Kagaku to Seibutsu 62(7): 320-322 (2024)
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微生物を用いたヒトミルクオリゴ糖生産の最先端
より低コストで,より大量に,より高純度に作る
Published: 2024-07-01
© 2024 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2024 公益社団法人日本農芸化学会
生物が持つ能力を最大限に利用して有用なものづくりを行う「バイオものづくり」はカーボンニュートラルで持続可能な社会を実現するための最重要技術の1つとして位置づけられている.その対象は食品,医薬品から化学品に至るまで多様であり,本記事で取り上げるヒトミルクオリゴ糖(Human Milk Oligosaccharides; HMO)は食品分野の注目ターゲットの1つである.HMOは母親の母乳中に存在するラクトース,脂質に次いで3番目に多い固形成分であり,200種類以上のオリゴ糖の混合物である.ラクトースの二糖構造(ガラクトース-β1,4-グルコース)は全HMOに共通であるが,このラクトースにN-アセチルグルコサミン,ガラクトース,フコース,シアル酸の4種類の糖が様々な位置・順序で結合することで多様な構造が生み出される(図1図1■微生物細胞内でのHMO生合成).HMOは腸内環境,免疫機能,脳機能など乳幼児の成長や健康維持に様々な効果を働くことがわかってきている(1)1) W. Li, J. Wang, Y. Lin, Y. Li, F. Ren & H. Guo: Trends Food Sci. Technol., 118, 374 (2021).ものの,母乳独自の成分であるため粉ミルクには含まれない.したがって,人工的に合成したHMO成分を粉ミルクに配合することは様々な理由で母乳育児ができない家庭の乳幼児に健康価値を届けることにつながる.HMOを人工的に合成する手法としては化学合成法,酵素合成法,微生物発酵法の3つが主に検討されてきた.化学合成法は最も歴史が古いが,目的の糖鎖のみを合成するために反応を望まない水酸基の保護及び脱保護が必要となり製造コストが高くなりやすいという課題があった.酵素合成法は反応選択性の高い糖転移酵素(ラクトースなどの基質に作用して糖鎖を伸長させる酵素)を用いることで前述の化学合成法の課題を克服しているが,反応に必要なドナーである糖ヌクレオチド(HMOの糖鎖伸長単位となるN-アセチルグルコサミン,ガラクトース,フコース,シアル酸がヌクレオチド化して活性化されたもの)を酵素とは別に調製する必要があるため,やはりコストが高い.一方で,微生物発酵法は大腸菌などの微生物を細胞工場として菌を増殖させながらHMOを培養液中に蓄積していく方法であり,微生物が有するタンパク質合成系・代謝系を利用して安価な原料から糖転移酵素や糖ヌクレオチドをまとめて微生物細胞内で供給できるという利点がある(2)2) J. Meng, Y. Zhu, H. Wang, H. Cao & W. Mu: J. Agric. Food Chem., 71, 2234 (2023)..実際に商業生産されているHMOのほとんどがこの方法で製造されていることから,本稿ではHMOの微生物発酵法に絞って記載する.
微生物を用いたHMO製法では多くの場合,糖転移酵素による伸長反応の初発原料としてラクトースを,さらに微生物の生育および糖ヌクレオチドや糖転移酵素の合成に利用される炭素源としてグルコースやグリセロール,スクロースなどを添加する(図1図1■微生物細胞内でのHMO生合成).その上でHMO生産を成立させる最も重要なポイントは細胞内で糖転移酵素と糖ヌクレオチドを豊富に供給することである(2)2) J. Meng, Y. Zhu, H. Wang, H. Cao & W. Mu: J. Agric. Food Chem., 71, 2234 (2023)..HMO合成に必要な糖転移酵素遺伝子は,大腸菌など物質生産に一般的に使用される宿主のゲノム上には存在していないため,外来遺伝子を導入する必要がある.例えばHMOの中で最も母乳中含量が多い2′-フコシルラクトース(2′-FL)の生産には宿主となる大腸菌内で高発現し高い活性を示すHelicobacter pyloriなどに由来するフコース転移酵素がよく用いられている.この他にも生産菌内で高活性に発現する異種糖転移酵素が精力的に探索されており,またアミノ酸配列の改変によって可溶性発現量や酵素活性を向上させた取り組み例も非常に多い.最近はバイオインフォマティクスの進歩により酵素探索や酵素改変の効率化が急速に進んでいる.糖転移酵素と共にHMO合成に必要なN-アセチルグルコサミン,ガラクトース,フコースの糖ヌクレオチドについては大腸菌などの宿主が細胞壁多糖を合成するのにも必要なドナーでもあるため,宿主のゲノム上に元から生合成遺伝子群を有している.一方で,シアル酸の糖ヌクレオチド体の生合成遺伝子については一部外来のものを導入する必要がある.したがって,菌の生育とバランスを取りながら,目的のHMO生産に合わせて糖ヌクレオチドの供給遺伝子群の発現量を最適化することが非常に重要であり,様々な強度のプロモーターや様々なコピー数のベクターを組み合わせ網羅的にスクリーニングした研究が多数報告されている.
最近の技術進歩を図2図2■HMO発酵生産における最近の技術進歩にまとめる.最近では中国を中心に世界的にHMO生産研究が盛り上がっており,類似研究との差別化としてこれまでに生産実績のないHMO種への拡大,生産性や副生低減を目的としたバイオものづくり先端技術の集積が進んでいる.例えば,産物を積極的に培地中に排出することで菌への負荷を軽減し生産性を向上させるトランスポーターの探索と利用,また逆に中間体を細胞外にリークさせる内在トランスポーター遺伝子を破壊することで中間体副生を低減する取り組み(3)3) T. Sugita & K. Koketsu: J. Agric. Food Chem., 70, 5106 (2022).,複数種の酵素を細胞内で空間的に近接させることで連続したHMO生合成反応を効率化するタンパク凝集・自己組織化タグの利用(4)4) L. Wan, Y. Zhu, W. Zhang & W. Mu: ACS Nano, 17, 10806 (2023).,糖転移酵素の立体構造情報に基づいた精密な基質特異性改変による副生物の低減(5)5) S. Endo, T. Sugita, S. Kamai, K. Nakamura, F. Yamazaki, S. Sampei, G. Snarskis, A. Valančiūtė, M. Kazemi, I. Rokaitis et al.: Metab. Eng., 82, 1 (2024).,異種加水分解酵素の導入による副生糖の分解・再利用(3, 6)3) T. Sugita & K. Koketsu: J. Agric. Food Chem., 70, 5106 (2022).6) K. Parschat, S. Schreiber, D. Wartenberg, B. Engels & S. Jennewein: ACS Synth. Biol., 9, 2784 (2020).などである.目的化合物が長鎖で複雑な構造になるにつれて酵素であっても厳密に目的の官能基だけに作用することが難しくなり,副生の増加は避けられない課題であることから,中でも糖転移酵素の精密な基質特異性改変技術は副生低減とそれに伴う産物の純度向上にとって今後も非常に重要だろう.最近ではAlphafold2などのツールにより実験的に結晶構造が取得されていないタンパク構造の高精度な構造予測が可能となっており,今後様々な糖転移酵素がエンジニアリングの対象になると予想される.さらに,既存の発酵法ではラクトースを基質として使用する必要があるが,ラクトース自体を安価なグルコース,スクロースなどから細胞内でde novo供給する試み(6, 7)6) K. Parschat, S. Schreiber, D. Wartenberg, B. Engels & S. Jennewein: ACS Synth. Biol., 9, 2784 (2020).7) M. Li, Y. Luo, M. Hu, C. Li, Z. Liu & T. Zhang: J. Agric. Food Chem., 70, 14761 (2022).も見られる(図2図2■HMO発酵生産における最近の技術進歩).世界的に乳牛からの安定供給が懸念されるラクトース原料の菌株内製化は製造コスト的にも持続可能性にもメリットがあるだろう.
このように,HMO微生物発酵法の製法革新は目覚ましく,世界中の家庭がHMO入りの粉ミルクを安価に手に入れられる未来も近いだろう.
Reference
1) W. Li, J. Wang, Y. Lin, Y. Li, F. Ren & H. Guo: Trends Food Sci. Technol., 118, 374 (2021).
2) J. Meng, Y. Zhu, H. Wang, H. Cao & W. Mu: J. Agric. Food Chem., 71, 2234 (2023).
3) T. Sugita & K. Koketsu: J. Agric. Food Chem., 70, 5106 (2022).
4) L. Wan, Y. Zhu, W. Zhang & W. Mu: ACS Nano, 17, 10806 (2023).
7) M. Li, Y. Luo, M. Hu, C. Li, Z. Liu & T. Zhang: J. Agric. Food Chem., 70, 14761 (2022).