巻頭言

「化学と生物」の変遷

Mariko Uehara

上原 万里子

東京農業大学

Published: 2025-11-01

「化学と生物」が創刊されたのは1963年,最初の巻頭言は第33代会長でいらした住木諭介先生が執筆された.当時,機関誌として既に欧文誌(Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry)と和文誌(日本農芸化学会誌)が刊行されていたが,住木先生は,この2誌に掲載される論文数は全会員の数%によるものに過ぎず,あまりにも広い農芸化学という分野の論文を機関誌にのみ投稿するのは,著者および読者にとって一長一短の嘆きであることはおおうべくもない…とされ,然るべき会議の議決を経て,単に農芸化学の分野のみならず,広く自然科学を対象とし,それらを化学的・生物学的視点から平易に解説し,最新研究の話題や産業界の動向などについても紹介するとした.かくして,原著論文を掲載した「化学と生物」が誕生した.

私よりも少々若い「化学と生物」であるが,自身の購読期間は,同誌創刊から現在までの半分にも満たない年月であり,自らの投稿は共著者として一報…という会長職をお引き受けせねば,ご縁が薄かったように思う.それでも冊子体が届いていた頃は,表紙の写真に目を奪われ,目次を見て面白そうな記事を読んでいたことは覚えている.会員の場合,オンライン購読が主になってからは日々に忙殺されて購読回数が減ったことは否めないが,専門分野以外の記事で,なるほど,そういうことかと合点がいき,自身の理解の助けになったことが何度もあったように思う.そのような読者は私の他にも大勢おいでになるに違いない.そして,それらは「化学と生物」の編集委員,執筆者の方々をはじめとする関係各位のご尽力によるものである.

元々の和文誌「日本農芸化学会誌」は,本学会創立の1924年から2003年まで継続されたが,2004年以降は「化学と生物」に統合され,休刊となってから早20年が過ぎた.時代の流れと共に様々な物事が変遷し,毎年凄い勢いで加速しているように感じるのは私だけではないと思うが,特にコロナ禍では,時間の経過が何倍速になっていたのか,ほぼ記憶にない.

この8月に,28年前に約1年半ポスドクをしていたフィンランド・ヘルシンキ大学の研究所(Biomedicum)を,8年ぶりに訪問した.自身の転機となる経験であったし,メンターとなったAdlercreutz教授との共同研究の継続を望んだこともあり,帰国後も,ほぼ毎年夏季に2週間程お世話になっていた(教授は2014年に逝去された).前回は2017年の8月だった.今回は早朝4時に空港着ということで現地温度は7℃(日中は14, 5℃),日本の35℃からかけ離れた温度に体がついていかなかった.HUB空港となったため,かなりの面積が拡張されていて驚いたが,街中に出ると8年前とあまり変わらず,自身が通っていたBiomedicumは以前のままだった.しかし,当時一緒に働いていた人達は僅かしか残っておらず,リタイア組が殆どとなっていた.別の研究グループに異動した知人にラボを見学させて貰った.そこはポスドク1年目に住んでいたアパートの近くで,当時はそのBiokeskusと呼ばれる研究所しかなかったが,周辺に出来たヘルシンキ大のキャンパスは巨大化していた.つい昨日のようでいて遠い昔であり,様々な変遷があった.それでも研究のバトンは形を変えながら受け渡され,これからも発展していくことだろう.

現在「化学と生物」は月刊であるが,2026年1月から奇数月発行の隔月刊となる.これも時代の変遷が一因であり寂寥感も漂う(冊子体の購読料も値上げされる).毎月楽しみにされている講読者の皆様には大変申し訳ないが,内容としては,これまで通り充実した記事の企画を続けていく所存である.

編集委員の方々には更なるご苦労をおかけすることになりますが,隔月刊になることで,より練られた企画が生まれることを期待しております.そして,執筆者の方々も何卒よろしくお願い申し上げます.