巻頭言

学生と議論していますか?

Kei Sonoyama

園山

北海道大学大学院農学研究院

Published: 2024-07-01

40年以上前,筆者がまだ学生だった頃には,学生同士で酒を飲みながら(飲まなくてもいいですが…)さまざまなことについて夜遅くまで議論したものです.いつしか窓の外が白むこともありました.研究室に入ってからは,そのような議論にお付き合いくださる教授もいらっしゃいました.大学院生の頃は,むしろ先生方との議論の方が多くなったように思います.そのような議論からもちろん研究のアイデアが生まれることもあったでしょうし,政治的意見の対立が生じたこともあったでしょう.恋愛や人生の相談だったかもしれません.筆者と同年代の方であれば,同様のご経験をお持ちのことと思います.今はどうでしょう.みなさんはこのような議論をなさっているでしょうか.教員として32年間を過ごしてきた筆者は,現在,当時のような議論ができているとは残念ながら言えません.

大学の授業では,教員による一方向的な講義形式の教育に加え,双方向的・対話的な教育が推奨されるようになり,それに関するファカルティ・デベロップメントも頻繁に実施されています.筆者もそのような授業をデザインしてトライしたことがありますが,学生の能動的な取り組みを引き出しておもしろい議論をすることは簡単ではありません.昔ながらのよりプリミティブで単純なやり方として,授業中に学生に質問をしたとしましょう.しかし,興味深い返答—そのような返答はしばしば議論に発展させることができる—が返ってくる場合はそう多くはありません(学生からは,気の利いた質問をしろ,と言われそうですが).一方,研究室内では研究に関連して日常的に議論をします.授業よりも距離が近い関係になり,議論の頻度も高くなるので,より「人間的な」問題が生じることがあります.そのような問題は,社会環境の変化にともない,筆者らが学生だった頃よりも現在の方が発生しやすくなった,あるいは顕在化しやすくなったと思っています.筆者はこのような問題に直面し,それを解決するためにコーチングメソッドについて学習する必要に迫られたこともありました.

このように,うまく議論することはなかなかに難しいことです.しかし,私たち研究者は本来,議論が好きなはずです.現在の研究,とりわけ本学会員が携わっているライフサイエンスに関する実験研究に関しては,きわめて先鋭化・細分化・専門化されているがゆえに,ついタコツボに入ってしまいがちですが,それでもなお,私たちは自分とは違う専門領域の研究に興味を持ち,議論をしたくなるのです.私たちのそのような議論は,客観的な事実と論理に基づいて行われる必要があります.そのような事実と論理に基づいた他者との議論を通じて合意形成をできる能力を育むことこそ,私たちが学生に対して行うべき最も重要なことのひとつと考えています.

昨年の5月に日本栄養・食糧学会の大会を札幌コンベンションセンターで開催しました.そこでの一般演題の発表は,コロナ禍を経て当該学会で最初に行われたポスターセッションでした.久しぶりの対面でのディスカッションがうまくいくのか心配をしていましたが,それはまったくの杞憂に終わり,ポスター会場は熱気に包まれて多くの場所で活発な議論が行われていました.それは,しばらく議論できなかったことへの反動,つまり,議論に対する渇望のように見えました.

筆者は,来年の3月に札幌で開催される本学会の年次大会の実行委員長を拝命しました.その際の一般演題についてもポスターセッションが行われる予定です.活発でおもしろい議論が行われることを心より期待しています.初めて発表者として参加する学生たちを,事実と論理に基づいた議論を行う研究者の仲間に加えましょう.