巻頭言

山際淳司にあこがれて

Hirosato Takikawa

滝川 浩郷

東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻

Published: 2025-05-01

成人して以降,私が唯一あこがれた職業はスポーツライターだった.こんな書き出しは学会誌の巻頭言に甚だふさわしくないと思うが,諸々ご容赦いただいた上で,還暦間近のオッサンの駄文にお付き合いいただきたい.

私は,幼少期から,スポーツをやるのも見るのも好きだった.スポーツ万能とまでは言わないが,何をやらせても(水泳を除く)そこそこ達者だった.ただし,妙に冷めたところのあった少年は,小学生の時点で自身のスポーツ選手としての資質を客観的に評価できていたと記憶している.それはさておき,私にとってのスポーツは当然「やる&見る」モノだったのだが,ある時点から「読む&分析する」という要素が加わった.そのきっかけは明確で,Sports Graphic “Number”の創刊と,Number誌にしばしば掲載される山際淳司氏の作品に心惹かれていったことである.ちなみに,創刊号に掲載された「江夏の21球」は彼の出世作にして最高傑作のひとつである.山際氏はスポーツノンフィクション領域を確立したと評されており,有名ネット百科事典によると彼の作品は独自の視点からの分析結果の報告だそうだが,なぜ私は彼の作品に魅了されたのか? 当時はその理由を考えたことなどなかったが,今考えると,その魅力の根幹は,徹底的な取材を経た分析・洞察,厳密な客観性と明確な独自性が融合する視点・考察,心理描写や躍動感・臨場感を表現し得る確かな表現能力,そして何より,その根底にスポーツおよびアスリートへの愛と敬意があったことであろう.柄にもない評論はさておき,彼の分析報告から学んだ最も単純かつ重要なことは,スポーツは根性ではなく科学だということである.そんなこんなで,徐々にスポーツジャーナリズムに傾倒していった20代半ばの私は,文章を書くことによって人の心を動かす仕事に就きたいと本気で考えていた.結局,生まれながらの小心者がその道へと歩を進めることはなかったが,この「若気の至り未遂」は青春の蹉跌ではなくインターンシップやサバティカルに近い事案だったのかもしれない.なお,当然と言うべきか,今でもスポーツを分析する癖は全く抜けていない.

さて,私が現在向き合うべきは化学の教育・研究であるが,山際氏のような姿勢で仕事に取り組めているだろうか? すなわち,研究に限って言えばだが,徹底的な実験と考察を基盤とし,先進性,客観性,独自性,そして科学への敬意が矛盾なく併存した成果を世に発信できているか? そして,それらは人々の心を動かす(=科学の発展に寄与する)ことができているだろうか? そのハードルは至って高く,そもそも私自身がそれを判断する立場にないが,教育者・研究者としての矜持を以って人と科学に向き合わなければならないことを痛感させられる.また,昨今の大学や研究を取り巻く望ましくない潮流に流されることなく,流行や見栄えの良さばかりを追究せず,誠実かつ真っ当な仕事をしなければならないと改めて思う.

駄文にお付き合いいただき恐縮の至りであるが,文章を書くことによって人の心を動かす仕事に就きたいと考えた過去のある私としては,本稿の執筆を通じて,僅かながらでも若き日の夢を叶えられたような気がする.山際氏の急逝から30年の月日が流れたことに驚きを禁じ得ないが,「スローカーブをもう一球」などを再読してみるのも悪くないかもしれない.