追悼

遠藤章博士の遺したもの

Keiji Hasumi

蓮見 惠司

東京農工大学名誉教授・特任教授

株式会社ティムス取締役会長

Published: 2024-08-01

遠藤章博士(東京農工大学特別栄誉教授)が2024年6月5日,90歳で逝去された.世界中で約4,000千万人に服用され,年間百万人以上の命を救っていると推計される,世界で一番売れた薬「スタチン」(コレステロール低下薬)の発見と開発に対する貢献により,遠藤博士は日本国際賞(2006年),シャウル・マスリー賞(米国;2006年),ラスカー臨床医学研究賞(米国;2008年),米国科学アカデミー外国人会員(2011年),文化功労者(2011年),米国発明家殿堂(2012年),瑞宝重光章(2012年),マヒドン王子賞医学部門(タイ王国;2015年),ガードナー国際賞(カナダ;2018年)(「化学と生物」56巻3号受賞記念特集号発行),日本農芸化学会特別賞(2018年)など多数の栄誉を受けている.歴史に残る偉業を達成され,多くの人々に影響を与えた研究者であり,私にとっては探索研究と薬つくりの道を指し示してくださった恩師でもある遠藤博士の逝去に際して,深く哀悼の意を表すとともに感謝の気持ちを「遠藤章博士の遺したもの」としてここにお伝えしたい.

遠藤博士は,1933年11月14日に秋田県由利本荘市(旧東由利町)に生まれ,秋田市立高等学校(1953年卒),東北大学農学部(1957年卒),三共株式会社(現 第一三共)研究員(1953年入社),アルバート・アインシュタイン医科大学留学(1966年から1968年),同・副主任研究員,主任研究員,研究室長を経て,1979年1月に東京農工大学農学部農芸化学科に助教授として着任,1986年1月に教授となり,1997年3月に定年退官された.その後,研究成果実用化を実践する(株)バイオファーム研究所長(同年4月から)を長らく続けられ,2008年9月に東京農工大学から特別栄誉教授の称号を授与された.

遠藤博士は,米国留学の際に心血管疾患(心臓発作や脳卒中の大半を占める脳梗塞)のリスクを抱えた多数の人々を見て「コレステロールを下げる薬」の研究を思い立ったという.帰国後の1971年にそれを実行に移し,6,000株余の菌類の培養液を用いた探索の結果,1973年にPenicillium citrinumからML-236Bを発見した.ML-236Bはスタチンと総称されるコレステロール低下薬の最初の化合物であり,悲運の化合物でもあった.ML-236Bの開発は必ずしも順調ではなかった.期待に反して,ML-236Bはラットやマウスのコレステロールを下げず,開発は頓挫寸前となった.しかし,遠藤博士らはその理由を丹念に調べ,血中コレステロールが高い動物と患者には効くと予想し,1976年,ニワトリ,イヌ,サルで有効性を証明した.この発見(スタチンの作用には種差があり,それはコレステロール・リポタンパク質代謝の種差と関連している)が,のちのスタチン開発の礎となる.しかし,困難は次々に押し寄せた.1977年にはラットでの肝毒性が疑われ,この問題を克服すると,次にはイヌの長期毒性試験でリンパ腫発生の疑いがもたれた.臨床用量の100倍から200倍を2年間投与し続けたことがその原因と考えられている.ML-236Bの第2相臨床試験さなかの1980年のことで,これでML-236Bの開発は中止された.

しかしながら遠藤博士らの研究成果は,ML-236Bの類似化合物(すなわちスタチン)が極めて優れたコレステロール低下剤となることを予見していた.遠藤博士は,東京農工大学に移って間もなく紅麹菌からモナコリンKを発見する.モナコリンKはML-236Bにメチル基一つを追加した構造を持っていた.三共からML-236Bの情報を受けていた米国メルク社(MSD)では,ほぼ同時期にモナコリンKと同一の化合物ロバスタチンをAspergillus terreusから発見する.ロバスタチンの開発は短期間で進み,1987年にFDAの承認を受ける.遠藤博士らの研究成果がそれに貢献したことは想像に難くない.その後,ML-236Bに水酸基を追加したプラバスタチン(三共),ロバスタチンにメチル基を追加したシンバスタチン(MSD),スタチンのファーマコフォアを基に全合成されたアトルバスタチン(ファイザー),フルバスタチン(ノバルティス),ピタバスタチン(興和),ロスバスタチン(塩野義)がこれに続き,冒頭に述べたように心血管疾患の治療の一大変革が起こった.

いうまでもなく,遠藤博士の遺したものの中でスタチンが最も重要であるが,遠藤博士の業績はそれにとどまらない.果汁・果実酒の清澄化に用いられるペクチナーゼ(三共),歯垢形成阻害物質ムタステイン(農工大・合同酒精),新紅麹(農工大・バイオファーム・ヤエガキ酒造),新コラゲナーゼ(農工大・ヤクルト),メバロン酸大量生産法(農工大・ADEKA・カネボウ)などの実用化に貢献された.

私にとっては,探索研究の意義,科学者としての構え,薬つくりの精神など,様々なことを遠藤博士の後ろ姿から学んだことが貴重な財産となっている.

探索研究の意義

私が最初に遠藤博士にお会いしたのは,1980年1月に大学院受験にあたり,友人(桑原健誌氏,元 日本新薬 東部創薬研究所長,常勤監査役)に連れられて農工大を訪れたときであった.当時の故 高橋健教授と面会した後に,「遠藤先生にも挨拶するとよい」と勧められて扉をノックした.淡々とした事務的な対応で早々に退出したが,思い返せば,無礼にも何らの下調べもなく訪れた私たちは,研究に集中している遠藤博士にとって興味の対象外だったと合点がいく.その後の入試で,私は「拾って」いただき,4月から遠藤博士の下で探索研究を開始した.ML-236Bの探索と同じ手法で,同じ目的の化合物を探すことで,二番煎じ的な研究に疑問を持ったが,粛々と実験を進め,同年秋にはカビの一株から活性物質を単離,モナコリンKと同一物質と分かった.これで敢え無く探索は一旦終了する.修士課程修了後の1982年4月から,遠藤博士の推薦で入社した合同酒精から研究生として元の研究室に派遣された実質居残り学生として,その後,助手,助教授として,学生と一緒に私は1995年頃までコレステロール合成阻害剤,マクロファージ泡沫化阻害剤など,動脈硬化進展を抑える薬を求めて微生物から探索を続けた.この間,探索研究を「理屈がない宝探し」としか理解できず,標的タンパク質の構造に基づく化合物設計と比べて合理性に欠けると考えていた.天然物の力にも考えが及ばず,合成化合物も天然物も同じ一化合物として見ていた.

1995年ころの会話が考えを改める契機となる.当時ヘモグロビンの酸素結合制御の研究をしており,化合物Aが酸素解離を促進しマウスの強制水泳持続時間を延ばすことが企業研究生から報告された.Aは赤血球では効果を示さず(細胞膜を透過しない),動物で効果を発揮するとは私には考えられなかった.そのことを話すと,遠藤博士は「それでは,君が試せばよい」と言われた.私たちは膨大な実験の末にAに効果がないと結論した.「(企業との共同研究の手前)黒いものを白いと言わざるを得ない時もありますね」と私が持ち掛けたところ,「白いものは白い」ときっぱり言われた.その意味が分かるまで10年ほど要した.仮説に基づく結果解釈の危うさを指摘された,と理解した.本来素直に結果を見ればよいものを,往々にして仮説のバイアスを通して見がちである.「細胞膜を透過しないため動物で効かないはず」が仮説のバイアスである.探索研究も同様で,目的の活性物質が「有る」と推測できるものを探すのは合理的だが,「有るか無いかわからない」ものを探すのは非科学的という議論において,「有るはず」がバイアスであり,どちらも「有るか無いかわからない」が真実である.加えて,探索の終点の薬つくりでも,メカニズムXだから効果Yとなるはず,も同様である.セレンディピティという言葉があるが,バイアスを排除した探索研究は計画的セレンディピティと言える.画期的発見は往々にして文脈を超えたところで起こる.遠藤博士の心中はこれに似た景色だったと思われる.

科学者としての構え

「自然から学べ」と常々遠藤博士は仰っていた.これは上述の仮説のバイアスを排除することに通じる考え方である.丁寧に観察し,そこから得た情報を積み上げる.以下に遠藤博士の「研究者としての心がけ10箇条」を引用する:1. 社会に役立つ,生きがいのあるテーマを選ぶ;2. 欧米の後追いをせず,彼等が不得手なことを狙う;3. 海外に視点をおく(日本を外から見る);4. 自然を師とし,現場から学ぶ;5. 情報と流行に惑わされない;6. 科学者に徹する;7. 3Kを厭わない;8. 学際領域に食い込む;9. 足元を大切にする;10. 仲間を選ぶ.改めてこの構えは深い意味を持つと感じている.

薬つくりの精神

遠藤博士からは「薬つくりは必ず行き詰まる」との趣旨の言葉を聞いていた.また,1990年代半ばに遠藤博士と一緒に種を蒔いた血栓溶解促進物質の探索研究の進捗を話に伺った際に,候補化合物SMTPの第1相試験が完了して第2相試験の準備をしていることを告げると大層喜ばれ,「三途の川を渡らなければ新しい景色を見れない」と仰った(三途の川は第2相試験のことで,「三途の川を渡ってしまえばそこで終わってしまいますよ」と言い返したが,「それでも渡らなければならない」と).どちらの言葉も,高い壁を突破しなければ薬をつくれない,苦労して当たり前,と理解できた.禅問答のようなやり取りであるが,ここに紹介させていただいたすべてのことが,現在の私の研究と薬つくりの支えとなっている.

遠藤章先生,長きにわたり近くで勉強する機会を頂きありがとうございました.上天では長年の腰痛から解放され,好きだった散策・山登りを存分に楽しんでください.謹んでご冥福をお祈り申し上げます.