巻頭言

何事も「やってみないとわからない」

Yoshikazu Kitano

北野 克和

東京農工大学大学院農学研究院

Published: 2023-07-01

この3月より和文誌編集委員会の委員長を拝命するとともに,事務局より巻頭言の執筆の依頼を受けた.筆者が日本農芸化学会に入会したのは約30年前,大学4年生のときである.教授室にあった日本農芸化学会誌(当時「化学と生物」は別雑誌)を見つけ,農芸化学科に所属しているからには入会して自分の手元にも日本農芸化学会誌を置きたいとの理由から大会で発表するわけでもないのに入会した.その後,2005年より会誌が「化学と生物」となり,巻頭言を毎月目にすることになったが,巻頭言を執筆しているのは錚々たる顔ぶれで,まさかその頃は自分が巻頭言を書く時が来るとは思ってもいなかった.そのような先生方の一員になったかは甚だ疑問ではあるが,せっかくの機会なので最近思うことを書かせていただきたい.

今回取り上げたいのは「やってみないとわからない」である.当たり前のことであるがこれに関していくつかのエピソードを添えながら考えてみたい.筆者がこの言葉を鮮明に覚えているのは会社員時代の入社1年目のときである.最初に配属された有機合成の基礎研究の部署がなくなることもあり,新年度の新薬開発テーマの提案をする機会をいただいた.その提案についてのディスカッション中,上司から「それは薬になるの?」と聞かれたときに,普通に「やってみないとわからないですね~」と回答したらこっぴどく注意をされた.今となればそのような回答は0点であることはよく理解できるが,当時はまだ新入社員だったということで許していただきたい.なお,その後この予行演習のお陰で,実際の発表会の場で社長から同じ質問をされたときに「なります!」と,さぞ自信ありげに答えたのを覚えている.ただし,結局このテーマは採用されなかった.私が翌年に会社を辞めたということを考えると会社の判断は適切だったのであろう.

とはいえ,やはり何事も「やってみないとわからない」である.そもそも,研究は誰もやっていない,わからないことを実施するものである.最近学生から「この反応は上手く進行しますか?」と聞かれることがある.もちろんある程度の経験があるので「勘」で予想はできるが,正直なところ「やってみないとわからない」である.筆者は学部,修士の時代に天然物の全合成のテーマに取り組んでいたが,教科書にも書いてある反応が,構造が異なると全く進行しなかったというのを何度も経験している.あるドラマのせいなのか,最近は上手くいかないことは敬遠しがちのようである.以前は「失敗は成功のもと」という言葉をよく耳にする機会があったと思うが,最近あまり聞かないと感じるのは気のせいだろうか.ただし,なんでもかんでも「やってみないとわからない」ではちょっと雑である.研究も,何の根拠もなく新しい実験をやっても上手く進むはずがない.運任せではないことは理解していただきたい.

話はそれるが,今世界で最も注目を浴びている人物の一人として,メジャーリーガーの大谷選手があげられるだろう.今は二刀流として大活躍だが,メジャーリーグに移籍した当時,多くの野球解説者は「ピッチャー」か「バッター」のどちらかに専念するべきとの発言をしていた.メジャーリーグで成功すること自体が難しいからのコメントだろうが,これを受け入れて大谷選手がどちらかに専念してしまっていたら今の姿はなかったであろう.二刀流として成功しているのは,大谷選手が意思を持って挑戦した,やってみた結果である.もちろん,そのような挑戦の場が与えられたからというのも重要な点である.

今後大谷選手級の研究者が多く育つには,よく言われていることであるが,自由に挑戦できる研究環境が不可欠であろう.「育てる」だけでなく「邪魔をしない」も重要なのではないだろうか.当然ながら,まずはやってみないと何も始まらない.