Kagaku to Seibutsu 61(6): 253 (2023)
巻頭言
博士と自己研鑽
Published: 2023-06-01
© 2023 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2023 公益社団法人日本農芸化学会
仕事は楽しんでというと語弊があるかもしれないが,自ら進んで主体的にできれば言うことはない.少し堅苦しい言葉であるが「自己研鑽(けんさん)」を使うようになったのは,休業日に大学で仕事をすると時間外労働になるので,勤務報告で自ら進んで大学にでる理由としたことによる.「自己研鑽」とは自分のスキルや能力を磨くことを指すが,理系の研究に携わる者としては,学問などを深く究めるために自分を磨き,務めること,具体的には,よりよい学術論文を世に出すように取り組むことととらえたい.休日に働けという意味ではなく,教員目線で偉そうだが,「博士」の学位をもたれた方には,ぜひこの「自己研鑽」をお願いしたいものである.
学位取得には多大なる努力が必要で,授与のときに達成感を味わえる人も多いと思うが,そのレベルは様々で,ひたすら実験データは出しているものの,投稿論文をまとめるには,自分がいかに未熟であるかを痛感する.論文は複数研究者の合作である場合が多く,質の高い論文ほど中心となって書くのはむずかしい.学位の多くの場合の要件として第一著者の論文が出る.自分の論文としてアピールできる.その能力に達していなくても一人前の研究者と見られる.だからこそ,これではいけない,とその域に達するように自らを磨くことを続けてほしい,と学位論文公開発表会でお話をする.でないと自身ができる人と錯覚してしまう.一人前の「博士」たるべく日々「自己研鑽」である.
「博士の学位は足の裏についた飯粒のようなもの」言われることがある.とらないと気持ちが悪いが,とったところでどうということはない,つまり,自分にとっては気になるものであっても他の人にとってはあまり意味がないもの,博士課程を修了しても就職が難しい現状のたとえ,多大な努力が必要であるが社会的にはそれほど価値がない,らしい.一方で,博士だと専門的知識や研究能力をもち学術論文が書ける一人前の研究者とみられること,特に欧米企業との交渉においても技術的な場合だけでなく,ビジネス上でも高いレベルの知的能力をもつ者とみられ信頼を得やすい,また,高度な問題解決能力をもつ者と見られ,管理職へ抜擢されるなど,学位が有利に働くこともあるらしい.それゆえ,博士取得は切望され目標とされることもあるが,とれば終わりではない.
私自身,責任理事として全国初の三重大学大学院地域イノベーション学研究科の設置に携わった.2009年以来,進学学生には専門的研究能力に加えて,プロジェクトマネジメントができる力を,社会人学生(経営者を含む)には,理路整然と考え,まとめる力をもつ人材の育成を進め,多くの博士が輩出されている.研究する環境にある博士は,よりよい論文を書くことを目指し,その環境にない博士は,研究者たる意識をもって,考える力をさらに磨き,一人前の博士たるべく自ら進んで「自己研鑽」を続けていただきたい.
さて,「自己研鑽」は大学教員にとっても同じと思う.厳しくなったと言えども,まだまだ極めて恵まれた環境にいる.立場にもよるが,裁量労働制,教員個室,若手優遇,研究内容など自分の意志で決められることが多い.一方,しばしば雑用と言われる(私はすべて本業と言う)会議,講義,試験,成績,卒論・修論発表会などの期日がある活動が優先され(学会発表も),期限がない(明確な期日がないというべきか)論文を書くことが後回しになり,研究者にとって最も重要で論文として世に出ないと意味がないデータが埋もれてしまう.多くを埋もれさせている者が言える立場ではないかもしれないが,一念発起「自己啓発(意識改革)」し,自ら進んで(楽しみつつ,と言いたいが少なくとも充実感をもって,長続きするように無理なく(大切))「自己研鑽」していただきたいと願う.自らを磨き成長を求め続ける人にとっては,「博士の学位は足の裏についた飯粒」と胸を張って言えるのかもしれない.