Kagaku to Seibutsu 61(5): 210-213 (2023)
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市民参加型研究プロジェクト「地球冷却微生物を探せ」の現状と展望土壌に眠る温室効果ガス消去微生物をみんなの力で掘り起こそう
Published: 2023-05-01
© 2023 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2023 公益社団法人日本農芸化学会
市民科学(シチズン・サイエンス)は,非職業研究者(=市民)と職業研究者が協力して行う科学的研究の方法である.職業研究者だけでは集めるのが難しい大規模なデータやサンプルの収集に適した方法であり,欧米を中心に生物学,生態学,環境学や社会科学などの分野で近年多くのプロジェクトが行われている(1)1) 日本学術会議 若手アカデミー:提言:シチズンサイエンスを推進する社会システムの構築を目指して,https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-2.pdf, 2020..本稿で紹介する「地球冷却微生物を探せ」は,土壌から発生する温室効果ガス,一酸化二窒素(以下N2O)の削減をめざす市民科学プロジェクトである.ひとすくいの土をガラスの瓶に入れて実験を行うことから「Soil in a Bottle」という愛称でも呼んでいる.
20世紀中頃から観測されてきた地球の平均気温の上昇は,人為起源の温室効果ガス濃度上昇が主な原因と考えられている.2021年には,国際連合の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」でこの地球温暖化の原因が人間活動によるものと断定された(2)2) 気象庁:IPCC第6次評価報告書第1作業部会報告書について,https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/ar6/Basics_of_the_IPCC_AR6_WG1_Report.pdf, 2021..温室効果ガスといえば二酸化炭素やメタンがよく知られているが,N2Oも強い温室効果(二酸化炭素の約300倍)をもつ気体であり,大気中の濃度上昇を抑えることが強く求められている.(3)3) R. Hatano: IOP Conf. Ser. Earth Environ. Sci., 694, 012003 (2021). N2Oの主な発生源のひとつは土壌である.土壌中の窒素化合物は多様で複雑な物理化学的,生化学的要因によって形を変えるが,微生物による硝化(nitrification)あるいは脱窒(denitrification)という反応過程の中で一酸化窒素(NO)が還元されてN2Oが生成される(図1A図1■環境中の窒素循環と「地球冷却微生物を探せ」の実験).これ以外にも,ヒドロキシルアミン(NH2OH)の化学分解や化学脱窒(chemodenitrification)といった反応によってもN2Oが生じることが知られている.特に肥料としてアンモニウムイオン(NH4+)や硝酸イオン(NO3−)などの形で多量の窒素化合物が投入される「農地」の土壌は,N2Oの人為的発生源の大きな割合を占めている(4)4) H. Tian, R. Xu, J. G. Canadell, R. L. Thompson, W. Winiwarter, P. Suntharalingam, E. A. Davidson, P. Ciais, R. B. Jackson, G. Janssens-Maenhout et al.: Nature, 586, 248 (2020)..しかしその一方,土壌微生物の中にはN2Oを還元して窒素(N2)に変えるものも存在する(5)5) 南澤 究,妹尾啓史編著:“エッセンシャル土壌微生物学 作物生産のための基礎(KS農学専門書)”,講談社,2021..2020年度から始まったムーンショット型研究「資源循環の最適化による農地由来の温室効果ガスの排出削減」(PM:南澤 究)では,そんなN2O消去微生物を利用して土壌からのN2O発生を抑制する技術の開発を目的としている.より効率的なN2O抑制技術の開発には,既知のものより強力なN2O消去微生物を見つける必要があるため,市民科学プロジェクト「地球冷却微生物を探せ」(https://dsoil.jp/soil-in-a-bottle/)が始動した.
このプロジェクトには主に3つの目的がある.1つ目は,プロジェクト名にもある通り「地球冷却微生物」すなわち強力なN2O消去微生物を見つけ出すことである.プロジェクト参加者には身の回りの土壌と気体を使った実験をしてもらい(図1B図1■環境中の窒素循環と「地球冷却微生物を探せ」の実験),全国各地から土壌のN2O放出・吸収速度とその中にいる微生物叢,および様々なメタデータ(場所,環境の情報,植生,土地利用方法など)を集める.それら多くのデータを詳細に分析して「地球冷却微生物」の候補となる微生物を絞り込み,単離・培養を試みる.将来的には,単離した微生物の中でも特に高いN2O消去活性をもつ微生物を用いて土に散布する微生物接種資材の開発をめざす.目的の2つ目は,市民参加者との対話である.プロジェクト参加を通して地球環境問題や土壌,微生物の研究に興味をもってもらうため,主にオンラインでの参加者限定セミナー(Dig up!セミナー)や説明会を定期的に開催し,科学的な知識の共有やデータの解釈についての議論を行う.また,微生物接種資材を開発し,社会実装するために解決すべき問題について意見交換するためにワークショップやアンケートなども行っている.3つ目の目的は,大規模なデータの蓄積とその活用である.多数のデータと機械学習などを用いた解析によって,例えば「土壌中でのN2Oの発生と消失の要因」に関する新たな観点を浮かび上がらせられるかもしれない.その他にも,農業生産の増大や土壌環境浄化などを目的とした将来の土壌微生物研究にも利用できると考えられる.
プロジェクト参加者が行う実験の詳しい方法については,webページ(https://dsoil.jp/soil-in-a-bottle/)から実験マニュアルや説明動画を参照されたい.全国の参加者から送っていただいたサンプルを用いて,われわれ研究者が気体と土壌の分析を行う.気体については,ガスクロマトグラフィーを用いてN2O濃度を測定し,土壌からのN2O放出・吸収速度を算出する.土壌については,その性質を示す指標としてpHや土の色,水分含量を測定する.また,土壌の一部からDNAを抽出してアンプリコンシーケンス解析を行い,その中の微生物叢を明らかにする.微生物叢解析は,「全てのバクテリア」がもつ16S rRNA遺伝子と「N2O消去微生物」がもつnosZ遺伝子をそれぞれ対象として行う.nosZとはN2O還元酵素(nitrous oxide reductase)をコードする遺伝子で,現在までに知られている「微生物によるN2Oの消去」はすべて,この酵素によってN2Oが還元されてN2になる反応である(図1A図1■環境中の窒素循環と「地球冷却微生物を探せ」の実験).nosZ遺伝子は系統的に大きく2つのクレードに分かれ,多様な微生物がnosZをもつ(≒N2O消去能力をもつ)ことがわかっている(6)6) C. M. Jones, D. R. H. Graf, D. Bru, L. Philippot & S. Hallin: ISME J., 7, 417 (2013)..クレードIのnosZ遺伝子をもつ微生物はAlpha-, Beta-, Gamma-proteobacteriaと一部のArchaeaが知られており,クレードIIはAlpha-, Beta-, Gamma-に加えてDelta-, Epsilon-proteobacteria, Bacteroidetes, Firmicutes, Verrucomicrobia, Aquificae, Gemmatimonadetes, Spirochaetes, Deferribacteresおよび一部のArchaeaが知られている.これらnosZ遺伝子の塩基配列は耕作地土壌や湿地,湖沼堆積物,活性汚泥といった環境から比較的多く検出されている.しかし,nosZをもつ微生物の多様性には未知の部分も多く,その分布特性についてもわかっていないことが多いため,本プロジェクトを通して新しい微生物やその生息場所が見つかることを期待している.
2021年の11月に参加者募集が始まったこのプロジェクトには,2022年10月20日現在,516名もの参加者が集まっている.年齢は3歳から83歳と幅広く,農業関係者や大学生・高校生を中心とした学生が多い.また,現在までに北海道から沖縄まで全国各地の様々な場所からのべ927ヶ所分のサンプルが得られた(図2A図2■これまでに得られたサンプルとデータ).全サンプルでガスが分析された結果,N2Oの放出速度は土によって様々であり,土を採った場所の土地利用によって違いが見られた(図2B図2■これまでに得られたサンプルとデータ).約130のサンプルでは,現場実験の時間内にN2O濃度の変化が確認されなかったが(N2O放出速度≒0),半数以上のサンプルでは明らかにN2Oの放出(N2O放出速度>0)が, 25個のサンプルではN2Oの吸収(N2O放出速度<0)が認められた.また,727個のサンプルで微生物叢解析が行われ,こちらも土地利用状況によって微生物叢に違いが見られた.したがって,多様な環境の多様な土壌サンプルが集まっていると考えられる.一方で,このプロジェクトにはまだ解決すべき課題が残されている.例えば参加者は関東や関西など人口密集地域に多く,地方(とくに西日本)はまだ少ない.そのため土壌サンプルも都道府県ごとに偏りがあり,土が採られた場所も畑や住宅地(家の庭や公園,学校など)が多いのに対し,水田や山林のサンプルはまだまだ少ない.日本ではまだ市民科学という仕組み自体がよく認知されていないのが現状であり(1)1) 日本学術会議 若手アカデミー:提言:シチズンサイエンスを推進する社会システムの構築を目指して,https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-2.pdf, 2020.,参加者やサンプルを増やすためには様々な試みが必要である.本稿を読んでプロジェクトに興味をもった読者諸氏には,ぜひプロジェクトへの参加や周囲の方への紹介といった協力をお願いしたい.
Reference
1) 日本学術会議 若手アカデミー:提言:シチズンサイエンスを推進する社会システムの構築を目指して,https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-2.pdf, 2020.
2) 気象庁:IPCC第6次評価報告書第1作業部会報告書について,https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/ar6/Basics_of_the_IPCC_AR6_WG1_Report.pdf, 2021.
3) R. Hatano: IOP Conf. Ser. Earth Environ. Sci., 694, 012003 (2021).
5) 南澤 究,妹尾啓史編著:“エッセンシャル土壌微生物学 作物生産のための基礎(KS農学専門書)”,講談社,2021.
6) C. M. Jones, D. R. H. Graf, D. Bru, L. Philippot & S. Hallin: ISME J., 7, 417 (2013).