巻頭言

「ナノを見る巨大な顕微鏡」が農芸化学にもたらすもの

Masahiko Harata

原田 昌彦

東北大学大学院農学研究科

東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センター

Published: 2024-04-01

この巻頭言が掲載となる2024年4月に,次世代放射光施設“NanoTerasu(ナノテラス)”が稼働します(整備・運営主体は,量子科学技術研究開発機構と光科学イノベーションセンター).NanoTerasuは,電子を光速に近い速度まで加速し,その電子を磁場で曲げて明るい放射光(太陽光の10億倍)を取り出す施設で,東京ドームほどの巨大な施設です.NanoTerasuという施設の愛称は,「光」を司る日本神話の天照大御神(あまてらすおおみかみ)をリスペクトしたものです.この明るい放射光(主にX線領域)を利用してモノの構造や機能を解析するNanoTerasuは,「ナノを見る巨大な顕微鏡」ともよばれます.世界を見渡すと約50の放射光施設が稼働しており,国内でもっとも大きくかつ有名な施設はSPring-8(スプリング・エイト)です.SPring-8がタンパク質の結晶構造解析に大きく貢献していることをご存知の方も多いと思いますが,全体的には放射光施設は理工系での活用が中心で,農芸化学領域での活用がイメージできない方が多いのではないでしょうか? しかし,NanoTerasuはそのような従来の放射光施設のイメージを塗り替え,農芸化学の領域で大きく貢献することが期待されています.NanoTerasuの放射光の大きな特徴は,高輝度の軟X線を利用できることで,その輝度はSPring-8の約100倍にも達します.軟X線は,硬X線に比べて波長が長くエネルギーが低いので,炭素,窒素,酸素,リンなどの軽元素とも相互作用して,その存在や状態を可視化・解析することができます.またNanoTerasuが提供するコヒーレントな(波のそろった)放射光X線は,密度差の小さい物質の内部構造を,ナノからミクロの階層で可視化することを可能にします.生体や食品はこのような軽元素を主要構成元素として,複雑な階層構造によって形成されていることから,その構造や機能の解析にNanoTerasuが活躍することが期待されます.もう一つのNanoTerasuの特徴は,「農芸化学の現場」に近いことです.NanoTerasuは,東北大学キャンパスに立地していますが,その中でも東北大学農学研究科に最も近く位置しています.したがって,植物圃場,動物実験施設,培養装置,顕微鏡や様々な化学測定装置とも組み合わせたNanoTerasuの活用が可能です.さらに,農畜水産物の生産地,および消費地(仙台市内まで地下鉄で数分)に近接してNanoTerasuが位置することも,大きな特徴です.このようなNanoTerasuの特徴や立地により,生命科学のみならず理工系分野も巻き込んだ学術連携や,多くの企業や生産者が参画する産学連携・地域連携が形成されることも期待されています.17世紀にレーウェンフックが自作の顕微鏡で初めて微生物を観察・記録したことが,その後の生命科学(農芸化学含む)の発展につながりました.2024年に稼働する「ナノを見る巨大な顕微鏡」は,農芸化学の領域にも新しい解析手法や連携ネットワークをもたらすことが期待されます.私自身も農芸化学の未来への期待を持ってこの新しい分野に挑戦中ですが,農芸化学領域の研究者や企業関係者の皆様もぜひ,このNanoTerasuの活用をご検討ください.