者はとても魅力的です.それは分析技術かもしれないし,機能性成分の評価系,卓越した統計処理のスキル,海外とのネットワーク,行政とつながりを持つ先生かもしれない.例えば,われわれが持つ素材の一つはカテキンですが,その機能の対象となる肥満のメカニズムを熱心に研究されている先生など,私どもにとって,いまをより深める研究には興味があります.また,将来の糧となるような萌芽的研究も同様です.多くの先生方と共同研究をさせていただいてますが,その分野でユニークな研究をされている先生方とは,毎日でもディスカッションをしてみたい魅力を感じます.研究の最新動向に触れるために,そしてアカデミアとコミュニケーションをとるために,春秋の学会に参加することを所員には伝えています.

戸田  『化学と生物』は若い読者層も多く,そのような方へのメッセージもお願いできますか.

桂木  日ごろ若い研究員に言っていることですが,データが出なくなったりとか,壁にぶち当たることは結構あると思います.そういうときは考え抜くことしかないと思っています.「上司に言われたことだけをするのではなく,自分で考えないと研究員じゃない」と言います.ただ,自分だけで考えても限界があるので,意見をもらう姿勢が必要ですね.意見をもらいながらディスカッションすると,おのずと解決策は出るものです.異なる研究分野の方と話すと,思いもよらない気づきがあるものです.そして,視野を広げるのにも役立ちます.

もう一つは,物事を伝えることの重要さです.会社も大学でも同じでしょうけれど,自分の研究成果をアピールするということは必要です.伝えることと,伝わることは別物です.伝わるように伝えることは重要だと思っています.

筒浦  企業の方にとって学位をとるということはどのぐらい魅力的なのでしょうか.学位をとることに関する,若い人へのメッセージがあればお聞かせください.

桂木  研究所員には,仕事のタイプにもよりますが,常々,学位をとったらと声掛けします.しかし,企業の場合は,公表できる仕事とそうではない仕事があり難しいところです.ただ,学位をとりたいとの思いの強い研究員は,自ら社会人博士課程に入学し,仕事の合間に研究をしているようです.学位は,アカデミアでは必須ですし,海外で研究する場合もあったほうが良いですね.自分の研究をまとめて世に問うて,それで博士号を取得できるのならチャレンジすべきと思います.

筒浦  研究員の方とのディスカッションはどのぐらい行っていらっしゃいますか.

桂木  月に1回,研究所全員が集まる機会があり,各研究室から1人,2人が発表します.あとは,年に1回,所長面談を行い,全員と面談しています.みなさん,いろんなことを話してくれます.また,進捗に変化があった場合など,随時,議論します.できるだけ自主性を重んじているつもりです.

筒浦  研究を進める上で人に対するいろいろなケアも先生がされていてすごいですね.

   私はアメリカの大学でポスドクをしていましたが,コロナ禍で学生が海外に行く機会が少なくなっています.一方,花王は海外展開も積極的です.今後はさらに海外との仕事が重要になっていく状況で,若者に対して,海外に行くことについて,何かお考えをお持ちでしたらお聞かせいただけますか.

桂木  コロナ禍で今はストップしていますが,それ以前は私も海外に駐在したり,研究留学を経験していましたので,外から会社を観ることの大切さを実感しています.また,その土地に住んでみないとわからないことが,本当に多くある.その経験から,研究室長のときから,毎年2人を海外に留学か駐在をさせていました.10年だったら20人の海外経験者ができるわけです.そうすると研究所も変わるという考えで海外に出しました.やはり広い視野を持たないと,いい発想はできないと思っています.

戸田  最後に未来についての質問をしてもよろしいでしょうか.今後のヘルス&ウェルネス研究所や事業は何を目指して進めていくお考えでしょうか? 10年後はどのようになっているとお考えですか.

桂木  少なくとも商品だけを提供するあり方ではないと思います.個人の健康状態にあわせた商品やサービスをご提供する,プレシジョン・ヘルスケアが目指すところです.超高齢社会を迎え,医療費の増加は深刻であり,病気にかからない,疾病を予防することは益々重要になっています.個々の健康状態を正確に把握し,エビデンスに基づいた疾患予防やそれに伴うサービスを開発し,病気の発症を予防する.少しでも,命を守ることに貢献できればと思っています.

桂木  最後に,ワークライフバランスであったり,ワークセルフバランス・ポジティブって,いい言葉だなって思っていまして,これはアメリカに行った経験からもそうなんですけどね.家族を大事にするだとか,そういうベースがあって,いい研究や仕事ができると信じています.家族の定義は,まちまちかもしれませんが,研究所員には,“家族を大切に”という言葉を使うことがよくあります.研究だけじゃなくて,遊び心を大事にする,これは必要ではないかと思っています.

戸田,林,筒浦  本日はどうもありがとうございました.

桂木  ありがとうございました.