巻頭言

研究者の流動性について

Masako Toda

戸田 雅子

東北大学大学院農学研究科

Published: 2023-11-01

今号の巻頭言では「研究者の流動性」について記述してみたい.文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)によると,研究者の流動性を高めることは,知識生産の担い手である研究者の能力の活性化を促すとともに,労働現場においても活力ある研究環境を形成する,とされている.確かに研究者にとって,複数の研究開発環境の中で働くことは,研究の創造性や独創性を高め,専門性を広げることにつながり,重要である.筆者はドイツで約12年間を過ごしたが,その間に強い印象を受けたのは,「研究者の流動性」を促進するための人事評価と助成制度であった.

ドイツにおける研究者のキャリア推進はHabilitationという大学教授資格の制度が基礎となっている.学位取得後に筆頭著者として複数の論文を発表し,大学におけるメンター教授の了解を得ることができたら,Habilitation取得の活動を開始できる.活動期間中においては,競争的資金の獲得,最終著者としての論文の発表,大学における講義(少なくとも一つの科目の全ての講義)と学生実験の担当,などが必要とされる.原則として,キャリアの流動性を高めるために,博士号取得時とは異なる研究機関と研究課題によるHabilitation活動が必要とされる.この活動内容を満たした後に,第2の学位論文とも呼ばれる研究業績をまとめたHabilitationsschriftを提出する.そして,自身の研究とは異なる領域についての公開講義を行い,口頭試験を受け,これに合格すると大学教授資格を得る.

教授資格を得ると,大学教授の職に応募できる.既に教授職に就いている場合でも,より良い条件を求めて他大学の職に応募する場合がある.ここで特筆すべきは,大学や研究所の上級職の選考においては,外部機関からの応募がより評価される点である.Nature級の論文リストを持つにもかかわらず,internal applicantであることから,第一候補者にならなかった例を筆者は見ている.さらに興味深いことに,選考の結果,第一候補者ではなく,第二候補者となった場合でも,これを履歴書に記述することができる.このようなキャリアの評価制度は外部機関からの応募を促進する.

選考の後,第一候補者は着任条件(大学が給与を支払う研究スタッフやポスドク,博士課程学生の数,自身の給与,研究室の規模など)を大学と交渉する.着任が決まると,研究室を新設することになるので,ドイツ学術振興会へ研究提案書を送り,大型機器の購入費を含めた研究費を申請する(全ての申請が採択されるわけではない).民間も研究室のスタートアップを対象とした助成金を提供している.このように,新たなポジションへの応募は,より良い給与や研究環境の獲得につながる機会となる.

自身が所属する機関においてキャリア推進する方法もある.そのためには,他機関の上級職に応募し,第一候補者となる必要がある.これに成功した場合,他機関において業績が認められたことになり,所属機関において研究活動を続けることの権利を得る.もちろん,ドイツのシステムの全てが良いというわけではない.そもそも着任条件に関する交渉には時間がかかる.第一候補者さらには第二候補者との交渉が決裂した場合には,人事の空白期間が続くことになる.研究室の伝統などは維持されない.

現在の日本でも,研究者の流動性や多様性を評価する動きとなっている.日本農芸化学会の「FUTURE農芸化学100」記念事業では,初めて研究室を立ち上げた研究者に対しては,スタートアップのための環境整備費用を年齢にかかわらず応募可能とする支援制度を企画している.「研究者の流動性」を全世代において促進する助成制度や人事評価が,広がっていくことを期待する.