Kagaku to Seibutsu 62(1): 5-7 (2024)
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日本における母乳バンクとドナーミルク研究の現状
早産児に対する母乳の効果
Published: 2024-01-01
© 2024 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2024 公益社団法人日本農芸化学会
母乳は全ての児の成長や認知発達のために最適な栄養であり,WHOでは生後6か月まで完全母乳栄養を行うことを様々なエビデンスに基づいて提唱している.特に早産児において,母乳は多くの合併症を予防し,短期・長期予後の改善につながる“薬”としての役割もある.厚生労働省から発表された人口動態統計によると,日本における出生数は1980年には約158万人,2019年には約87万人と大きく減少している一方,出生体重1500 g未満の極低出生体重児は5972人から6467人,出生体重1000 g未満の超低出生体重児は1490人から2646人へと増加している.2015年に出生した超低出生体重児2782人を対象とした調査では,NICU入院中の死亡率は9.2%で,死亡原因は感染症が21.3%で最も多く,次いで壊死性腸炎・消化管穿孔が16.2%であった(1)1) T. Miyazawa, H. Arahori, S. Ohnishi, H. Shoji, A. Matsumoto, Y. S. Wada, N. Takahashi, T. Takayanagi, S. Toishi, K. Nagaya et al.: Pediatr. Int., 65, e15493 (2023)..消化管穿孔を伴う壊死性腸炎の死亡率は58%にのぼるという報告もあり(2)2) M. Sato, Y. Hamada, M. Kohno, K. Ise, K. Uchida, H. Ogata, H. Masuyama, Y. Morotomi, M. Yasufuku & M. Wada: Pediatr. Surg. Int., 33, 33 (2017).,こうした合併症への対策は必要と考えられる.早産児において,経腸栄養に占める母乳の割合が大きいほど,壊死性腸炎,慢性肺疾患,未熟児網膜症,遅発型敗血症の罹患率が低下し(3)3) J. Miller, E. Tonkin, R. A. Damarell, A. J. McPhee, M. Suganuma, H. Suganuma, P. F. Middleton, M. Makrides & C. T. Collins: Nutrients, 10, 707 (2018).,長期的にも将来の認知機能や運動機能の向上に関与することが報告されている(4)4) M. B. Belfort, P. J. Anderson, V. A. Nowak, K. J. Lee, C. Molesworth, D. K. Thompson, L. W. Doyle & T. E. Inder: J. Pediatr., 177, 133 (2016)..
早産児の合併症予防には,生後24時間以内に母乳による経腸栄養を開始することが望ましいが,早産の母親は母乳分泌量が少ない場合や,感染症,抗癌剤治療などの理由で母乳を与えられないケースも少なくない.日本を含む先進諸国の小児科学会では,早産児が母親の母乳を得られない場合,母乳バンクから提供されるドナーミルクの利用を推奨している.ドナーミルクとは,自分が必要とする以上に母乳が分泌されるドナーから寄付され,母乳バンクで低温殺菌処理,細菌検査を行い,無菌であることが証明された母乳である(図1図1■母乳バンクにおける母乳の低温殺菌処理の様子(左),提供するドナーミルク(右)).ドナーは医師または助産師の問診,血液検査によってスクリーニングされ,自宅で搾乳した母乳を冷凍宅配便で母乳バンクへ送付する.母乳バンクでは,受け取った冷凍母乳の破損や異物混入がないかを確認した後,低温殺菌処理,細菌検査,冷凍保管を行い,NICUの要請に応じて,早産・極低出生体重児にドナーミルクを無償で提供する.ドナーが使用する搾乳器,母乳パック,配送料などは母乳バンクが負担し,ドナーの経済的負担がない仕組みとなっている.世界における母乳バンクの歴史は古く,1909年にウィーンで世界初の母乳バンクが誕生し,現在は60か国以上で750か所以上の母乳バンクが稼働している.実際にドナーミルクを導入した病院では,導入前と比較して壊死性腸炎罹患率が有意に低下したとの報告が多数なされている(5, 6)5) A. Allana, K. Lo, M. Batool & I. Hand: Children (Basel), 9, 1639 (2022).6) A. Kantorowska, J. C. Wei, R. S. Cohen, R. A. Lawrence, J. B. Gould & H. C. Lee: Pediatrics, 137, e20153123 (2016)..日本では,2017年に初の公的な母乳バンクである一般社団法人日本母乳バンク協会が設立され,2019年に日本小児医療保健協議会栄養委員会から早産・極低出生体重児の経腸栄養に関する提言が出されるに至った(7)7) K. Mizuno, T. Shimizu, S. Ida, S. Ito, M. Inokuchi, T. Ohura, A. Okumura, M. Kawai, T. Kikuchi, M. Sakurai et al.: Pediatr. Int., 62, 124 (2020)..2021年には2か所目の母乳バンクである一般財団法人日本財団母乳バンクが設立され,2023年9月現在で90以上のNICUがドナーミルクを利用するなど,日本でも自母乳の次の選択として,人工乳ではなくドナーミルクが標準になりつつある.このように,日本は世界から実に100年以上遅れて母乳バンクの取り組みが開始したことになるが,その理由として,先進国の中でも周産期医療の技術が高いために周産期死亡率が最も低いこと,院内でもらい乳を使用する施設が多かったことなどが挙げられる.しかし母乳は感染性を有する体液であるため,低温殺菌処理を行わないもらい乳の使用は,感染対策の面から推奨されず,今後さらにドナーミルクの必要性が高まるものと考えられる.
母乳には成長に必須なタンパク質,脂質などの栄養素に加えて,分泌型IgA(sIgA)やラクトフェリンなどの免疫物質,白血球やマクロファージなどの細胞成分,リゾチーム,ヒトミルクオリゴ糖(HMO)など,人工乳にはない様々な成分が含まれている.これらの生理活性物質は,腸管粘膜での細菌やウイルスに対する感染防御作用,腸管内でのビフィズス菌増殖作用などを有し,壊死性腸炎の予防にも大きく関与している.HMOは母乳に含まれるオリゴ糖の総称で,ラクトース,脂質に次いで3番目に多い固形成分であり,ビフィズス因子としても知られる.これまでに250種類以上が発見され,壊死性腸炎を発症した児に与えていた母乳では,発症しなかった児に与えていた母乳よりもdisialyllacto-N-tetraose(DSLNT)濃度が有意に低いことや(8)8) C. A. Autran, B. P. Kellman, J. H. Kim, E. Asztalos, A. B. Blood, E. C. H. Spence, A. L. Patel, J. Hou, N. E. Lewis & L. Bode: Gut, 67, 1064 (2018).,壊死性腸炎モデルマウスにおける2′-fucosyllactose(2′FL)及び6′-sialyllactose(6′SL)の予防効果など(9)9) C. P. Sodhi, P. Wipf, Y. Yamaguchi, W. B. Fulton, M. Kovler, D. F. Nino, Q. Zhou, E. Banfield, A. D. Werts, M. R. Ladd et al.: Pediatr. Res., 89, 91 (2021).,特に重要なHMOの種類も最近になってわかってきた.またHMOは組成・量ともに低温殺菌処理の影響を受けないことから,ドナーミルクによる壊死性腸炎予防にも重要な役割を果たしていると推測される.母乳成分の濃度は母親の在胎週数,産後週数,年齢,BMI,食生活などにより変化するが,日本で母乳やドナーミルクの成分に関する大規模研究はこれまでなかった.筆者らは日本人のドナーミルク134検体を分析し,早産の母親のドナーミルクは正期産と比較してタンパク質濃度が高い一方,sIgA濃度が低いこと,産後週数の経過に伴ってタンパク質,sIgA,ラクトフェリン濃度が減少することを報告した(10)10) M. Tanaka, M. Date, K. Miura, M. Ito, N. Mizuno & K. Mizuno: Nutrients, 15, 2278 (2023)..日本の母乳バンクでは,提供するドナーミルク中の三大栄養素(タンパク質,脂質,炭水化物),微量栄養素(カルシウム,無機リン,亜鉛),免疫物質(sIgA,ラクトフェリン),HMO濃度を測定している.今後,それぞれの児の在胎週数,出生体重,疾患の有無などに応じた最適なドナーミルクを提供するシステムができれば,世界でも初の試みとなるだろう.
早産児はタンパク質,カルシウム,リンなどの必要量が多く,母乳やドナーミルクだけでは需要を満たすことができないため,母乳強化物質が用いられる.現在,日本で認可されているのは牛乳タンパク質を原材料とした母乳強化用粉末のみであり,タンパク質,カルシウム,リンなどが強化されているが,HMOなどの生理活性物質は含まれず,ミルクアレルギーや脂肪酸カルシウム結石形成などの懸念もある.欧米の一部では,母乳に限外濾過などの処理を行ってタンパク質を濃縮した人乳由来母乳強化物質を,母乳またはドナーミルクに加える完全人乳栄養(Exclusive Human Milk Diet; EHMD)が既に行われており,ウシ由来の強化物質を用いた場合よりも壊死性腸炎,慢性肺疾患,未熟児網膜症,遅発型敗血症の罹患率が有意に低下することがわかっている(11)11) A. B. Hair, A. M. Peluso, K. M. Hawthorne, J. Perez, D. P. Smith, J. Y. Khan, A. O’Donnell, R. J. Powers, M. L. Lee & S. A. Abrams: Breastfeed. Med., 11, 70 (2016)..日本でも2021年から2023年にかけて,人乳由来母乳強化物質を用いた臨床治験が初めて実施され,一日も早いEHMDの実現が望まれる.現在用いられている人乳由来母乳強化物質は液体製品のみだが,母乳を凍結乾燥して粉末にすることで,常温で長期保存できる,効率よく母乳成分を増加できるなどの利点がある.ただし大量の母乳粉末を添加すると浸透圧上昇などの問題があるため,母乳を成分調整した後に凍結乾燥するなどの対策が必要と考えられ,筆者らのグループでも研究を行っている.
日本は世界の中でも周産期死亡率が低いために,早産児の割合が突出して高い.医療で助かった命が栄養管理の過程で失われることのないよう,母乳が得られない早産児に対しては,母乳バンクから提供されるドナーミルクを効果的に使用するべきである.日本において,母乳バンクの認知度や受け入れ態勢はまだ十分とはいえず,ドナーミルクの利用が進む中で課題も見えてきた.一つ目は,ドナーミルク使用施設(NICU)の不足である.アメリカでは7割以上のNICUがドナーミルクを使用する一方,日本では極低出生体重児を対象とするNICUのうち,ドナーミルクを導入しているのは2023年9月現在で40~50%程度である.二つ目は,ドナーの問診や血液検査を行う登録施設(病院)の不足である.現在は16都道府県に32の登録施設しかなく,施設から遠方に住むドナー希望者は登録を断念するケースもある.使用施設や登録施設を増やすためには,病院の手続き面,費用面などのハードルを下げる必要があり,母乳バンクでも様々な対策を行っている.また,献血等と異なり,母乳バンクのドナーは常に新しい希望者を募る必要があるため,認知度向上も重要な課題である.母乳バンクのさらなる普及のため,今後もドナーミルクの有益性,安全性に関するデータを蓄積し,広く情報提供が行われることが重要である.母乳研究は未知の領域が多い研究分野であり,筆者らのグループでは本稿で紹介した内容以外にも,次世代シーケンサーを用いた母乳中の細菌プロファイル解析,電子レンジ処理による経母乳サイトメガロウイルス感染予防など,児の疾病予防を目指した様々な研究を行っている.今後,母乳研究に興味を抱く研究者が増え,日本におけるこの研究分野がより発展することを期待したい.
Reference
5) A. Allana, K. Lo, M. Batool & I. Hand: Children (Basel), 9, 1639 (2022).
10) M. Tanaka, M. Date, K. Miura, M. Ito, N. Mizuno & K. Mizuno: Nutrients, 15, 2278 (2023).