Kagaku to Seibutsu 62(6): 261 (2024)
巻頭言
「コントロールできないもの」
Published: 2024-06-01
© 2024 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2024 公益社団法人日本農芸化学会
昭和・平成の時代,「正解はひとつ」を目指す日本の画一的な教育では,「世界的にずば抜けた人材は育ちにくい」と言われてきた.その真偽はともかく,ドジャースの大谷翔平選手は日本が産んだ「ずば抜けた人材」であることは間違いない.嬉しいことに,近年このような「ずば抜けた人材」が複数のスポーツや芸術・文化の領域にも増えてきた.筆者が知るごく限られた範囲でも,サッカーの遠藤 航選手(リヴァプール),バスケットの八村 塁選手(レイカーズ),将棋の藤井聡太さん,囲碁の仲邑 菫さん,ピアニスト・作曲家・編曲家の角野隼斗さんなど,いずれも令和の異才である.農芸化学では,このような異才をどの様に育てあげるのだろうか? それとも,放っておけば勝手に育つのだろうか?
(筆者が所属する専攻や分野から,異才が出てくることを密かに望んではいるが)非才の筆者には,異才の育て方は皆目見当がつかない.しかしながら,大きく育って欲しい若者たちに一言愚見を述べるとしたら,それは「コントロールできないもの」がキーワードになるかもしれない.
カエサルの名言「人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない」を持ち出すまでもなく,ヒトは論理・計算で予測できる世界すなわちコントロールしやすいもの(世界)を見ることが好きで,逆にコントロールできないもの(世界)を排除する傾向にある.類似の例として,仮説や信念を検証する場合それを支持する情報ばかり集め,反証する情報を無視または集めない傾向があるとされ,心理学ではこれを確証バイアスと言うようだ.自らを振り返っても,納得するのは筆者だけではあるまい.脳がこのようなクセを持つ以上,ヒトは幅広く情報を集めることと違う角度から考えることを意識せねばならない.そのためには,「コントロールできないもの」との出会いが極めて有効だと思う.
私事で恐縮だが,筆者らはイネ(ジャポニカ品種 日本晴)から非天然アミノ酸の(3R)-β-tyrosineを植物から初めて同定し,その生合成遺伝子を特定した.本研究は幾つかの幸運が重なった結果であるが,最大の幸運は京大農学研究科農学専攻のOY先生との出会いにある.そもそも何の接点もなかったOY先生と筆者が予算獲得会議で顔を合わせて以来,2人とも京阪電車で通勤していたため,電車で他愛のない研究の話をする間柄になった.この会話から,インディカ品種カサラスには(3R)-β-tyrosineがないことを確認し,その後日本晴とカサラスとの染色体断片置換系統の利用を通して,上記の成果を発表した.予算獲得の会議は負担も大きく,多くは空振りに終わる.しかし,筆者が経験した「コントロールできない出会い」を通して得たものは本当に刺激的で面白く,有り難かった.
その一方で,ネガティブな意味で「コントロールできないもの(理不尽なもの)」は社会には多く存在し,大きなストレスになる.筆者の周りは,95%が理不尽でできていると思えるほどだ.したがって,「コントロールできないもの」に対する耐性(鈍感さ)も若者に身につけて欲しい技だ.今の学生は優秀で,色んなことを知っており,データ処理もうまい.しかし,効率の良さを追求しすぎてはいないか? 眼の前のきれいなデータより,道理に合わない混沌の中にこそ本当に面白い研究があるのではないか? この混沌に耐えられる良い意味での鈍感さは,愉快な研究を展開するために必要不可欠な場合も多いのでは….
以上,「コントロールできないもの」の必要性とそれに対する耐性について,農芸化学の次の100年を担う若い世代に投げかけてみた.「コントロールできないもの」と上手く付き合って,楽しんで下さい.