巻頭言

持続可能を実現する農芸化学

Enoch Y. Park

龍洙

静岡大学グリーン科学技術研究所

Published: 2023-12-01

この夏は,非常に厳しい暑さに見舞われた.国連事務総長も「地球温暖化は終わり,地球沸騰化の時代が到来した」と警鐘を鳴らしている.このような異常気象は人間の社会活動から発生する炭酸ガスが要因の一つだとして,カーボンニュートラルや脱炭素を掲げて持続可能な社会を目指す動きが活発になってきている.

その実現に向けて,私たち人類のすべきことが熱力学の法則に示されていると,筆者は思う.熱力学第一法則では,地球のエネルギー資源は一定で有限だとしている.このようなエネルギーを私たちは有効に使っていかなければならない.また熱力学第二法則によると,孤立系における宇宙の全エントロピーは増大していくという.持続可能性を高めるためには,全エントロピーの変化を低い状態に保つことである.使用可能なエネルギーは仕事に使えるが,一方で利用価値が低く仕事に使えないエネルギーが必ず発生する.この使用不可能エネルギーを減らすことでエントロピー効率を最大限に引き上げることができる.

熱力学的な面で優れたエントロピー効率を示すのは,生物ではないだろうか.植物は光合成によって炭酸ガスと水から分子構造の複雑な糖を合成できる.微生物は,エネルギーレベルが低い基質を用いて,常温・常圧でさまざまな物質を合成できる卓越した能力を備えている.生物は熱力学第二法則を無視しているかのように効率がよく,高いエントロピー効率を発揮している.

筆者は,この能力に注目してカイコをタンパク質生産宿主として開発したわけではないが,今考えてみると的を射ていると思う.学士課程で化学工学を学び,修士・博士課程では生物工学を専攻した.今から44年前のことだが,そこで発酵を学んだときには生物反応の素晴らしさを目の当たりにして,とても興奮したことを覚えている.その後,植物や動物細胞にも手を広げていった.しかしあるとき,微生物をタンパク質生産の宿主とすることは,エネルギー集約的なプロセスであることに気づき,代替宿主としてカイコに注目した.5千年も前から人類の歴史と共にしてきたほど,カイコの安全性は担保されており,またカイコ自体が立派なリアクターであるため,別途バイオリアクターを必要としない.タンパク質を口から吐き出せるほど高いタンパク質生産性をもつため,これほど持続可能な系はないと考えた.

ところが,カイコを宿主とするためには,さまざまな課題が立ちはだかった.従来,外来遺伝子をカイコへ導入する際にバキュロウイルスを用いるが,この作業は非常に煩雑であった.これを克服するため,ウイルスを使わない遺伝子導入法を5年以上かけて開発し,大腸菌での遺伝子操作と同じぐらい簡便なカイコ用バクミド技術を完成させた.この手法を用いて,最近はカイコをワクチン作製の宿主とすることを目指した研究を進めており,カイコは私たちの生活に再び貢献してくれると確信している.

36年前に東京大学の戸田 清先生,また名古屋大学の小林 猛先生の下で多くを教わりながら,今まで自分なりに農芸化学と工学を融合させた研究を行ってきた.今まで続けることができたのは,諸先輩の方々のお陰であり,感謝申し上げたい.農芸化学はエントロピー効率を上げる学問であり,持続可能な社会を導くリーダー的な分野だと思っている.今後,農芸化学分野の研究成果が世界を持続可能にしていくことを強く信じたい.