海外だより

コロナ禍での英国留学
ようやくつかんだ海外留学のチャンスは未曾有の状況下

Masaru Enomoto

榎本

東北大学大学院農学研究科農芸化学専攻

Published: 2024-01-01

筆者は,2021年11月末から2022年6月末まで英国オックスフォード大学化学科のDarren J. Dixon教授の研究室にて,国際共同研究強化(A)の事業により在外研究の機会を得ました.コロナ禍の真っ只中に,留学適齢期を過ぎた准教授が家族(妻と娘2人(当時4歳と1歳))を連れて渡航という,あまり一般的ではないケースでの海外留学だったためか,本稿を執筆するお声がけをいただきました.このような記事の場合,外国と日本の研究や文化の比較を主眼とするケースが多いと思いますが,本稿ではそれらだけでなく,40歳目前の准教授が留学を決意するまでの経緯や,コロナ禍で海外渡航が実現するまでの心境,私が感じたコロナ禍における英国の生活・研究環境などを,私の留学中に起こった世界的な大事件である,ロシアによるウクライナ侵攻にも触れながら,述べていきたいと思います.

留学に至るまで

私は,東北大学農学部の桑原重文先生のご指導の下,学部4年生から博士後期課程まで生物活性天然有機化合物(天然物)の合成研究に従事し,学位を取得後すぐに桑原研究室の助教として採用していただきました.それから3年間,助教として働かせていただいた後に,産総研での3年間の勤務を経て,准教授として再び桑原研究室に着任いたしました.この間,そして准教授に着任後も,「いつかは海外で研究・生活をしてみたい」と思いながらも,目の前の仕事に追われる忙しさや,(おそらく多くの人が抱くであろう)海外生活への漠然とした不安に起因する躊躇があり,気がつくと自分の年齢は40歳に近づき,桑原先生のご退職も近づいていました.昨今は多くの大学がそうしているのだと思いますが,私が所属する東北大学においても若手教員の海外渡航を奨励しており,毎年申請の時期が近づくと国際共同研究強化(A)や学内の海外派遣プログラムへの応募を勧める案内が届きます.それまでは自分の中で何かと理由をつけて「まだ…」と考えていたものの,いつの間にか先延ばしにできない時期に差しかかっていることに気がつきました.「あの時,行こうと思えば行けたのに,行かなかった」と後々後悔したくないという思いもあって,これらへの応募を真剣に考えるようになりました.こうして桑原先生に留学の希望をお伝えしたのは,2019年の夏頃だったと記憶しております.2021年3月に農芸化学会大会が仙台で開催されることや,所属研究室の事情を考慮して,2021年の夏頃に渡航することを目指して準備に取りかかりました.そして,「渡航に向けて,来年は国際共同研究強化(A)に応募しよう」と考えていた矢先,新型コロナウイルスの感染拡大が発生しました.

コロナ禍での渡航準備

2020年に入ると国内外の状況は一気に深刻化し,WHOがパンデミックを宣言した3月頃には,多くの国が外国からの入国を厳しく制限するようになりました(1)1) NHK: 新型コロナタイムライン,https://www3.nhk.or.jp/news/special/covid19-timeline/, 2020..このような事態になり大きな不安を覚えましたが,「渡航する1年後には状況は好転するだろう」と楽観的に考えるように努めました.この頃から受け入れ先の研究室を探し始め,7月にオックスフォード大学化学科のDarren J. Dixon教授(以下,Darrenと記載させていただきます)に受け入れを申入れました(写真1写真1■Darren(左)と筆者(右)).Darrenの友人である清田洋正先生(岡山大学)に事前に取り継いでいただいていたおかげで,受け入れ自体は“yes”でしたが,メールに先方の状況は“pretty severe”であり,“I hope that it will be possible”とも書かれていました.先行きは不透明ではあるものの,受け入れ先の研究室を確保できたということで,その夏に国際共同研究強化(A)に応募しました.その半年後の2021年2月半ばに,大変幸いなことに交付内定の通知をいただき,3月の農芸化学会2021年度大会(オンライン開催)終了後,本格的に渡航に向けて動き出しました.2021年の夏頃になると英国内における規制は一時期に比べるとだいぶ緩和されましたが,それでも英国入国のための手続きは平時と比べると煩雑なものでした.一例を挙げますと,当初は英国入国後10日間が経過するまで「自主隔離」を求められていたため,対応できる宿泊先を探して確保もしました.幸いにも,10月初旬から適用されたルールによりワクチン2回接種者は10日間の「自主隔離」を行う必要がなくなりましたが,ワクチン接種証明書(英語付記)の準備や到着後2日目に検査して提出する抗原抗体検査キットの手配などをする必要がありました.そして,11月初めにようやくビザを取得できたにもかかわらず,出発数日前になって今度はオミクロン株による感染が世界的に拡大し始めました.国際共同研究強化(A)の事業では半年以上の渡航期間が必須であることに加え,研究室の事情を考慮すると渡航開始をこれ以上先送りすることは避けたい状況でした.「ここまで漕ぎ着けたので何とかして渡航したい」と願うような気持ちで過ごし,11月29日に家族とともに日本を出発しました.羽田発ヒースロー行きの飛行機は閑散としており,キャビンには数えられる程度の乗客しかおりませんでした(後にも先にもあれほど空いている国際線に乗ることはないだろうと思いますし,そうあって欲しいです).オミクロン株の流行をうけて英国政府が再度水際対策を強化したのは,私たちが入国した12時間後のことでした.

写真1■Darren(左)と筆者(右)

オックスフォード大学とオックスフォードの街並みについて

オックスフォード大学は主要な世界大学ランキングで常にトップクラスに位置する言わずと知れた著名な大学であるにも関わらず,英国内のどこにあるのかについて意外と知らない人が多いのではないかと思います.オックスフォード大学はロンドンから北西に100 kmほど離れた内陸にある人口15万人ほどの学園都市,オックスフォードにある大学です.オックスフォードは街と大学が渾然一体となっていることから「大学の中に街がある」と形容されます(2)2) 地球の歩き方編集室:“地球の歩き方 イギリス 2019〜2020”,ダイヤモンド・ビッグ社,2019, p. 317..ちなみに,ライバル関係にあるケンブリッジは「街の中に大学がある」と表現されるそうです(3)3) 地球の歩き方編集室:“地球の歩き方 ロンドン 2020〜2021”,ダイヤモンド・ビッグ社,2020, p. 374..街並みは非常に美しく(写真2写真2■オックスフォードの街並み(左)と自宅2階からの眺め(右)左),数百年前に建てられた壮麗な建造物が立ち並び,カレッジ(学生や教員が所属する学寮)の中に入ると中世のヨーロッパに迷い込んだ感覚になります.このような街の雰囲気から,カレッジのいくつかは「ハリーポッター」シリーズのロケに使用されており,私が滞在していた期間においても,路地を交通規制して映画かテレビドラマの撮影が行われている場面をしばしば目にしました.大学が所有するアシュモリアン博物館や自然史博物館も質・量ともに大学施設とは思えないほど充実した内容で,大学そのものが観光資源になっている印象です.その一方で,オックスフォードの中心部を離れると自然が豊かでリスやシカを見かけることもありました.私たち家族の住居は勤務先(市街地)から1.5 kmほど離れた住宅街の中にあり,英国でよく見かける“semi-detached”という,1つの家屋を左右対称に半分に割って2世帯が住むタイプの家でした.小さな前庭と細長い裏庭があり,3ベッドルーム,家具無し(冷蔵庫,洗濯機,ガスコンロくらいは付いている)で1,600ポンド/月.日本円に換算すると目が眩む値段ですが,家族4人で住むならばオックスフォードでは標準的か,むしろお手頃な家賃でした.私たちの家も含めて一帯は1930年代に作られた住宅街とのことでしたが(写真2写真2■オックスフォードの街並み(左)と自宅2階からの眺め(右)右),リフォームが行き届いていて快適に過ごすことができました.治安は良好で,深夜に犬の散歩をしている人を何度も見かけるほどでした.小さな子どもを連れて行ったからでしょうか,ご近所の方々からは,町内のWhatsAppに入れていただいたり,アフタヌーンティーやサンデーロースト(日曜日の昼食に食べる伝統的な英国の食事)に招待していただいたり,イチゴの苗や野菜を分けていただいたりと本当に親切にしていただきました.