書評

原田英美子(編)『琵琶湖集水域の環境メタロミクス』(アグネ技術センター,2024年)

Etsuro Yoshimura

吉村 悦郎

東京大学名誉教授・放送大学名誉教授

Published: 2025-01-01

環境は多様な化学物質から構成され,生息する生物が行う代謝が化学物質の変化を促すという動的な構造をとっている.この過程では,気温,水温,日照などの物理的要因や土壌や底質に含まれる化学物質の溶解,酸化・還元といった化学的要因が複雑に絡みあう.一見すると混とんとも思える環境の変化にも,背景には確固たる自然法則が働いているはずである.この法則を解き明かすことで現在の環境の構造を理解し,将来における変動を解き明かすのが環境科学の使命といえる.

「メタロミクス」とは生体を構成する元素,とくに微量金属元素の機能と役割を体系的に解明する学問領域である.本書では琵琶湖と金属をテーマに,水域環境と生物多様性に関する最新の研究成果を湖沼研究の最前線で活躍している研究者がオムニバス形式で執筆している.全部で20にのぼる各節は,第1章から第6章にまとめられているが,紙面の都合で一部を割愛して紹介しよう.

第1章のメタロミクスの概念の説明に続き第2章では,美味しいメタロミクスと題して琵琶湖の魚介類や藻類を取り上げている.ビワマスの回遊履歴や母川推定において,耳石の微量元素組成とSr安定同位体比の測定を行っている.第3章は,植物の潜在力を知るメタロミクスで,過剰繁茂する水生植物の有機肥料としての有効利用法を示し,重金属集積植物,タチスズシロソウの群生条件として土壌のZn濃度を同定している.第4章は生物がつくり出す鉱物とメタロミクスである.淡水真珠と海水真珠とでの真珠層の形成,オオカナダモ表面に形成されるMn酸化物の形成に関与する細菌の単離,また深層部の貧酸素化により出現するMn酸化物微粒子のメタロゲニウムについて記している.この微粒子の産生には単離された細菌に加えて,植物プランクトンによる多糖類の関連を示唆している.第5章は見えないものを見るメタロミクスと題して,Feの高感度分析法の開発について記し,湖水や流入河川における溶存Feの存在形態の分析を述べている.また,湖底の低酸素化によるMnとAsの溶出と固有魚種イサザの大量死との関連を議論している.食物網構造の解析はCやNの安定同位体比にSの安定同位体比を併用することで一次生産生物としての硫黄酸化細菌の重要性を指摘している.さらに,トリメチルSeの資化性細菌の単離を行い有機Se化合物の循環について考察している.最後の第6章では古の琵琶湖をたどるメタロミクスを取り上げている.化石の研究や粘土堆積物の無機組成からの古環境の推定や,琵琶湖周辺の地質調査からカルデラ火山の存在を示唆している.

本書はメタロミクスという切り口で行われた研究の現場を記す臨場感に溢れるものである.環境を記述する法則の片鱗が垣間見え,環境研究を目指す大学生や研究者には参考になるところ大であろう.また,放射光を用いたFeやMnの形態分析や蛍光X線による元素マッピング,安定同位体比の利用,機器中性子放射化分析法,X線CT撮影による遺跡調査など,なじみは薄いが有用な分析手法がいくつか登場する.分析原理のほかに実際の操作手順についての説明も詳しく,環境科学のみならず農学研究の現場においても適用できるものである.一読を薦める.