Kagaku to Seibutsu 63(10): 463-471 (2025)
解説
ジャスモン酸を生合成中間体とせずにcis-ジャスモンを与える生合成経路
cis-ジャスモンの生合成
A Biosynthetic Pathway That Provides cis-jasmone without Using Jasmonic Acid as an Intermediate: Biosynthesis of cis-jasmone
Published: 2025-10-01
動植物はα-linolenic acid(α-LA)を出発原料に,生存に必須な情報伝達物質を生合成している(図1).動物での一例としては,α-LAの炭素骨格を増炭する方向で生合成を進め,プロスタグランジンD3(PGD3),トロンボキ酸A3(TXA3)等のプロスタグランジン類,トロンボキサン類,ロイコトリエン類を生合成し,多岐にわたる生物応答において重要な生理活性物質として活用している.一方,植物はリポキシゲーナーゼを用いる酵素反応により生じる過酸化物を利用して基質の開裂,もしくは環化後のβ酸化による減炭反応により情報伝達物質を生合成している.過酸化物の開裂反応産物の代表例として,緑の香りが知られ揮発性物質よる植物同士のコミュニケーションが報告されている.本反応は傷害,病虫害によるストレス等を発端とすることから,植物の集団防衛機構とも言える.また,過酸化物の環化後のβ酸化反応産物の代表例として,(+)-7-iso-ジャスモン酸(JA),cis-jasmoneが挙げられる.JAは植物の形態形成や傷害応答時に作用する化合物であり,植物ホルモンと認知されている.cis-Jasmoneは植物が生合成する香気成分として知られ,除虫菊の殺虫成分であるpyrethrinの部分構造を成す.JAとcis-jasmoneの化学構造が酷似していることから,cis-jasmoneはJAを経由して生合成されると考えられ,生合成経路の研究論文等にも一般的に記載されているが,詳細な生合成経路の研究は未着手であった.
Key words: cis-ジャスモン; ジャスモン酸; ピレスリン類; α-リノレン酸; 生合成
© 2025 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2025 公益社団法人日本農芸化学会
植物ホルモンであるJAおよびそのメチルエステル体であるMeJAは,ジャスミンの香気性成分として1960年代に最初に発見された.JAは草食動物による物理的な傷害や病原菌による病傷害に対する防御応答において重要な役割を担っていることが明らかにされている(1, 2)1) C. Wasternack & B. Hause: Ann. Bot., 111, 1021 (2013).2) C. Wasternack & I. Feussner: Annu. Rev. Plant Biol., 69, 363 (2018)..JAは病傷害によって生合成が活性化され,害虫による摂食を抑えるためのProtease Inhibitorや,病原菌の感染を防ぐためのPR(pathogenesis-related)タンパク質の合成を誘導し,傷害に対して防御応答を示す.また,JAは感染した細胞が生きていても生きていなくともお構いなしの病原菌の感染に対して,ファイトアレキシンの生合成を誘導し,植物の抵抗性を増強する.このような植物の傷害応答時の鍵化合物となるJAの類縁体は,L-isoleucineとの縮合物,ジャスモン酸イソロイシン(JA-L-Ile)であると報告されている.本縮合物が誘導する傷害応答反応については受容タンパク等が明らかになっている.平時の健常な状態では,JA応答遺伝子のプロモーター内のG-boxに結合するJAシグナル伝達の正の制御因子であるMYC2が,Jasmonate ZIM domain proteins(JAZ)を介してNovel Interactor of JAZ(NINJA),TOPLESS(TPL)およびHISTONE DEACETYLASE(HAD)からなるco-repressor複合体を形成するため,JA応答遺伝子の転写は活性化されない.しかし,病害菌や傷害等の各種ストレスを受けると即応的にJAの生合成が活発化し,引き続きL-Ileと縮合し植物体内のJA-L-Ile濃度が上昇する.即応的に生成したJA-L-Ileは接着剤のごとく振る舞い,JAZとCOI1との複合体形成(接着)を促進する.COI1はSFC型E3ユビキチンリガーゼ複合体の構成因子として知られるF-boxタンパク質であり,ASK2, CULLIN1, RBX1およびE2とSCFCOI複合体を形成しており,JAZはCOI1と複合体化することでユビキチン化を被る.ユビキチン修飾されたJAZは,26Sプロテアソームに認識され分解される.このようにしてJAZタンパク質による遺伝子発現抑制が解除され,MYC2による転写活性が上昇することで,JA応答遺伝子の発現が誘導される(3~6).即応的に生成したJA-L-Ileが傷害を受けていない健全葉に移動し,傷害情報を伝えているとの報告もある(7)7) C. Sato, K. Aikawa, S. Sugiyama, K. Nabeta, C. Masuta & H. Matsuura: Plant Cell Physiol., 52, 509 (2011)..興味あるところでは,苔類に属するゼニゴケ(Marchantia polymorpha L.)はJA-L-Ileを情報伝達物質(接着剤)として用いず,cis-OPDAより二炭素少なく,五員環部のα,β-不飽和ケトン部分が異性化したdinor-iso-OPDAを用いることが報告されている(8)8) I. Monte, J. M. Franco-Zorrilla, G. Garcia-Casado, A. M. Zamarreno, J. M. Garcia-Mina, R. Nishihama, T. Kohchi & R. Solano: Mol. Plant, 12, 185 (2019)..植物の進化を辿る上でこのような違いがどのようにして生まれたかは,今後の課題となっている.一方,進化する上での線上の通過点と捉えるより,苔類に属するゼニゴケ(M. polymorpha L.)が独自の道を歩み出し,ゼニゴケたる現在の生物形態を取る上での帰結であったとの見方も存在する.今後は蘚類等を用いた研究の進捗が望まれるところであり,ハイゴケ(Hypnum plumaeforme)でのOPDA関連の論文(9)9) H. Inagaki, K. Miyamoto, N. Ando, K. Murakami, K. Sugisawa, S. Morita, E. Yumoto, M. Teruya, K. Uchida, N. Kato et al.: Front. Plant Sci., 12, 688565 (2021).や,ヒメツリガネゴケ(Physcomitrium patens)においてJAが欠損しているとの論文(10, 11)10) M. Stumpe, C. Gobel, B. Faltin, A. K. Beike, B. Hause, K. Himmelsbach, J. Bode, R. Kramell, C. Wasternack, W. Frank et al.: New Phytol., 188, 740 (2010).11) I. Ponce de Leon, M. Hamberg & C. Castresana: Front. Plant Sci., 6, 483 (2015).,もしくは生合成されているとする論文(12, 13)12) P. Bandara, K. Takahashi, M. Sato, H. Matsuura & K. Nabeta: Biosci. Biotechnol. Biochem., 73, 2356 (2009).13) J. P. Oliver, A. Castro, C. Gaggero, T. Cascon, E. A. Schmelz, C. Castresana & I. P. de Leon: Planta, 230, 569 (2009).が掲載され,ハイゴケ(H. plumaeforme),アラハシラガゴケ(Lencobryum bowringii),ヒノキゴケ(Pyrrhobryum dozyanum)におけるJA-L-Ileの検出に成功したとの報告がある(14)14) V. F. Ersalena, N. Kitaoka & H. Matsuura: Biosci. Biotechnol. Biochem., 89, 1177 (2025)..興味あることに傷害応答反応以外の場面でもJAの類縁体は様々な生理活性を示す.α-LAの過酸化物をへて環化直後の化合物,12-oxo-phytodienoic acid(cis-OPDA)はブリオニア(Bryonia dioica)の蔓の巻きつきを誘導する活性本体として報告されている(15, 16)15) S. Blechert, C. Bockelmann, M. Fusslein, T. Von Schrader, B. Stelmach, U. Niesel & E. W. Weiler: Planta, 207, 470 (1999).16) B. A. Stelmach, A. Muller & E. W. Weiler: Phytochemistry, 51, 187 (1999)..また,JAの12位炭素が水酸化もしくは,その配糖体はバレイショの塊茎誘導物質としての報告があり(17, 18)17) Y. Koda, E.-S. A. Omer, T. Yoshihara, H. Shibata, S. Sakamura & Y. Okazawa: Plant Cell Physiol., 29, 1047 (1988).18) T. Yoshihara, E.-S. A. Omer, H. Koshino, S. Sakamura, Y. Kikuta & Y. Koda: Agric. Biol. Chem., 53, 2835 (1989).,地上部で感知した長日から短日への日長変化を,地下部へ伝達する生物活性が示唆されている.
種子植物におけるJA類の生合成経路にはα-LAを出発原料とするoctadecanoid経路とhexadecatrienoic acid(C16:3)を出発原料とするhexadecanoid経路の2つの経路が存在する.α-LAを出発原料とする経路では(図1図1■cis-Jasmoneを与える生合成経路),α-LAは13-lipoxygenase(13-LOX)によって(9Z,11E,15Z)-(13S)-hydroxyperoxyoctadeca-9,11,15-trienoic acid(13-HPOT)へ変換される.続いて,allene oxide synthases(AOS)によって脱水反応が触媒されることで,13-HPOTは不安定なallene oxideである,(9Z,15Z)-(13S)-12,13-epoxyoctadeca-9,11,15-trienoic acid(12,13-EOT)に変換される.その後,allene oxide cyclase(AOC)によって環化反応が触媒されることで,12,13-EOTは(+)-cis-12-oxo-phytodienoic acid((+)-cis-OPDA)を与える.本経路では,(+)-cis-OPDAを導く反応は葉緑体内で進行するが,その後の反応はペルオキシソームで行われる.ペルオキシソームに輸送された(+)-cis-OPDAは,12-oxophytodienoate reductase(OPR3)により還元されて(+)-cis-3-oxo-2-(2′(Z)-pentenyl)-cyclopentane-1-octanoic acid((+)-cis-OPC-8:0)となる.OPC-8:0は三回のβ酸化を受け,(+)-7-iso-JAとなる(19, 20)19) K. Schneider, L. Kienow, E. Schmelzer, T. Colby, M. Bartsch, O. Miersch, C. Wasternack, E. Kombrink & H. Stuible: J. Biol. Chem., 280, 13962 (2005).20) L. Kienow, K. Schneider, M. Bartsch, H. Stuible, H. Weng, O. Miersch, C. Wasternack & E. Kombrink: J. Exp. Bot., 59, 403 (2008)..(+)-7-iso-JAはシクロペンタノン環上のカルボニル基におけるケト–エノール平衡により7位の立体構造が異性化し,熱力学的に安定なトランス体の(−)-JAへと変換される.しかし,植物体内では(+)-7-iso-JAの形で主に存在していると考えられている.
cis-Jasmoneについては,香料の原料として広く用いられ工業的に合成が行われ化粧品,洗剤等に使用される,我々の生活に身近な化合物である.その名の示す通り,ジャスミンteaの香りの一成分を成す.ジャスミンの精油は優れた芳香を有すことから,古代より香料や化粧品として重用されてきた.ジャスミンの精油には100以上の成分が含まれるが,その香りはcis-jasmoneおよびシス体のMeJAによって特徴づけられている.cis-jasmoneはダイダイ(Citrus bigaradia),スイセン(Narcissus jonquilla),ベルガモット(Citrus bergamia)およびトベラ科の精油にも含まれる(21)21) L. Ruzicka & M. Pfeiffer: Helv. Chim. Acta, 16, 1208 (1933)..植物においてcis-jasmoneは通常,花から放出される.cis-Jasmoneはオリーブミバエ(Bactrocera oleae)の誘引作用を持ち,花粉媒介の手段として働いていると考えられている(22)22) R. Nishida, T. C. Baker, W. L. Roelofs, T. E. Acree: Abstr Pap Am Chem S, 186 (1983)..植物が草食動物や昆虫によって傷害を受けると,傷害部からcis-jasmoneが放出される.cis-Jasmoneはマメクロアブラムシ(Aphis fabae)を含む数種のアブラムシの天敵である寄生バチ(Aphidius ervi)を誘引することで,間接的にアブラムシの忌避に関与している(23)23) M. A. Birkett, C. A. Campbell, K. Chamberlain, E. Guerrieri, A. J. Hick, J. L. Martin, M. Matthes, J. A. Napier, J. Pettersson, J. A. Pickett et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 97, 9329 (2000)..cis-Jasmoneは防御応答に関わる他の二次代謝産物の誘導にも関与しており,コムギ(Triticum aestivum)では,cis-jasmone処理によって防御物質であるフェノール酸類が蓄積されることが知られている(24)24) M. C. Moraes, M. A. Birkett, R. Gordon-Weeks, L. E. Smart, J. L. Martin, B. J. Pye, R. Bromilow & J. A. Pickett: Phytochemistry, 69, 9 (2008)..さらに,カバマダラ属のチョウ類やカイコガ(Bombyx mori)の幼虫がcis-jasmoneを,それぞれメスの識別,食餌の認識に用いているとの報告がある(25, 26)25) K. Tanaka, Y. Uda, Y. Ono, T. Nakagawa, M. Suwa, R. Yamaoka & K. Touhara: Curr. Biol., 19, 881 (2009).26) S. Schulz, M. Boppre & R. I. Vanewright: Philos. Trans. R. Soc. Lond. B Biol. Sci., 342, 161 (1993)..
本解説の話題になっている生合成に関しては,その化学構造の類似性からJAが生合成中間体であると予想され,1996年にKochら(27)27) T. Koch, K. Bandemer & W. Boland: Helv. Chim. Acta, 80, 838 (1997).によって,重水素ラベルのJAの投与実験が行われ,JA → cis-jasmoneの生合成経路が提唱された.また,Kochらの論文では,cis-jasmoneはJAの不活化体であろうとも記載されている.しかし,図1図1■cis-Jasmoneを与える生合成経路に示すようにcis-OPDAが,まず異性化反応によりiso-OPDAに変換され生合成される別経路も提唱され,2007年にDabrowskaら(28)28) P. Dabrowska & W. Boland: ChemBioChem, 8, 2281 (2007).によって本経路の実在性が証明された.我々が本研究に着手するまでは,cis-jasmoneの生合成経路に関する報告は,この2報のみであった.一方,一般の教科書等の啓蒙書では,Kochらの報告に基づいてJAが生合成中間体として働きcis-jasmoneが生合成されると記載されている.Kochらの結果を再検証する論文については,ほぼ皆無で,ごく最近の報告でもKochらの実験結果を根拠にJAをcis-jasmoneの生合中間体と記載している論文が散見されている(29~31).我々は偶発的に糸状菌,Lasiodiplodia theobromaeの培養濾液よりcis-jasmoneを見出し,従来の見解と異なる経路がcis-jasmoneの生合成の主経路であろうと指示できるに至った.以下に,我々の行った3つの実験についてご説明したい.
L. theobromaeは多量にJAを生合成する糸状菌として報告があり,果実腐敗の一原因菌として知られ,宮古島等ではマンゴー軸腐れ病を引き起こす病原菌として報告されている.偶発的ではあるが,我々はL. theobromaeがcis-jasmoneを生産していることを発見したことから,糸状菌を実験材料に用いた実験が可能であろうと想定しcis-jasmoneの生合成研究に着手した.実験をよりスムーズに行うためにcis-jasmoneをより多く生産する菌の探索を行った.一般的には,L. theobromae, Botrytis cinerea, Verticillium longisporum, Fusarium oxysporum, Gibberella fujikuroi,およびCochliobolus heterostrophusがJAの生産菌として知られており,静置培養後の培養濾液を菌体マットを除去せず直接酢酸エチルを用いて抽出し,有機層の一部をダイレクトにGC-MS分析に用いた(図2図2■cis-Jasmoneを生産するLasiodiplodia theobromae).この時に,内部標準として別途合成した,cis-jasmone d7体を加え,selective ion monitoringモードを利用してm/z 164と171を指標に分析した.この結果,図2図2■cis-Jasmoneを生産するLasiodiplodia theobromaeに示すように内部標準物質と同一の保持時間でm/z 164のピークを示す抽出液はL. theobromaeのもののみであった.GC-MSを用いていることから,ヒトであれば指紋に相当する化合物の分子の開裂パターンを調べた結果,ピークの開裂パターンは既報のcis-jasmoneと良い一致を示した.次にJAとcis-jasmoneの生合成経路上の想定される化合物の重水素ラベル体を,L. theobromae培養液に投与した代謝実験の結果を表1表1■Lasiodiplodia theobromae培養液への重水素ラベル化合物の投与実験に示した.実験当初はcis-OPDAが還元され(以降,OPDA還元経路と称する),OPC 8:0を与えJAが生合成され,JAが中間体となりcis-jasmoneが生合成される経路を予想していたが,これに反して,cis-OPDAが異性化を受けiso-OPDAを経由する生合成経路(以降,OPDA異性化経路と称する)がcis-jasmoneを与える経路であろうと示された.本報告で用いる重水素ラベル体の合成方法はcis-jasmoneを例にあげると,カルボニル位のα位水素等がケト–エノール平衡により交換できることから,MeODにNaOMeを加えた溶液を用いて軽水素の重水素置換を施した(32)32) P. W. Galka, S. J. Ambrose, A. R. S. Ross & S. R. Abrams: J. Labelled Comp. Radiopharm., 48, 797 (2005)..JAに関してはオゾン分解等により誘導したアルデヒドに対して,当該反応で抜けてしまった三炭素分をWittig反応で補う際に重水素ラベル化合物を用いた(33)33) H. Matsuura, F. Ohmori, M. Kobayashi, A. Sakurai & T. Yoshihara: Biosci. Biotechnol. Biochem., 64, 2380 (2000)..
次に植物を用いての代謝実験を行った.植物はJAを生合成し,その生合成はOPDA還元経路経由であることは知られている.そこでcis-jasmoneを効率よく検知できる植物のスクリーニングを行った.ジャスミンを含む全11種類の植物の花部,葉部を材料として扱ったところ,ナガバハッカ(Mentha longifolia)の花部,葉部の酢酸エチル抽出液からcis-jasmone,およびCH2N2処理後の試料にMeJAをGC-MSにより検出できた.そこで,ハーブ系の10種の植物を調べたところ,アップルミント(Mentha suaveolens)が最も生産性が高い植物で,実験遂行に最も適した植物と判断した.外部投与の化合物は,MeJA, 4,5-ddh-MeJA, 3,7-ddh-MeJAの各種d6ラベル体を用いた.投与方法は空気伝播方式で,気孔を介して植物に取り込ませることとした.投与が完了した時点で,植物葉を切り取り,酢酸エチルを用いて抽出し,上記の糸状菌で用いた工程と同様に目的化合物の分析を行った.その結果,アップルミントを用いたアプローチ(表2表2■アップルミント(Mentha suaveolens)への気孔経由の重水素ラベル化合物の投与実験)からも,L. theobromaeを用いた実験と同様な結果が導き出された.したがって,cis-jasmoneを与える生合成経路は,OPDA異性化経路を主経路とする可能性が高いと考えられた(34)34) S. Inoue, H. Tsuzuki, K. Matsuda, N. Kitaoka & H. Matsuura: ChemBioChem, 25, e202300593 (2024)..
前述のように,除虫菊の殺虫成分であるpyrethrin類は,その部分構造としてcis-jasmoneを用いることから,実験植物を除虫菊(Tanacetum cinerariifolium,旧名Chrysanthemum cinerariifolium)とし,研究を進めた.除虫菊は多量のpyrethrin類を蓄積することが知られており,菊酸もしくはpyrethric acidとrethrolon類がエステル結合によりつながった化合物である.天然pyrethrinは全6種の類縁体があるが,主たる成分はpyrethrin Iおよびpyrethrin IIである.他に,マイナー成分としてjasmolin I, jasmolin II, cinerin Iおよびcinerin IIが存在する.Pyrethrin類はシロバナムシヨケギクの花(子房)に蓄えられることが知られているが,葉部でも生合成される(35)35) S. W. Zito & C. D. Tio: Phytochemistry, 29, 2533 (1990)..本化合物はシロバナムシヨケギクにおいて対昆虫防御物質として働き,傷害時に葉から放出される揮発成分である3-ヘキサナール,2-ヘキサナール,3-ヘキセノールならびにその酢酸エステルおよびα-ファルネセンのカクテルによっても,pyrethrinの生合成が誘導される(36)36) Y. Kikuta, H. Ueda, K. Nakayama, Y. Katsuda, R. Ozawa, J. Takabayashi, A. Hatanaka & K. Matsuda: Plant Cell Physiol., 52, 588 (2011)..Pyrethrin類は昆虫に対して即効性の殺虫活性を有することから,シロバナムシヨケギクは,かつては天然の殺虫剤として重宝されていた.第二次世界大戦以前は日本国内でもシロバナムシヨケギクが盛んに栽培され,輸出産業として日本経済に貢献し,特に北海道での栽培が盛んであった.しかし,pyrethrin類は揮発性が低く,さらに容易に分解されることからその効果の持続性が低い(37)37) Y. Katsuda: Pestic. Sci., 55, 775 (1999)..このため,現在では揮発性や殺虫効果を改善した合成ピレスロイドが多数開発され,現在国内では殺虫剤製造を目的としたシロバナムシヨケギクの栽培は終了した.しかし,近年になって,合成ピレスロイドに耐性をもつ昆虫が出現し,また,pyrethrin類の生分解されやすいという物性の優位性が再認識されたことから,シロバナムシヨケギクに由来するpyrethrin類の価値が見直されている.特にマラリアが猛威を振るうアフリカ諸国や中国では,現在でもシロバナムシヨケギクが殺虫剤原料として栽培されている.
Pyrethrin類の生合成については,その部分構造の菊酸,pyrethric acidはイソプレンユニットを構成単位とする化合物でtail to middleの方式で母骨格が構築されるユニークな生合成経路が明らかとなっており(38)38) M. X. Liu, C. C. Chen, L. Chen, X. S. Xiao, Y. Y. Zheng, J. W. Huang, W. D. Liu, T. P. Ko, Y. S. Cheng, X. X. Feng et al.: Angew. Chem. Int. Ed., 55, 4721 (2016).,イソプレンユニット骨格形成に必要なタンパクの情報も明らかとなっている(39)39) D. B. Lybrand, H. Xu, R. L. Last & E. Pichersky: Trends Plant Sci., 25, 1240 (2020)..部分構造のrethrolon類はα-LAから構築されることが報告されており,cis-jasmoneが生合成中間体であることが報告されている.エステル結合に必要な水酸基はTcJMHの作用で付与され,cis-jasmoneを基質としてjasmoloneが生合成される(29)29) W. Li, F. Zhou & E. Pichersky: Plant Physiol., 177, 1498 (2018)..菊酸とrethrolon類の縮合はTcGLIPによることが報告されている(40)40) Y. Kikuta, H. Ueda, M. Takahashi, T. Mitsumori, G. Yamada, K. Sakamori, K. Takeda, S. Furutani, K. Nakayama, Y. Katsuda et al.: Plant J., 71, 183 (2012)..以上のように本化合物の生合成に関しては多数報告や総説(39)39) D. B. Lybrand, H. Xu, R. L. Last & E. Pichersky: Trends Plant Sci., 25, 1240 (2020).があるものの,rethrolon類の母骨格となるcis-jasmoneの生合成ステップではJAが生合成中間と想定されている.これを確かめるために我々は重水素ラベル化合物をラノリンと混合し,葉部へ塗布,その後の代謝産物をUPLC MS/MSを用いて分析した.本実験ではJA d6, OPC 6 : 0 d6, cis-jasmone d7, Me-iso-OPDA d10および13CユニフォームラベルのOPDAを外部投与の化合物として用いた.目的化合物の分析条件の最適化は標品のpyrethrin類を用い,それぞれの化合物に最も検出感度の良好な条件を採用した.除虫菊の乾燥粉末を抽出し分析したところpyrethrin IIが最も良好に分析できたことから,本化合物をターゲットとしてラベル体の外部投与実験を行った.JA d6およびOPC 6 : 0 d6を塗布した実験では植物由来のpyrethrin IIは検出されたが,想定される重水素ラベルのpyrethrin IIは検出されなかった.しかし,cis-jasmone d7, Me-iso-OPDA d10および13CユニフォームラベルOPDAを外部投与したところ,植物由来のpyrethrin IIと共に想定されるラベルpyrethrin IIが検出できた.実験の詳細をご紹介するために,図3図3■除虫菊葉部へのラベル化合物の投与実験に13CユニフォームラベルOPDAの投与実験について掲載した.図3A図3■除虫菊葉部へのラベル化合物の投与実験に13CユニフォームラベルOPDAの化学構造を示し,除虫菊葉部への投与の様子を示した.図3B図3■除虫菊葉部へのラベル化合物の投与実験には除虫菊自身が生合成するpyrethrin IIをターゲットとしたUPLC MS/MSクロマトグラフ,図3C図3■除虫菊葉部へのラベル化合物の投与実験には投与した13CユニフォームラベルOPDAが除虫菊内で代謝されpyrethrin IIの部分構造となった場合の化合物をターゲットとしたUPLC MS/MSのクロマトグラムを掲載した.図3B, C図3■除虫菊葉部へのラベル化合物の投与実験に保持時間の良い一致が観察され,図3C図3■除虫菊葉部へのラベル化合物の投与実験では想定するラベルパターンを有する化合物が含まれていることがわかる.
本段落では除虫菊を用いた実験結果を紹介したが,5種類のラベル体を除虫菊へ外部投与して得られた結果からも,前述と同様な結論が導き出されている.したがって,cis-jasmoneはOPDA異性化経路を主経路に生合成されている可能性が高いと考えられる41).
本解説では3例の実験結果によって,cis-jasmoneはOPDA異性化経路を主経路に生合成さる可能性が高いことが示された.本報告の3例ともに,どの程度の投与量が生物学的に許容であるか判断できないため,想定される生合成経路上で,できるだけ離れた生合成中間体を投与するように心がけた.また,投与方法については3例ともに異なるものを用いた.ここで,JA → cis-jasmoneの生合成経路を導いたKochらの研究報告(21)21) L. Ruzicka & M. Pfeiffer: Helv. Chim. Acta, 16, 1208 (1933).について考察してみたい.当該の研究論文のJA d2, d5体の投与方法については,植物を生花状態として切断面より水溶液に溶解した化合物を投与しており,この時の水溶液の化合物の濃度が1.0~0.5 mMと記載されている.実験植物としてライマメ(Lima bean, Phaseolus lunatus, cv.Sieva),セイヨウシロヤナギ(Salix alha),ジャスミン(Jasminum rincospernum)を用い,JA → cis-jasmoneの生合成経路を証明している.しかし,キヌワタ(Gossypium hirsutum),トマト(Lycopersicon lycopersicum),タバコ(Nicotiana tubacum),トウモロコシ(Zea mays)では,ラベルJAを与えてもラベルのcis-jasmoneの検出はできないと報告している.興味あることに,上記の7種の植物では,表2表2■アップルミント(Mentha suaveolens)への気孔経由の重水素ラベル化合物の投与実験の備考欄に記載の3,7-didehydro-MeJAのカルボン酸型,3,7-didehydro-JAの投与では,上記の7種の全ての植物でcis-jasmoneの生成が確認されている.Kochらの論文ではJA→3,7-didehydro-JAへの代謝を想定し『JAはcis-jasmoneの生合成中間体』と結論づけている.
偶発的に糸状菌,L. theobromaeの培養濾液よりcis-jasmoneを単離したことに端を発した実験ではあったが,今回の我々の研究により化合物の化合構造の類似性から妥当と考えられてきた,『JAはcis-jasmoneの生合成中間体である』という説に疑義を提唱できた.OPDA異性化経路の重要性については未だ確定的なことは言えないが,決定打を打つとすればcis-OPDAをiso-OPDAに異性化できない変異体を用いた実験など,更なる研究が必要と思われる.また,JA → cis-jasmoneの代謝の確認できたライマメ,セイヨウシロヤナギ,ジャスミンに対して,ラベルJAの投与方法を変更するなどの実験も必要であろう.将来的な一展望として,何らかの刺激によって,pyrethrin類の含有量を高めることができれば天然成分の殺虫剤による害虫の防除を推進することができる.この点について,MeJAやmethyl salicylateによる処理を行ったが含有量の上昇は確認できなかった.しかし,生物学的に許容のアブシシン酸処理等によって,pyrethrin類の含有量を高めることに成功している.本成果が,pyrethrin類の応用展開に役立つことを望むところである.
Reference
1) C. Wasternack & B. Hause: Ann. Bot., 111, 1021 (2013).
2) C. Wasternack & I. Feussner: Annu. Rev. Plant Biol., 69, 363 (2018).
5) C. P. An, L. Li, Q. Z. Zhai, Y. R. You, L. Deng, F. M. Wu, R. Chen, H. L. Jiang, H. Wang, Q. Chen et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 114, E8930 (2017).
6) Q. Z. Zhai & C. Y. Li: J. Exp. Bot., 70, 3415 (2019).
11) I. Ponce de Leon, M. Hamberg & C. Castresana: Front. Plant Sci., 6, 483 (2015).
14) V. F. Ersalena, N. Kitaoka & H. Matsuura: Biosci. Biotechnol. Biochem., 89, 1177 (2025).
16) B. A. Stelmach, A. Muller & E. W. Weiler: Phytochemistry, 51, 187 (1999).
17) Y. Koda, E.-S. A. Omer, T. Yoshihara, H. Shibata, S. Sakamura & Y. Okazawa: Plant Cell Physiol., 29, 1047 (1988).
18) T. Yoshihara, E.-S. A. Omer, H. Koshino, S. Sakamura, Y. Kikuta & Y. Koda: Agric. Biol. Chem., 53, 2835 (1989).
21) L. Ruzicka & M. Pfeiffer: Helv. Chim. Acta, 16, 1208 (1933).
22) R. Nishida, T. C. Baker, W. L. Roelofs, T. E. Acree: Abstr Pap Am Chem S, 186 (1983).
27) T. Koch, K. Bandemer & W. Boland: Helv. Chim. Acta, 80, 838 (1997).
28) P. Dabrowska & W. Boland: ChemBioChem, 8, 2281 (2007).
29) W. Li, F. Zhou & E. Pichersky: Plant Physiol., 177, 1498 (2018).
30) W. Li, D. B. Lybrand, F. Zhou, R. L. Last & E. Pichersky: Plant Physiol., 181, 934 (2019).
31) J. Li, R. Li, P. Chen, D. Wu & P. Zheng: J. Agric. Food Chem., 73, 11191 (2025).
34) S. Inoue, H. Tsuzuki, K. Matsuda, N. Kitaoka & H. Matsuura: ChemBioChem, 25, e202300593 (2024).
35) S. W. Zito & C. D. Tio: Phytochemistry, 29, 2533 (1990).
37) Y. Katsuda: Pestic. Sci., 55, 775 (1999).
39) D. B. Lybrand, H. Xu, R. L. Last & E. Pichersky: Trends Plant Sci., 25, 1240 (2020).