Kagaku to Seibutsu 63(6): 239 (2025)
巻頭言
定年退職した.あとは後進に託す!
Published: 2025-06-01
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2024年3月に東京大学を定年退職した.大学入学から大学院修了までの学生時代も加えると,45年間の「東大の片岡」からやっと解放された.肩の荷が下りホッと一息ついて,無所属(無職)の気ままな生活をエンジョイしている.退職して何が良かったかと聞かれたら,「研究費と学生のことを心配しなくてよくなった」と答える.ここでは,この45年間に経験した,あまりに変化した大学と大学院生について独り言を.
30年前に行われた大学院重点化は,高度な専門能力を有する学位取得者を増やし,企業を含めた国内の科学技術を高めることが目的だった.一方で,助手ポストを教授や助教授ポジションへアップシフトして研究室(研究分野)を増やし,専攻(学科)の教員数を減らさないようにするためだったとも聞いた.学生定員はほぼ倍増し,学位を授与された修了生は増えた.また,研究分野は増えたがひとつの分野のスタッフ数は減り,原則それぞれの教員が独立して研究グループを率いて指導する体制になった.その結果,高度な専門能力を有する人材をそれまで以上に輩出できるようになったのだろうか? この30年で,大学院は研究の場からカルチャースクールになったように私は感じる.在籍さえしていれば「科学英語」や「科学倫理」などの教養が自然に身に付き,奨学金などの支援を平等に受けられると考える大学院生が年々増えてきた.「楽に学位が取れ,高い給与で就職できる」とも考えているようだ.
少し前に「コスパ(コストパーフォーマンス)」なる言葉が流行った.「大学院へ進学する」コストに対して,「得られる肩書きと将来の給与」のリターンが上回ることを期待しているようだ.実験を一生懸命やってもリターンは変わらないのでコスパが悪くなる.実験は最低限にして,手取り足取りで論文作成・発表の指導をしてもらい,学位を取るのが賢いやり方だ.最近では「タイパ(タイムパーフォーマンス)」も大切で,研究室で過ごす時間をできるだけ短くしたいようだ.研究室で実験するより気が合う友達と過ごす方が楽しいのだろう.コロナ禍でしばらく登校や実験が制限されたが,最近でも入口のホワイトボードに「在宅」と書いて,ほとんど大学へ来ない学生がいた.コンピュータワークは自宅でもできるし,「通学の時間と費用がもったいない」と言った学生もいたらしい.
私は,コスパをあげるためにはトレーニングを積んで実験技術を上げる方が効率的だと思う.技術が向上すれば実験個数を減らしても有意な結果が得られるようになる.また,同じ実験を繰り返す必要もなくなってタイパも良くなるのだが,そうは考えないようだ.そうしてくれれば,教員にとっても研究費のコスパやミィーティングのタイパが格段に上がるのだが.研究室で一緒に過ごすことで,先輩や同僚からも指導が受けられ,研究者としての技術や考え方,倫理観やお作法も身につき,論文作成で切羽詰まった時にも簡単に協力が得られるのだが,気づいていない.
教員は学生に甘く,問題行動を見ても叱らなくなった.私は退職前の数年間,学位論文審査会で嫌がらせのような「本質をつく意地悪な試問」を度々した.そうすることが長老教員の役目だと思っていたが,アカハラと受け取った学生や教員がいただろう.そういえば,大型研究費で雇用するポスドクには「研究は思う存分自分の考えで進めて良い.ただ,学生に背中を見せてやって欲しい」と最初に話した.
私は,学生やポスドク,後輩教員に背中を見せた自信はないが,ともかく定年退職した.あとは後進に託す!