Kagaku to Seibutsu 62(6): 265-267 (2024)
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ゲノム編集技術による水産物育種の最前線
最近の動向と展望について
Published: 2024-06-01
© 2024 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2024 公益社団法人日本農芸化学会
健康志向の高まりや人口増加などを背景として魚食ニーズが世界的に増大している.さらに近年はタンパク質供給量の不足(プロテインクライシス)が危惧されていることから安定供給の可能な養殖業が注目されている.特に日本はマグロやウナギに代表されるように高度な養殖技術を有しており,こうした課題解決に向けて一翼を担ってきた.しかし1990年代以降,国内水産業は生産コストの高騰や若者の魚食離れなどによって衰退の一途を辿っている.こうした危機的状況の打開策として注目を集めているのがゲノム編集技術である.同技術は養殖に有用な形質(高成長など)を個体に付与する,いわゆる「育種」に活用できる.特に水産物は畜産物や農作物に比べて育種の歴史が極めて浅く,未だ遺伝的改良の余地を大きく残している.したがって同技術によって付加価値の高い新品種を世界に先駆けて作出すれば,国内水産業の活性化が期待できる.国内において同技術による水産物の育種はもはや社会実装のフェーズに突入しており,すでに3つのゲノム編集魚(後述)が農林水産省および厚生労働省に届け出られている.このように行政手続を経た上でゲノム編集魚の流通が成された国は現時点で日本のみである.一方,近年は他国においても同技術による品種改良が急速に進められ,多数の研究成果が次々と発表されている.そこで本稿では筆者自身が取り組んできた研究内容を含め,これまでに作出されたゲノム編集水産物をいくつか紹介したい.
育種のターゲットとなる有用形質の典型例として生産性の向上が挙げられる.特にミオスタチン遺伝子(mstn)のノックアウト(KO)は可食部の生産性を高めることで有名である.mstnは骨格筋の成長を抑制する機能を担うため,その機能をゲノム編集技術などによって欠損すれば肉厚化を促すことができる.mstnの変異が肉厚化をもたらす現象自体はゲノム編集技術が登場する以前にウシやマウスなどの哺乳類においてすでに発見されていたが,当時は魚類の遺伝子を改変するための技術が十分に発達していなかった.それゆえ魚類では多大な時間と労力を要する別の技法(TILLING法など)を用いてメダカ・トラフグの2魚種においてのみmstn変異体が作出される程度に留まっていた(1)1) M. Kuroyanagi, T. Katayama, T. Imai, Y. Yamamoto, S. Chisada, Y. Yoshiura, T. Ushijima, T. Matsushita, M. Fujita, A. Nozawa et al.: BMC Genomics, 14, 786 (2013)..ゲノム編集技術が開発されたのちはこの状況が一変し,食用魚を含む幅広い魚種において遺伝子改変を迅速かつ簡便に行うことが可能となった.現在ではマダイ・ヒラメ・コイ・ドジョウなどを含む多数の魚種でmstn変異体が作出されており,いずれも哺乳類同様に肉厚化を呈することが明らかになっている(2)2) A. Mokrani & S. Liu: Aquaculture, 579, 740279 (2024)..特にマダイのmstn変異体は非編集魚に対して飼料効率が14%改善され,より少量の飼料で多くの可食部が得られることが証明されている(3)3) M. Ohama, Y. Washio, K. Kishimoto, M. Kinoshita & K. Kato: Aquaculture, 529, 735672 (2020)..このほか食欲抑制ホルモンのレプチンに対する受容体(lepr)の機能を欠損させたゲノム編集魚も作出されている.lepr遺伝子をKOされた個体は食欲が旺盛となり,実際にトラフグでは約2倍の速度で成長させることに成功している(4)4) 京都大学広報誌『紅萠』:京大発,「肉厚マダイ」参上,https://www.kyoto-u.ac.jp/kurenai/201809/taidan/, 2018..作出された可食部増量マダイ(mstn変異体)・高成長トラフグ(lepr変異体)・高成長ヒラメ(lepr変異体)の計3品種はすでに国内において流通に関する行政手続を経ており(5, 6)5) 農林水産省:ゲノム編集技術の利用により得られた生物の情報提供の手続,https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/carta/tetuduki/nbt_tetuzuki.html6) 厚生労働省:ゲノム編集技術応用食品及び添加物の食品衛生上の取扱要領に基づき届出された食品及び添加物一覧,https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/bio/genomed/newpage_00010.html,生産コストを削減できる優良品種としての活用が今後期待されている.
続いて筆者自身が注力してきた研究内容について紹介する.筆者はこれまでに旨味成分イノシン酸(IMP)を豊富に含む「美味しい」魚の作出を目的として研究に取り組んできた.すなわちゲノム編集技術を用いたIMP代謝関連遺伝子のKOによってIMP分解を抑制し,新たな旨味保持法を確立することを目指してきた.本研究に着手した当初,すでに数種の魚類において筋肉や肝臓などの破砕液中からIMP分解活性が検出されていたが(7)7) H. Seki & N. Hamada-Sato: Fish. Sci., 81, 365 (2015).,その分解を担う遺伝子は特定されていなかった.そこで魚類の中でも逆遺伝学的解析を効率的に行うことのできるメダカを用いて当該遺伝子を同定することから開始した.具体的には哺乳類において核酸代謝を司る5′-ヌクレオチダーゼ(nt5)ファミリー分子に着目し,同ファミリーに属する遺伝子群をメダカのゲノム配列から探索した.その結果,メダカは同ファミリーに該当する遺伝子を計10種有していることを明らかにした.これらの各候補遺伝子を過剰発現させた受精卵の抽出液を用いてIMP分解活性を評価したところ,エクト-5′-ヌクレオチダーゼa(nt5ea)発現区が最も高いIMP分解活性を示した(8)8) Y. Murakami, M. Ando, R. Futamata, T. Horibe, K. Ueda, M. Kinoshita & T. Kobayashi: Sci. Rep., 12, 18588 (2022)..本結果からIMP分解の主体となる遺伝子はnt5eaであると考え,当該遺伝子をゲノム編集技術によってKOしたメダカを作出した.続いて生後12週齢の成魚を用いて筋肉中のIMPを死後96時間継時的に定量したところ,nt5ea編集群のIMP含量はピークに達した死後24時間後まで非編集群と同程度であった(図1図1■メダカの死後筋肉におけるIMP量の継時的な変化).一方,興味深いことに,死後48時間以降にはnt5ea編集群のIMP含量が非編集群よりも約1.7~2.0倍多い値を示した(8)8) Y. Murakami, M. Ando, R. Futamata, T. Horibe, K. Ueda, M. Kinoshita & T. Kobayashi: Sci. Rep., 12, 18588 (2022)..つまりnt5eaのKOはピーク到達後に起こるIMP分解を抑制し,旨味成分の保持に有効であることを明らかにした.今後はメダカで得られた基礎的知見を食用魚に応用することで「美味しい」魚を創出し,国内で問題視されている魚食離れの改善などに貢献したいと考えている.
図1■メダカの死後筋肉におけるIMP量の継時的な変化
4°Cにおいて保蔵したメダカの筋肉中に含まれるIMP量を高速液体クロマトグラフィー(HPLC)によって測定した結果を示す(Means±S.D.).編集群は死後48時間後および死後96時間後において非編集群よりも有意に多いIMP量を示した(*p<0.01, Tukey’s HSD test, 死後0~24時間:n=4, 死後48~96時間:n=7).
本稿ではこれまでに作出されたゲノム編集魚について紹介したが,これらはほんの一端に過ぎない.水産分野では上記のほかに不妊化・性統御・栄養強化・体色制御・耐病性の付与・肉間骨の除去などを目的とした研究も推進されている(2)2) A. Mokrani & S. Liu: Aquaculture, 579, 740279 (2024)..さらに最近ではゲノム編集技術を適用できる生物種の幅も広がりつつある.今回は魚類の事例のみを取り上げたが,近年ではカキ・イカ・エビといった水生無脊椎動物にゲノム編集技術を活用した研究も盛んに行われている(2, 9, 10)2) A. Mokrani & S. Liu: Aquaculture, 579, 740279 (2024).9) N. Ahuja, E. Hwaun, J. R. Pungor, R. Rafiq, S. Nemes, T. Sakmar, M. A. Vogt, B. Grasse, J. Diaz Quiroz, T. G. Montague et al.: Curr. Biol., 33, 2774 (2023).10) H. Qiao, S. Jiang, H. Fu, Y. Xiong, W. Zhang, L. Xu, D. Cheng & J. Wang: Front. Physiol., 14, 1141359 (2023)..各研究が猛烈なスピードで進展していることに加えて,水産物には未だ多大な育種の余地が残されていることを考慮すると,これまで想像さえしなかった革新的品種が生まれる日もそう遠くはないだろう.一方,依然としてゲノム編集食品による健康や生態系への影響を懸念する市民の声も聞かれる.こうした不安を払拭するためには研究開発者がその安全性について情報公開し,消費者の信用を得ることが必要である(5, 6)5) 農林水産省:ゲノム編集技術の利用により得られた生物の情報提供の手続,https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/carta/tetuduki/nbt_tetuzuki.html6) 厚生労働省:ゲノム編集技術応用食品及び添加物の食品衛生上の取扱要領に基づき届出された食品及び添加物一覧,https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/bio/genomed/newpage_00010.html.ゲノム編集技術に関する正しい知識・情報が一般社会に普及し,国内水産業に明るい未来が拓かれることを切に願う.
Reference
2) A. Mokrani & S. Liu: Aquaculture, 579, 740279 (2024).
3) M. Ohama, Y. Washio, K. Kishimoto, M. Kinoshita & K. Kato: Aquaculture, 529, 735672 (2020).
4) 京都大学広報誌『紅萠』:京大発,「肉厚マダイ」参上,https://www.kyoto-u.ac.jp/kurenai/201809/taidan/, 2018.
5) 農林水産省:ゲノム編集技術の利用により得られた生物の情報提供の手続,https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/carta/tetuduki/nbt_tetuzuki.html
6) 厚生労働省:ゲノム編集技術応用食品及び添加物の食品衛生上の取扱要領に基づき届出された食品及び添加物一覧,https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/bio/genomed/newpage_00010.html