書評

石渡明弘,一柳 剛,北岡本光,伏信進矢,眞鍋史仍,山口芳樹(著)『糖の化学』(アドスリー,2024年)

Wataru Hakamata

袴田

日本大学生物資源科学部

Published: 2025-03-01

いつ「糖」の講義を受けたか.高校生物では栄養素として,化学では生物を構成する分子として登場した.大学ではクラム有機化学(1990年4版)の「15章 糖とヌクレオチド」で学んでいる.生化学ではリゾチームの多糖分解機構,機器分析学では変旋光やNMR,食品化学ではメイラード反応にて還元糖の反応性を学んだ記憶が蘇ってくる.講義の場面においても,「糖の化学」は有機化学・生物化学・合成化学・生物有機化学・機器分析学・構造生物学などの様々な学問分野の一部として登場する.糖鎖は「第三の生命鎖」と呼ばれ久しいが,同じ鎖状生体高分子である核酸やタンパク質と比べると限定的な取り扱いである.

糖鎖科学は,医療・エネルギー・材料科学などの多岐にわたる学問分野で応用可能性が示され,米国科学アカデミーでも21世紀の重要な科学技術の一つとして,研究の加速が提言されている.提言の背景には,核酸やタンパク質と比べた糖鎖の複雑さがある.馴染み深いグルコースを考えても,多数の不斉炭素原子・鎖状構造と5-6員環の環状構造・アノマーなど,考慮する点が多くある.この単糖が複数の酵素の作用により様々な結合様式で直鎖状・分岐状・環状の分子を形成する.さらに,それら糖鎖の配列や構造は遺伝情報としてゲノムに保存されていない.このような複雑さが糖鎖研究の醍醐味でもあるが,学習や研究への参入障壁にもなっている.

この魅力的な糖の世界を理解するためには優れたナビゲーターが必要である.では,糖を基礎から学ぶとき,どの本を手に取るか.まず最新の有機化学の教科書を開く.驚くべきことに,糖化学の内容はEmil Fischer(1902年ノーベル化学賞受賞)の時代からほとんど進化しておらず,基本的な単糖の構造や反応に留まっている.故に,糖に関する最新の知識を網羅した優れたナビゲーターとして,本書「糖の化学」が重要となる.本書は全9章からなる.第1章で「糖化学の基礎」を理解し,第2章の「二糖およびオリゴ糖・多糖」へと進む.本章ではスクロースから最新の糖鎖修飾RNAまでも網羅している.続く第3章は「分析手法」であり,質量分析法・NMR法・液体クロマトグラフィー法による糖鎖分析の基礎から糖鎖特徴的な分析までも述べている.構造生物学の視点から,X線結晶構造解析・NMR・クライオ電子顕微鏡の解説もなされている.第4章で「化学合成による糖鎖合成」が述べられる.単一構造の糖鎖による生物活性の理解は非常に重要であり,最新の研究を含めその合成法が網羅されている.第5章は多様な糖鎖を生み出す「酵素反応」が,糖質関連酵素を軸に一貫性をもってまとめられている.第6章の「構造生物学」では,それら酵素の立体構造の基礎を学ぶことができる.第7章の「糖質資源と食品」と第8章の「糖化学と医薬品」は最新の知見を含む糖化学の応用分野が述べられている.特に糖の初学者には第9章「練習問題」がお勧めである.糖の基礎化学・糖鎖合成・NMR解析がまとめられており,丁寧な解答が付属する点が素晴らしい.

本書は学部学生・大学院生から学界・産業界で糖鎖科学の研究を進める研究者の優れた教科書となるであろう.特に日本農芸化学会等に所属する糖鎖研究に惹かれつつも尻込みをしていた学生や若手研究者に手にとってほしい一冊である.