Kagaku to Seibutsu 62(6): 262-264 (2024)
今日の話題
フードシステムにおける光センシング
光がむすぶスマートフードシステム
Published: 2024-06-01
© 2024 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2024 公益社団法人日本農芸化学会
ライフスタイルや生活様式の変化などにより食の多様化が進んでいる.また,フードサプライチェーンの各ステージにおける安全率を高めるため,フードロスも深刻な問題となっている.2022年11月にシンガポールで開催された21st World Congress of Food Science & Technologyと2023年6月にナント(フランス)で開催された14th of International Congress on Engineering and Foodの2つの食品に関する代表的な国際会議の共通点としては,食料・食品生産における「持続性(sustainability)」に重点がおかれ,そのためにはフードサプライチェーンに寄与するデータサイエンスの必要性が議論の中心となった.
近年,食料・食品生産をフードシステム(Food System)(1)1) European Commission: Food Systems–Definition, Concepts and Application for the UN Food Systems Summit, https://knowledge4policy.ec.europa.eu/publication/food-systems-%E2%80%93-definition-concepts-application-un-food-systems-summit_en, 2024.の一部としてとらえる考え方が一般化されつつある.フードシステムの概念には,食料・食品生産に関係するあらゆる側面と環境,健康,社会への影響が含まれるとともに,フードロスや廃棄物に関わる人々やその活動も包括する.また,このようなフードシステムにサイバーフィジカルシステム(CPS: Cyber Physical System)を組み込んだデータ駆動型スマートフードシステムの研究が進められている(2)2) C. Brewster, I. Roussaki, N. Kalatzis, K. Doolin & K. Ellis: IEEE Commun. Mag., 55, 26 (2017)..スマートフードシステムとは,ICTなどの先端技術を活用して食料生産をおこなう「CPSを備えたフードチェーン」とも呼ばれ,消費者心理分析やデジタルマーケティングが重要な役割を果たす.
一方,食品加工原料となる農作物等の遺伝子の読み解きが高速化し,食品原料となる農作物等の品質情報と関連づけた高速の表現型計測が重要になっている.また,食品の多機能化が強く求められる傾向にあり,フードミクス(Foodomics)に基づいた視点が必要となっている.つまり,単なる成分分析ではなく,食品の網羅的な意味合いを有する表現型をリアルタイムで把握することが重要となる.フードシステムの現場では「食べ物」を取り扱うため,その現場計測においてはケミカルフリーな手法の導入が求められることが多い.また,現場計測においては,高度なテクニックや専門的な知識を必要とせず,迅速かつ簡易な計測手法であるとともに,ICTとの親和性が重要となる.そこで,光センシング技術は,データ駆動型スマートフードシステムにおいて有効な手段と考えられる.光センシングにより得られる情報(スペクトル情報や画像情報など)には,原理的にそのエネルギーの光と作用する物質間の相互作用に関する情報が含まれている.つまり,個々の成分に関する情報に加えて,複雑系としての成分間の相互作用に関する情報を取得できる.いいかえれば,光センシングデータを記録することは,生物体や食品試料をそのままの状態でデジタルデータとして保存することにほぼ等しい.このことは,食品や農産物の品質情報把握に関し,大きなアドバンテージとなる.
赤外線の吸収は主として分子振動あるいは格子振動と関係するため,食品や農産物の主成分である水や有機物質による吸収が強く,食品の計測に適しているものと考えられる.生物体を起点としている食品などには多くの水分が含まれているが,近年,普及が進んでいる全反射測定法(ATR法,attenuated total reflection)を用いることにより,比較的手軽に湿潤固体や液体の赤外吸収スペクトルを測定できるようになった.さらに,比較的安価で小型の赤外分光計測器の普及により,赤外分光法の食品生産現場への応用例が増えている.
食品の甘味成分であり,多糖類の最小構成糖となる単糖水溶液スペクトルから水のスペクトルを差し引いて得られた単糖のスペクトルは,1200~950 cm−1の領域でエーテルCO伸縮とアルコールC-OH伸縮の吸収帯が複雑に重なり合っているが,スペクトルパターンが単糖の種類によって大きく異なり,分子中に含まれる官能基が同じであっても赤外吸収スペクトルパターンは物質に固有となる.一方,食品原料となる農産物などの生体内における塩類は細胞内浸透圧の調整等の機能を持ち,単・二糖類に代表される糖類とともに代謝に関連する重要な物質である.たとえば,グルコース-NaCl水溶液の赤外吸収スペクトルからNaCl水溶液のスペクトルを差し引いて得られたグルコーススペクトルは,NaCl濃度によりそのピーク波数や強度が影響を受ける(3)3) M. Kanou, T. Kameoka, K. Suehara & A. Hashimoto: Biosci. Biotechnol. Biochem., 81, 735 (2017)..グルコーススペクトルに及ぼす他のアルカリ金属塩化物の濃度の影響についてもNaClと同様な傾向を示す.つまり,グルコースの赤外吸収スペクトルは,その溶媒である塩水溶液の状況により変化するものといえる.
また,食品中や農産物中には多くのイオン解離性物質が存在している.イオン解離性物質は,その水溶液中においてpHや温度などによりイオン解離平衡が変化し,同一成分であるにも関わらず異なるイオン価の成分の混合物として存在する.たとえば,クエン酸(CA)は3価の酸であり,CA, CA−,CA2−,およびCA3−の4つの解離成分が存在するため,CA濃度が一定であってもその赤外吸収スペクトルパターンは,pHの変化に伴う解離平衡状態の違い(解離成分の濃度比の違い)を反映して変化する.また,温度によってもその解離定数が変化するため,イオン解離性物質のスペクトルは温度によっても変化する(4)4) 橋本 篤,亀岡孝治,末原憲一郎:日本赤外線学会誌,28,6 (2019)..
このように,食品成分の赤外吸収スペクトルパターンは,その物質に固有のパターンを有する(指紋情報)こと,食品成分の溶媒の影響をうけること,およびそのpHや温度の影響を受けることになる.いいかえれば,赤外分光法を援用することにより,原理的には食品成分の味と関連した情報取得が可能と考えられる.そこで,食品の官能値の予測を試みた研究例(5)5) 橋本 篤:日本食品工学会誌,23,115 (2022).を示す.外観と香りが重視され,世界各地において生産された赤ワインに関して,主にエタノール,有機酸類,糖類の吸収帯の赤外吸収特性のワイン間における差異に基づきテイスターによる官能評価値予測を試みたところ,ワインの液体成分の赤外分光情報とともに蒸散成分の赤外分光情報を考慮することにより,官能値予測に関する決定係数が高くなった.つまり,ワインの味に関係する情報とともにその香りに関係する蒸散成分の情報を考慮することが重要であり,液体と気体の両方の情報を同一原理で取得できるのが分光計測法の特徴と考えられた.また,赤ワインの外観情報(色彩情報)を加味することにより,その予測精度が高くなることも示されている.
光センシング手法は,液体や固体のみならず気体の情報を取得でき,食品に求められる機能を包括的に把握できるポテンシャルを有している.また,蛍光X線分光情報,赤外分光情報および色彩画像情報を解析することにより,日本産ゴマの識別が可能であることが示されている(6)6) 九鬼産業株式会社,国立大学法人三重大学.ゴマの産地判別装置及びゴマの産地判別方法.特許6679053(2020)..つまり,マルチバンド光センシング情報を俯瞰的に解析することにより,現場対応型の産地判別技術としての展開が考えられる.さらに,先端的な光センシング技術(7)7) A. Hashimoto, K. Suehara & T. Kameoka: Sensors, 24, 1160 (2024).の実用化が進めば,食品内部の動的な特徴量の理解が進むものと期待される.
Reference
1) European Commission: Food Systems–Definition, Concepts and Application for the UN Food Systems Summit, https://knowledge4policy.ec.europa.eu/publication/food-systems-%E2%80%93-definition-concepts-application-un-food-systems-summit_en, 2024.
2) C. Brewster, I. Roussaki, N. Kalatzis, K. Doolin & K. Ellis: IEEE Commun. Mag., 55, 26 (2017).
3) M. Kanou, T. Kameoka, K. Suehara & A. Hashimoto: Biosci. Biotechnol. Biochem., 81, 735 (2017).
4) 橋本 篤,亀岡孝治,末原憲一郎:日本赤外線学会誌,28,6 (2019).
5) 橋本 篤:日本食品工学会誌,23,115 (2022).
6) 九鬼産業株式会社,国立大学法人三重大学.ゴマの産地判別装置及びゴマの産地判別方法.特許6679053(2020).
7) A. Hashimoto, K. Suehara & T. Kameoka: Sensors, 24, 1160 (2024).