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植物の環境ストレス耐性を強化する新規アミノ酸の発見
アミノ酸によるエピジェネティック修飾を介した環境ストレス応答遺伝子の活性化

Takeshi Hirakawa

平川

キリンホールディングス株式会社R&D本部キリン中央研究所

Published: 2024-10-01

アスファルトの舗道を歩くとひび割れた地面から様々な植物が花を咲かせて育っている.地面に根差す植物は動物のように自ら動くことができない固着生活を営むため,暑い日も寒い日もその場で過ごさなければならない.つまり植物は様々な環境ストレスに晒されているが,逃げることなく柔軟かつしなやかな応答を通して成長し,やがて花を咲かすことで次世代に命を紡いで一生を終える.

近年地球温暖化や干ばつなどを伴う気候変動は世界的規模で急速に進んでおり,それらは植物の生育にとって環境ストレスとして作用し,穀物を始めとする食料植物の収量低下を引き起こしている.例えばビールの原料植物の一つであるホップはチェコやドイツの冷涼な地域で栽培されている植物だが,成長期の高温は収量や香り成分の低下を引き起こすことが知られており,温暖化もホップの品質に負の影響をもたらすことが予測されている.また植物は家畜の食料としても必要であることから,食料の持続可能性を維持するためには気候変動に頑強な植物を作り出すこと,すなわち植物の環境ストレス耐性を強化できる技術開発が必要とされている.

植物の環境ストレス耐性を強化する手法の一つとして有用遺伝子を利用した遺伝子組換え植物の作出があげられる.これは環境ストレス応答に機能する遺伝子を過剰発現させる,またはストレス応答の抑制遺伝子をゲノム編集などにより破壊することで植物にストレス耐性を付与する手法である.本手法は新規の環境ストレス応答遺伝子の機能解析でも有効な技術であるが,植物種ごとに遺伝子組換えをする必要がある.そのため植物によっては組換え遺伝子の機能が十分に発揮されない可能性,遺伝子組換え自体が困難な場合もあり,汎用性が低いことに欠点がある.また伝統的な品種改良法として交配により新規品種を作出する育種が存在するが,新たに有用形質を既存品種に付与しようとすると既存品種の形質を維持することができない可能性がある.例えば,特徴的な香りをもつ品種に環境ストレス耐性の高い品種を交配した場合,ストレス耐性を付与できたとしても特徴的な香りが完全には保てないことが想定される.

これらの問題を解決する手法として近年注目されているのがケミカルプライミングである.ケミカルプライミングとは機能性の低分子化合物を植物にあらかじめ投与することで環境ストレス耐性を付与する技術であり,その操作の簡便性や,植物種を問わずに効果を発揮する化合物の存在から高い汎用性をもつ.ケミカルプライミングに使用される化合物は多岐にわたっており植物ホルモンなどの古典的化合物から遺伝子発現制御と密接な関係をもつエピジェネティック修飾の調節剤,さらにはミトコンドリア機能の阻害剤など様々なポテンシャルを有する化合物の報告が続いている(1, 2)1) K. Sako, H. M. Nguyen & M. Seki: Plant Cell Physiol., 61, 1995 (2021).2) K. Sako, Y. Futamura, T. Shimizu, A. Matsui, H. Hirano, Y. Kondoh, M. Muroi, H. Aono, M. Tanaka, K. Honda et al.: Sci. Rep., 10, 8691 (2020).

圃場すなわち野外でのケミカルプライミングの実施を考えた場合,植物への環境ストレス耐性の付与と同時に生態系の維持や環境保全の考慮が必要となる.そのためケミカルプライミングに利用する化合物も天然資源に由来する化合物(資材)に注目が集まっており,実際にこういった資材はバイオスティミュラントという農業資材の区分でヨーロッパを中心にして販売・使用されている.バイオスティミュラントの原料としては海藻や腐植酸,微生物,そしてアミノ酸,ペプチドなどがあげられる.筆者らは最近,植物の葉緑体で起こるアルギニン生合成の中間体でありグルタミン酸を前駆体として作られる非タンパク質性アミノ酸のN-アセチルグルタミン酸(NAG)をケミカルプライミングに有効な新規化合物として発見した(図1図1■シロイヌナズナおよびホップにおけるN-アセチルグルタミン酸の熱ストレス緩和効果(3~5)3) T. Hirakawa & K. Ohara: Horticulturae, 10, 484 (2024).4) T. Hirakawa, S. Tanno & K. Ohara: Plant Biotechnol., 41, 71 (2024).5) T. Hirakawa, S. Tanno & K. Ohara: Front. Plant Sci., 14, 1165646 (2023)..NAGは名前の通りグルタミン酸にアセチル基が付与された化合物であり,アルギニン生合成におけるオルニチンやシトルリンの前駆体としては知られていたが,その他の機能や生理活性は不明であった.NAGの環境ストレス緩和効果としてはモデル植物のシロイヌナズナを始めにイネ,さらにはホップにおいて熱および酸化ストレスに起因する活性酸素種の蓄積の抑制を介して植物体の白化や成長遅延を抑制する.さらにNAGのもつユニークな作用メカニズムとしては,熱および酸化ストレス応答遺伝子のヒストンアセチル化を上昇させることがあげられる.ヒストンアセチル化は遺伝子発現の活性化と相関をもつエピジェネティック修飾の一種であり,これらのイベントは細胞核で行われる.NAGの生合成の場が葉緑体であることを考えると植物はNAGをアルギニン合成の前駆体だけでなく,細胞核に輸送してヒストンアセチル化の基質として活用している可能性が考えられる.ケミカルプライミングにおいてヒストンアセチル化は乾燥ストレスや塩ストレスの耐性獲得にも関与していることが知られており,ヒストンアセチル化の人為的な操作は植物の環境ストレス耐性を強化する上で特に効果的であることも考えられる(6, 7)6) J. M. Kim, T. K. To, A. Matsui, K. Tanoi, N. I. Kobayashi, F. Matsuda, Y. Habu, D. Ogawa, T. Sakamoto, S. Matsunaga et al.: Nat. Plants, 3, 17097 (2017).7) K. Sako, J. M. Kim, A. Matsui, K. Nakamura, M. Tanaka, M. Kobayashi, K. Saito, N. Nishino, M. Kusano, T. Taji et al.: Plant Cell Physiol., 57, 776 (2016).

図1■シロイヌナズナおよびホップにおけるN-アセチルグルタミン酸の熱ストレス緩和効果

N-アセチルグルタミン酸処理したシロイヌナズナとホップでは,熱ストレスによる白化と成長阻害がそれぞれ抑制される. 
T. Hirakawa & K. Ohara: Horticulturae., 10, 484 (2024)(文献3),T. Hirakawa, S. Tanno & K. Ohara: Plant Biotechnol., 41, 71 (2024)(文献4).

ケミカルプライミングは特有の産地で育てられている既存品種のストレス耐性をその場で強化することにも活用できる.例えばワインおよびビール原料のブドウやホップには同一品種であっても産地特有の性質をもつこと,いわゆるテロワールが存在するため,気温変化に対応するために産地を移動することは容易ではない(もとの栽培地域は冷涼であったが,気温が上昇したために北緯の高い場所へ産地を移すなど).そのためケミカルプライミングは食料問題だけでなく,古くから築かれたその土地および商品ならではのブランド維持にも貢献できる可能性を秘めており,気候変動が進む中でも人々の食文化の豊かさを担保できる技術としても期待される.

Reference

1) K. Sako, H. M. Nguyen & M. Seki: Plant Cell Physiol., 61, 1995 (2021).

2) K. Sako, Y. Futamura, T. Shimizu, A. Matsui, H. Hirano, Y. Kondoh, M. Muroi, H. Aono, M. Tanaka, K. Honda et al.: Sci. Rep., 10, 8691 (2020).

3) T. Hirakawa & K. Ohara: Horticulturae, 10, 484 (2024).

4) T. Hirakawa, S. Tanno & K. Ohara: Plant Biotechnol., 41, 71 (2024).

5) T. Hirakawa, S. Tanno & K. Ohara: Front. Plant Sci., 14, 1165646 (2023).

6) J. M. Kim, T. K. To, A. Matsui, K. Tanoi, N. I. Kobayashi, F. Matsuda, Y. Habu, D. Ogawa, T. Sakamoto, S. Matsunaga et al.: Nat. Plants, 3, 17097 (2017).

7) K. Sako, J. M. Kim, A. Matsui, K. Nakamura, M. Tanaka, M. Kobayashi, K. Saito, N. Nishino, M. Kusano, T. Taji et al.: Plant Cell Physiol., 57, 776 (2016).