追悼

別府輝彦先生を偲ぶ

Yasuo Ohnishi

大西 康夫

東京大学大学院農学生命科学研究科

Published: 2024-04-01

別府輝彦先生(2022年11月24日 撮影 相澤 實)

日本農芸化学会第50代会長であった東京大学名誉教授・日本学士院会員の別府輝彦先生が2023年11月10日,89歳で逝去された.2022年11月3日に栄えある文化勲章を受章されてから一年余,日本農芸化学会2023年度大会(2023年3月,広島)では特別講演をお引き受けになるなど元気に活躍されていただけに,別府先生の早すぎるご逝去は誠に残念で哀惜の念に堪えない.ここに深く哀悼の意を表し,別府先生を偲んで感謝の気持ちを綴らせていただきたい.なお,別府先生のご経歴,ご業績に関しては,『化学と生物』第61巻第1号(2023年1月1日発行)「別府輝彦先生の文化勲章受章を祝して」に記させていただいたので,ここでは別府先生との思い出を中心に述べることをお許しいただきたい.

わたしが別府先生と出会ったのは,学部3年生で受けた講義『微生物学I』であった.SNSどころかインターネットもない時代であったが,別府先生が高名な微生物学者であるという噂はあっという間に学生の間に広まっていた.別府先生の講義は黒板に板書しながら解説を加えていくという当時では一般的なスタイルだったが,別府先生が黒板に書かれるイラストがとても魅力的であったことを記憶している.どういうわけか,ツボカビの生活環の絵とウーズの3ドメイン説の系統樹がわたしの記憶に深く残っているのだが,後者に関しては,ずっと後になって気づいたことがある.ウーズが3ドメイン説を初めて発表したのは1977年の論文であるが,この論文には別府先生が板書された系統樹は載っていない.PNAS誌の1990年6月号において,この系統樹が掲載された論文が発表されているのだが,わたしが講義を受けたのは1989年の夏学期であった.おそらく論文発表前に国際学会等で見られた図を使われたのだと想像するが,最新の情報を講義に取り入れられていたのは間違いない.出張先から,朝,東京弥生のキャンパスに戻って『微生物学I』を講義し,すぐに出張先にとんぼ返りされたこともあると伺ったのは,わたしが研究室に入ってから数年以上経った頃であった.別府先生がいかに講義を大切にされていたか,そして,微生物学の面白さを広く学生に伝えようとされていたかは,講義を担当するようになった今,わたしの心の拠り所になっている.

4年生での研究室配属決めでは,迷わず別府先生の研究室を志望し,晴れて醗酵学研究室の一員になることができた.わたしが研究室に入ったのは,別府先生の定年の4年前であり,東大別府研の円熟期を過ごさせていただいた.当時,10社を超える民間企業から受託研究員として企業研究者が研究室に参加しており,大変賑やかであった.別府先生が「まさにプロの仕事だと感心しました.」と言って研究員の方を励まされていたことが鮮明に思い出される.別府先生のゼミでのコメントからは,先生の研究哲学の多くを学ばせていただいた.先生は常にゼミに参加している全員のことを意識され,発表者の説明不足を補うようなコメントをされていた.未熟な学生だったわたしには,発表した先輩学生の話はよくわからなかったが,別府先生の質問やコメントを聞いて,少しは中身がわかったような気になったことが数多くあった.修士課程に入って,初めてゼミで発表したときには,すぐ目の前に座られている別府先生の顔を見て,とても緊張した.当時,研究室の助手であった吉田稔先生(第62代日本農芸化学会会長)や西山真先生(日本農芸化学会会長)から「別府先生は少し前からずいぶん優しくなられたが,昔はもっと怖かったんだよ.」と言われたことがあったが,ゼミのときの別府先生の鋭い眼光は企業からきた研究員の間でも話題になっていた.

修士時代のゼミの発表で1つ忘れられない思い出がある.修士論文テーマに取り組み始めたばかりの頃,前任者の実験結果に基づいてこういう実験をしてみたらどうかと別府先生から直々にアドバイスをいただいたことがあった.わたしはすぐに実験に取りかかった.前任者の実験結果を再現することはできたが,追加したコントロール実験により,「原因はよくわからないがSDS-PAGE上のバンドがある実験操作により少し小さい位置に出てしまう」ということがわかった.前任者の結果はいわゆるアーティファクトだったのだ.これを発表したところ,別府先生は皆の前で「間違った実験を提案して,迷惑をかけてしまったね.」という内容のコメントをされた.わたしは恐縮するばかりであったが,修士課程に進学して間もない学生に対しても,1人の研究者として向き合っていただいていると感じてとても嬉しかった.同時に,今度はpositiveなデータで先生を驚かしたいと強く思った.当時,多くの学生が別府先生に「それは面白いですね.」と言ってもらうことを楽しみの1つにしていた.

別府先生は1994年3月,定年退職により東京大学を退かれ,直ちに日本大学農獣医学部(1996年に生物資源科学部に改称)に教授として着任された.醗酵学研究室の教授は皆さんそうなのだと,ずいぶん後になってから聞かされたのであるが,退職後は後任の先生による研究室運営の妨げになってはいけないとの配慮から,別府先生は意識的に研究室には一切足を踏み入れないようにされていたようだった.別府先生は,日大着任の1年後,博士号を取得したばかりの上田賢志先生(現 日大教授)を助手として迎え入れられて,日大別府研が始動した.数多くの学生を率いられた別府先生は,これまでと同様,とても楽しそうに研究に取り組まれておられた.学会等でお会いするたびに,日大の学生さんたちの様子を含めて,いろいろなお話を聞かせていただいた.